第6話 『旅立ちの朝』

 王国暦1047年9月12日(土)05:00 = 2025年9月6日(土)18:59:11<田中健太>

 王都南門前は、まだ薄暗い夜明け前だというのに既に活気に満ちていた。

 商人たちは荷車を準備して、冒険者たちは装備を点検している。

 毎朝何組も出発する人たちがいるんだろう。

 オレたちも約束の時間より少し早く到着していた。

「お父さん、あれが『鋼鉄の盾』の人たち?」

  アンが指差す方向を見ると、3人の冒険者が馬車の近くで待機していた。

 1人は40代前半と思われる屈強な男性。元騎士団という話だったガルドだ。

 もう1人は20代後半の女性で、魔法の杖を持っている攻撃魔法のリーナ。

 最後の1人は30代前半の女性で、回復魔法の道具を身に着けているセラ。

「おはようございます!」

 オレが声をかけると、ガルドが振り返った。

「おお、こりゃ旦那! 1か月の長旅だが、よろしくな」

 無骨な物言いだが失礼さは感じない。

 むしろ頼もしく思える。

 2人の女性も丁寧に挨拶してくれた。

「こちらが妻のレイナ、娘のアン、そして同行者のマルクス、エリカ、ルナです」

  全員が自己紹介を済ませる。

 ガルドが馬車を指差した。

「馬車はマルクスが用意してくれた2台。1台目にターナーさんご家族と同行者の方々、2台目に我々のうち2人が乗って、オレは馬で先行する。何かあればすぐに対応できる配置だから安心してくれ」

 「ありがとうございます。よろしくお願いします」

  マルクスが馬車の荷台に荷物を積み込んでいる。エリカとルナも最後の装備チェックをしていた。

「アン、忘れ物はない?」

「大丈夫! お母さんと一緒に確認したもん」

 レイナも微笑んでうなずいた。

「準備万端です」

 ガルドが空を見上げた。

「天気も良好。道中の天候は問題なさそうだ。出発!」




 ■王都南門出発

 馬車がゆっくりと動き出して、王都の城壁が徐々に遠ざかっていった。

 アンが馬車の後ろから身を乗り出して手を振っている。

「王都、さようなら! また帰ってくるからね!」

 レイナがアンの服を引っ張る。

「危ないから座っていなさい」

「はーい」

 マルクスが地図を広げた。

「ドワーフ州までは約2週間の道のりだ。最初の3日は平原地帯、その後山道に入る」

 エリカが心配そうに言った。

「山道が一番危険よね。野盗が出やすいって聞くし」

「だからこそBランクの護衛を雇ったんだ」

 オレは振り返って後続の馬車を確認した。

 ガルドによれば魔法使いの2人が警戒しながら後方を見ているはずだ。

  ルナが錬金術の道具を整理しながらつぶやく。

「それにしても、魔法省が監視しているなんて……」

「オレたちが完成させる印刷技術が、それほど脅威だということだろうな」

 マルクスが低い声で答えた。

「でも、ドワーフ州まで行けば大丈夫よね?」

 エリカの問いに、オレはうなずいた。

「ああ。ドワーフ州は独立性が強い。魔法省の影響力も限定的だ。邪魔は入らないだろう」

 アンが不安そうに聞いてくる。

「お父さん、悪い人たちが追いかけてくるの?」

「大丈夫だ。何にも心配いらないよ」

 オレはアンの頭をなでた。




 ■王国暦1047年9月12日(土)12:00 = 2025年9月6日(土)19:02:06

  しばらく進むと、ガルドが馬を止めて振り返った。

「昼食の休憩にしよう」

 平原の中ほどにある小さな丘の陰で、一行は馬車を止めた。

 エリカとルナが簡単な昼食の準備を始める中、オレは持参したサバイバルセットから小さな瓶を取り出した。

「これ、使ってみない?」

 マルクスが瓶を見て息を呑んだ。

「これ、まさかコショウか?」

「ああ、ちょっとだけどな」

 ガルドが驚いて振り返る。

「だったそれだけで(約50g)で半小銀貨(シール)、職人の日当半分の価値がある」

 オレは改めて、この世界での「当たり前」の違いを実感した。

 アンが不思議そうに聞く。

「お父さん、それってそんなに貴重なの?」

「そうだよー。でも、今日は特別だ。みんなで美味しい昼食にしよう」

 コショウを少し振りかけた肉の煮込みは、一行の表情を明るくした。
 
「旦那、これは本物のコショウだな。香りが違う」

 リーナとセラも後続の馬車から降りてきて、昼食の輪に加わった。

「わあ、いい匂い!」

 セラが目を輝かせる。

「コショウなんて、王都の高級料理店でしか味わえないものよ」

 リーナも驚いた。

 エリカが煮込み料理にコショウを振りかけると、香ばしい香りが立ち上がる。

 みんながその豊かな風味に驚いて、旅の食事が一段と楽しくなった。

「おいしーい! お肉おいしいね、お父さん」

 アンが目を輝かせながら頬張る。レイナも幸せそうに微笑んでいた。

「ケントさん、あなたはいったい何者なんですか?」

 回復魔法のセラが素朴な疑問を口にした。

 護衛リーダーのガルドも、興味深そうにこちらを見ている。

「ただの機械好きのオヤジですよ。色々なことに興味があってね。それからこれは……オレは記憶がなくて3か月行方不明で、ここの3人に森で助けられたんです」

 オレはコショウの小瓶を指さして、笑ってごまかした。

 荷物も全部、その時に持っていて、なんで持っているかなんて覚えていない。

 そういう設定だ。

 ガルドたち3人は今回が始めてだ。

 だから今はまだ、自分の正体を詳しく話す時じゃないと思う。

 でもこの小さな交流が、3人との間の壁を少しだけ取り払ってくれたようだった。




 昼食後、旅は順調に進んでいく。

 広大な平原を抜けて、夕暮れ時には森の入り口にある開けた場所で野営の準備を始めた。

 焚き火の暖かな光が、集まったみんなの顔を照らす。

「でもまさかドワーフ州まで行くとはな。ケントの情熱には恐れ入るぜ」

 マルクスがエールを飲みながら言った。

 その言葉に護衛リーダーのガルドがうなずく。

「俺も色々な依頼を受けてきたが、これほどの大所帯で、一職人がドワーフの都を目指すなんざ前代未聞だ。旦那、よっぽど大事な機械なんだろうな」

 ガルドの問いかけに、オレは焚き火の炎を見つめながら答えた。

「ええ。1人では到底不可能な計画です。みんなの手伝いがあって、ようやく形になる。もちろん、ガルドさんたちのような頼れる護衛がいなければ、ここまで来ることもできませんでしたよ」

 オレがそう言って皆を見渡すと、マルクス、エリカ、ルナの3人は少し照れたように顔を見合わせた。

 自分たちの専門知識が、この異世界で確かに役立つかもしれない予感。

 それが3人の表情に表れていた。

 まあ、実際3人がいないとオレ、どうなってたか分からねえもんな。

 夜も更けて、眠れずに起きていたオレの隣に、ガルドが静かに腰を下ろした。

「ターナーの旦那」

「ガルドさん」

「旦那は……やっぱりただの職人じゃねえな。その落ち着き、知識……それに、魔法省が旦那を監視している噂も聞いたぜ。ただの印刷機が理由じゃねえ気がする」

 鋭い指摘だった。

 元騎士団長という経歴は伊達じゃないのか。

「連中は魔法こそ世界の頂点だと思っているからな。もし旦那が画期的な印刷機でも作ろうもんなら……いや、まああくまでも、だがな。用心に越したことはないと思うぜ」

「ありがとうございます」

 ガルドの力強い言葉に、オレは静かにうなずいた。




 次回予告 第7話 『招かざる客』

 画期的な印刷技術を完成させるため、主人公の健太は家族や仲間と共に魔法省の監視を逃れ、ドワーフ州を目指す旅に出る。

 Bランク冒険者「鋼鉄の盾」を護衛に雇い王都を出発した一行は、道中、健太が振る舞った貴重なコショウをきっかけに打ち解けていく。

 しかし、護衛リーダーのガルドは健太の素性にただならぬものを感じ取り、その旅の裏に潜む危険を察知するのだった

 次回、山道に入る前に宿場町で一泊し、山を越えてドワーフ州都イワオカを目指す一行に、招かざる客がやってくる……。

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