第16話 『決断の夜』

 王国暦1047年11月12日(月)19:00=2025年9月7日 05:15:01 <田中健太>

 アポロ・ルミナスと名乗った青年が消え去った後、工房は静まり返った。

 魔導士たちは悪態をつきながら退散して、オレたちだけが残っている。

 オレは目の前で起きた出来事をすぐには理解できなかった。非現実的な光景が、思考を完全に停止させている。

 マルクスも、エリカもルナも同じように見えた。

「……みんな、大丈夫か」

 我に返ったオレは、まず仲間の安否を確認した。

「ああ、何とかな。脇腹をやられたが、多分……骨は折れていない」

 マルクスが壁に寄りかかって、苦痛に顔を歪めながら答える。

 それでもかなり苦しそうだ。

 エリカが脇腹に手を当てて症状を見ている。その隣でルナが、顔をしかめて焼け焦げたローブの肩を押さえていた。
 
「私も、軽い火傷だけだから平気。それより……」

 ルナは工房の中央にある、無残に破壊された活版印刷機の残骸を見ていた。

 ドワーフの都でエイトリの協力を得て作り上げた精密な歯車は砕けて、丹念に鋳造した活字は床に散らばっている。

 頑丈なはずの鉄のフレームはねじ曲がって原型を留めていない。オレたちの知識と技術、そして夢の結晶だったものが、今はただの鉄クズの山になっていた。

「ひどい……」

 エリカが唇を噛みしめた。

 修復が仮にできたとしても、あいつらは手を変え品を変えて、またやってくるに違いない。

 国家権力が、オレたちの技術を明確な敵と認識したんだ。

 アポロと呼ばれていた男のおかげで殺されずにすんだけど、そいつ自体も怪しい。

 あいつはオレを『研究対象』と呼んだ。

 何だ研究対象って?

 ふざけんな!

 あの男の力はマグナスたち魔導師とは比べものにならなかった。

 人知を超えた力を持つ男が、オレたちに一体何を望むのか。

 目的が分からないのが最大の恐怖だ。

 魔法省とアポロの脅威。

 2つを相手にして、安全な場所なんてどこにある?

 オレ1人の問題じゃない。

 レイナやアン、そしてトム。

 ウソから始まった関係だけど、今は本当の家族だと思っている。

 それにエリカやルナ、マルクスは、同じ境遇を分かち合うかけがえのない仲間じゃないか。

 オレの存在が彼ら全員を危険にさらしている。このままじゃ、いずれ誰かが命を落とす。




 助かる方法は1つしかない。

 全部話して、この世界から一時的に離れる――。




「……みんな、一度オレの家に集まろう。話がある」

 オレは固い決意を込めて言った。

「ケント……?」

 マルクスが不思議そうな顔でオレを見る。

 表情からただ事じゃない何かを感じ取ったのだろう。

「工房は親方に任せるしかない。今はここから離れるのが先決だ」

 オレたちは工房を後にした。

 負傷したマルクスとルナに肩を貸し、静まり返った夜道を自宅へと急ぐ。

 冷たい夜風が火照った頭を少しだけ冷やしてくれたが、胸の中の熱は少しも冷めなかった。




 自宅の扉を開けると、リビングから明るい声が聞こえてきた。

「あ、お父さん、お帰りなさい!」

 アンが駆け寄ってくる。

 後ろから心配そうな顔をしたレイナとトムが続いた。

「あなた、どうしたの? マルクスさんとルナさんまで……怪我をしているじゃない!」

 レイナの声が震えた。

 オレたちのただならぬ様子に彼女はすぐに気づいたようだ。

「工房で、少しトラブルがあってな。大したことはない。それより、みんなリビングに座ってくれ。エリカ、マルクスたちの手当てを頼む」

 オレは努めて冷静に指示を出した。

 ここで動揺すればみんなを不安にさせるだけだ。

 エリカが手早く治療を始める。

 オレはリビングで全員の顔を見渡した。

 レイナとアンとトム。

 そしてエリカ、ルナ、マルクス。

 オレにとって最も大切な人たちがいる。

 全員の不安と疑問の視線がオレに集中した。

 どこから話すべきか……オレはゆっくりと言葉を選ぶ。

「みんなに、ずっと隠していたことがある」

 一呼吸おいて、本題に入った。

「まず、オレの名前はケント・ターナーじゃない。本当の名前はケンタ・タナカ、田中健太だ」

 レイナが息をのむ。

 アンとトムは、意味が分からずにきょとんとしていた。

「オレは記憶喪失なんかじゃない。本当のケント・ターナーがどこに行ったのかも知らない。オレは……この世界の人間じゃないんだ」

「あなた……何を言っているの?」

 天地がひっくり返る発言だ。

 エリカたちは黙ってうなずいているけど、レイナたちの混乱は計り知れない。

「信じられないのは当然だ。でも聞いてほしい。オレはエリカやルナ、マルクスと同じで、地球という別の世界から来た人間なんだ」

 アンとトムは相変わらずで、レイナはさらに混乱した。

 オレは自分が52歳の機械工学者だったことや、自分の意思でこの世界に来たこと、ケント・ターナーと間違えられて偽りの生活を始めた経緯を、包み隠さず話した。

 レイナの顔から血の気が引いていく。アンは不安そうにレイナの服の裾を握りしめた。

「待てケント、いや健太、お前……」

 マルクスが言いかけたのをエリカが止めた。

 オレは転移させられたのではなく、自分の意思で来ている。

 これは転生者3人にも言ってなかった。

「じゃあ……お父さんは、本当のお父さんじゃないの……?」

 アンが涙声でたずねるが、その言葉がナイフとなってオレの胸に突き刺さった。

「アン。血は繋がっていない。だけど、オレがお前を、レイナを、そしてトムを大切に思う気持ちにウソはない。お前たちはオレの家族だ」

 必死に言葉を考えて話す。

 オレの目を見てレイナが何かを考えていた。

「……あの時の、光」

 レイナがぽつりとつぶやいた。

「野盗に襲われて、私が手術を受けたときの……不思議な光。あれも、あなたの世界の道具だったの?」

「そうだ。LEDライトという照明器具だ。あの状況で手術を成功させるにはどうしても必要だった」

 オレの言葉にエリカが続く。

「レイナさん。ケント……健太が言ってるのは全部本当です。私たちも同じ世界から来ました。だから、この世界の常識じゃ考えられない知識や技術を持っているんです」

 ルナも、痛みをこらえながら口を開いた。

「工房を襲ったのは魔法省の連中です。私たちの印刷技術が……彼らの権威を脅かすから。今日の襲撃ではっきりしました。このままここにいたら、私たちだけでなく、あなたたち家族も危険にさらされます」

 すべての事実が、バラバラだったパズルのピースをつなぎ合わせていく。

 これまでの不可解な出来事のすべてが、オレが異世界人である一点の事実に収まっていった。




 レイナは唇を固く結び、何かを決心したように顔を上げた。

「分かったわ。あなたの言うことを信じます。あなたはウソをつく人じゃない。ずっと一緒に暮らしてきたから、それだけは分かる」

「レイナ! 分かってくれるか?」

「だってあなた……ふふふ。あなたはタナカケンタかもしれない。でも、間違いなく私の夫のケント・ターナーです。ほら、あなた考え事したり真剣なとき、いつも右手の人差し指で眉間をかいていたでしょ? ほら、今も」

「え? そうだったか?」

 本当のケントもオレと同じクセだったのだろうか。

「ありがとう、レイナ。分かってくれて、本当に嬉しい」

 心の底から感謝の言葉が出た。

「おい、健太」

 マルクスがまだ納得いかない顔で口を挟む。

「今、自分の意思で来たって言ったか? オレたちは訳も分からず飛ばされたんだ。お前は、自分でここに来る方法を知っていたのか?」

「その話は後にして」

 エリカが言葉を遮った。

「今は、どうやって逃げるかを決めるのが先決よ。健太の言うとおり、この家はもう安全じゃない」

「エリカの言うとおりだ。安全な場所へ移動してから全部話す。約束する」

 オレはマルクスの目を真っ直ぐ見て言った。彼は少し不満そうだったが、こくりとうなずいた。

「それで、どうするの? 私たちはどこへ行けばいいの?」

 レイナの問いに、オレは最大の秘密を打ち明けた。

「オレのいた世界へ一時的に逃げるんだ。この世界には、地球……つまりオレがいた世界だけど、そことつながるゲートがある」

「ゲート……?」

「ああ。そこを通ればオレのいた世界……2025年の日本へ行ける。そこなら魔法省の追手も届かない」




 次回予告 第17話 『消えるゲート』

 魔法省に工房を襲撃された後、健太は家族と仲間に自分が異世界人であると告白する。

 危険を回避するために、彼は自身の故郷「地球」へ全員で避難することを決意。

 レイナたち家族も彼を信じ、運命を共にすると決めた。

 はたして健太たちは無事地球へ脱出できるのか? そこで待ち受ける新たな試練とは?

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