王国暦1047年9月7日(日)=2025年9月6日(土)? <田中健太・52歳>
「今日はもう帰れ」
親方は仏頂面でねぎらいの言葉をかけてくれた。
ここはお言葉に甘えて帰ろうとしたとき――。
ゴーン、ゴーン、ゴーン……。
「おお、もう昼時か。飯にせんとな」
間違いない。
昼休みなら今の鐘は12時だ。
昨日エリカから王国暦のことを聞いた。
当然だ。独自の暦があるのだろう。
でもエリカは今が何年で何月の何日なのか、正確には把握していない。
なんとなーく、なんとなーく、わかってきたぞ。
印刷技術はあって、以前より格段に便利になったけど、まだ高価なんだ。
今みたいに(地球の現在)カレンダーが普及していない。
だから昨日、多分~くらいだと思うけど、なんて言い方だったんだ。
工房にはカレンダーがあった。
納期や会合の日付の告知と確認が必要なので、ギルドが配布している、と親方が言ってたな。
印刷機を改良したら、問題解決だ。
あ、時計もなんとかなるかもしれない。
この世界の時計台は200年以上前に建設されたと親方が言っていた。
ということは、時計技術はそれなりに発達しているはずだ。
でも一般には普及していない。
精度とコストの問題だろう。……ぜんまい? いや違うな。重錘式だろうか。
印刷機を改良してカレンダーや時刻表を大量生産できるようになれば、時間に対する意識も変わる。商取引も効率化されて約束事も正確になるだろう。
そうなれば、時計の需要も高まるはずだ。
オレの現代工学の知識があれば、時計の量産技術も改良できるかもしれない。
……印刷機の次は時計か。
面白くなってきた。
でも、まずは時間比率の再検証だ。
せっかく工房に来たんだから、戻って検証しない手はない。
自宅と家族を得たので生命の危険は脱した。
あとは収入だ。
なんとしても成功させて、職人頭の地位を獲得する!
オレは親方に軽く頭を下げると、工房の奥にあるトイレへ向かった。
前回の計算では1:150の比率だったが、正直なところざっくりもいいところだ。
もっと精密なデータが欲しい。
現在の異世界時間は正午12時……鐘がなってから5分くらいか。
12:05と仮定して、地球時間との誤差を測定する。
周囲に誰もいないのを確認して、鉄の棒を外してイレのドアを開けると、見慣れた自宅の洋式トイレが見えた。
あーホッとする。
ゲートは安定しているようだ。
そのままオレは現実世界に足を踏み入れて、スマートフォンで時刻を確認する。
18時05分34秒。
ベータ宇宙の……ああもう異世界でいいや。学術的に後でなんか発表するときはそう言おう。
その滞在時間が20時間として計算すると、140秒(異世界)=地球の1秒。
よし、今度はもっと短時間での往復で誤差を測定してみよう! ……といいたいところだけど、異世界で正確に時間が測定できない以上、これ以上の測定は無意味だな。
こっちの時間がどんだけ正確でも、あっちがアバウトなら意味がない。
それはある程度正確な、しかも携帯できるサイズの時計ができてからにしよう。
時計を見た。
やべっ! もう1分たってんじゃねえか、戻らなくちゃ。
理想は時計が2つ左右にあって、左が異世界で右が現実の時計ができればいいけど……いや、それ自体は地球で作ればいいか?145秒=1秒でひとまず作って、後から誤差が修正できるように……。
いやいや、時間がない!
2分経過した。
戻ろう。
戻ったら、ちょうど5時の鐘が鳴った。
さあ、とっとと家に帰ろう。長居していると怒鳴られる。
オレはすぐさま工房を出て、レイナとアンナの待つ家へ向かった。
ん? どうした?
なんだか人だかりができているぞ。
人だかりの中心では、12歳ほどの少年が大柄な男と揉めていた。
少年は汚れた作業着を着て、顔には涙の跡がある。
男は商人風の身なりで腹が出ていた。
「だから約束した給料をください! 朝から晩まで働いたんです!」
少年は必死に訴えている。
声が震えているが、諦めていない。
「うるさい! 雇ってやっただけでもありがたいと思え!」
男は少年の頭を平手で叩いた。
少年はよろめいたが、男の服にしがみついて離れない。
「お願いします! お金が必要なんです!」
「知るか! ガキが生意気な口を利くな!」
男は少年を突き飛ばした。
少年は地面に倒れたが、すぐに立ち上がる。
周りの大人たちは見て見ぬふりをしていた。
なんだこりゃ?
児童虐待も甚だしい。
労働基準法違反だぞ!
オレは胸が熱くなった。これは見過ごせない。
「ちょっと待ってください。約束した給料は払わないといけないと思いますよ」
オレは人だかりをかき分けて前に出たが、男はオレを睨みつけた。
「何だお前は? 関係ない奴は引っ込んでろ!」
うわ!
オレは胸を押されてよろめいてしまった。
相手は大男で体格差は歴然としている。でも、大人として子供は守らないといかん。
「関係ないことはありません。約束は守るべきです」
「うるさい! ガキの味方をするなら、お前が金を出せ!」
なんてベタな。
異世界あるあるじゃねえか。
男が拳を振り上げてオレが身構えたその時――。
「何の騒ぎだ?」
凛とした声が響いたかと思うと、人だかりが割れて1人の少年が現れた。
15歳くらいか?
だけど堂々とした立ち振る舞いだ。
質素な服装の胸には小さな紋章が付いている。
男はその紋章を見て顔が青ざめた。
「で、でん……」
少年はすっと指を口元に持ってき、ジェスチャーする。
「どうしたのだ?」
「これは、その……」
?
何かを言いかけて止められた?
男は慌てて平伏した。
周りの人々も一斉に頭を下げる。
少年貴族(仮称)は冷静に状況を見回している。
「給料の未払いか?」
「いえ、その、誤解でして……」
「誤解? では正当な賃金を支払ったということか?」
「それは……まだ、ですが……」
「では未払いだな。すぐに支払え」
少年の声には威厳があった。
男は震え声で答える。
「は、はい! すぐに!」
男は慌てて財布を取り出し、少年に銀貨を渡した。
「ありがとうございます!」
少年は嬉しそうに銀貨を受け取った。
商人はそそくさと逃げるように立ち去っていったんだが、少年はオレたち離れようとしない。
オレと少年貴族の顔を交互にみて動かない。
彼は困惑した表情を浮かべた。
「どうした? 給料はもらっただろう」
「お兄さん、この人も僕を助けてくれました」
少年はオレを指差した。
「あなたが助けてくれたのですか?」
「いえ、大したことは……」
オレは謙遜したんだが、少年貴族はうなずいた。
「正義感のある方ですね。お名前は?」
「ケント・ターナーです」
「何と! あのケント・ターナーさんですか! 私はアルフレッド。よろしくお願いします」
ん?
んん?
オレってそんなに有名なのか?
アルフレッドは丁寧に頭を下げた。妙に礼儀正しい。
「私をご存知なのですか?」
「知っているも何も! 王都一の職人で、印刷機の改造をしているそうですね。ただ……半月くらい行方不明だと聞いてましたが」
「あ、ええ、まあ……」
さて、どうする?
いい子そうだし、敵は増やしたくない。
ぐううううう……。
?
何だ?
ぐうううううう……。
少年のお腹がなったようだ。
「何だ? 腹減っているのか?」
少年は恥ずかしそうにお腹を押さえた。
「うちに、くるか?」
母性本能じゃなく父性本能?
何ていうんだろうか。
ほっとけなかった。
「いいんですか!」
重なって聞こえたのが、少年貴族・アルフレッドの声だ。
「え? まあ……いいですよ。お口に合うかわかりませんが、ご案内します」
うーん、なんでこうなった?
次回予告 第7話 (仮)『三人の食卓』

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