王国暦1047年9月6日(日)12:00? =2025年9月6日(土)18:02:06? <田中健太>
――尋ね人
――MISSING
――田中健太
――ケント・ターナー
――Kent Turner
心当たりのある方は精密加工ギルドまでご連絡ください
精密加工ギルド・ギルド長
マイスター・クロノス・ギアハート
ウソだろ……。
森で助けた3人と立ち寄った酒場の壁に、信じられないものを見つけてしまった。
書かれた文字の下にはオレとそっくりな似顔絵がある。
しかも何だ? 漢字と平仮名とカタカナと英語? 何じゃこりゃあ!
ああもう!
頭がパンクしそうだ。
ともかく、異世界ベータ宇宙のオレは尋ね人なのか?
このまま調査を進めるなら、オレが『ケント・ターナー』だって誤解される可能性がある。
いや、可能性は極めて高い。
まずは情報収集だ。
時間の流れが早いのは分かった。磁場の乱れでここが地球じゃないのも判明している。
次はケント・ターナーが何者で、今後のオレの調査にどんな影響があるのかを正確に把握する必要があるな。
どうやって?
「おいケント! ケントじゃないか! どうしたんだ! ? 無事だったのか?」
振り返ると、作業着を着た中年男性がオレに向かって手を振っている。
やばい。
完全にケント・ターナーと間違えられた。
どうする? 否定するか? それとも――
「あ、あの……」
「ケント! 本当にお前だったのか! みんな心配してたんだぞ! 3か月も行方不明で、ギルマスも捜索隊を出したりして……」
男性はオレの肩を掴んで涙ぐんでいる。
この人にとって、ケント・ターナーは大切な仲間だったんだな。
オレはとっさに判断した。
「すみません……実は、記憶が……」
「記憶? どういうことだ?」
「気がついたら森の中にいて、それ以前のことがほとんど思い出せないんです。自分の名前すら……それから彼らが助けてくれました」
オレはエリカたちを見た。
3人はうんうんとうなずいている。
口裏を合わせてくれるようだ。
ケントが誰か知らないが、行方不明ならひとまずそのふりをしておこう。
男性の表情が心配そうに変わった。
「そうか……それで今まで戻ってこれなかったのか。大変だったな、ケント」
ケント。
オレは……偽者だ。本物のケント・ターナーがどこにいるのか、何が起こったのかも分からない。
「とりあえず、ギルマスに報告しないと。ものすごく心配されてるんだ」
「クロノス・ギアハート……」
「ギルマスの名前も忘れちまったのか。まあ……記憶が戻るまでゆっくりでいい。大事なのはお前が無事だったことだ。いやあ、良かった良かった」
男性――確かトムソンと名乗った――に連れられて、オレは精密加工ギルドの建物に向かった。
3人には日没までには戻ると告げて、もし戻らないならギルドまで来てくれと約束してもらった。
ギルドは石造りの重厚な建物で、入り口には歯車とつちを組み合わせた紋章が掲げられている。
「ギルマス! ケントが戻ってきました!」
トムソンの声に、奥から威厳のある男性が現れた。
50代後半くらいだろうか。白髪交じりの髪を後ろで束ね、精密な作業で鍛えられたであろう手には細かい傷跡がある
「ケント……本当にお前か」
クロノス・ギアハートと呼ばれた男は、オレの顔をじっと見つめた。
「今まで何をしていたのだ」
「はい……申し訳ありません」
「謝ることはない。何があったのだ? 生きて戻ってきてくれただけで十分だ」
ギルド長の優しい言葉に、オレの罪悪感はさらに深くなった。
「すみません。本当に覚えていないのです。トムソンにも話しましたが、気づいたら森にいて、3人に助けられたんです」
「……そうか。ケント、私は言いたいことは山ほどあるが、工房には寄ったのだろう? 白い目で見られなかったか?」
「え? 白い目で……いや、確かに何ていうか……驚きとか困惑っていうんでしょうか。あと、あからさまに怒っている人もいたような」
「そうだろう。本当に覚えていないのか? それじゃあこれを見てみなさい」
ギルマスがオレに差し出して見せたのは、活版印刷機の設計図だった。
「この設計図は……印刷機のようですが……」
「ほう……記憶喪失じゃなかったのかね」
しまった!
つられた!
「まあいい。これはね、『王都職人ギルド連合』から私たち『精密加工ギルド』に依頼があったものだ」
ギルマスいわく、50年ほど前に活版印刷機が発明されていたらしいが、本は高級品で庶民には手が出せない。
それでも技術的な問題で文字がかすれたり、インクのにじみや印刷ムラが頻繁に発生したりしていたんだ。
ところが、だ。
魔法省管轄の王侯貴族の間では、その問題をクリアする印刷機が開発されて使われているらしい。
その秘密は魔法。
王侯貴族は魔法が使えて、その魔力を使った魔導具で印刷機にいろんな仕掛けを加えている。
もちろん、庶民にはさらに手が出ない。
「そこで、生産ギルド全体で何とかならないかと、アイデアや試作品を出し合っていたんだよ。実現すれば本が何冊だって刷れる。お前はこの問題を解決できたと豪語していた。そのための設計図を描き上げ、次の会議に臨むはずだった。……それも、忘れたのかい?」
ギルマスは改良前の設計図の一点を太い指でトン、と叩いた。
活字を固定するための締め付け機構の部分だ。
「ここだ。四方から締め上げると、どうしたって版の一部が浮いてしまう。圧力が均一にかからないんだ。印刷してみると、文字の濃い部分と薄い部分がはっきりと分かる。ひどいときは全く印字されない箇所まで出てくる」
「……その設計図は、どこに?」
「お前が持って行ったきりだ。工房にはコレと不完全な試作品しか残ってない」
ギルマスは部屋の隅に置いてある金属の塊を指さした。
「なるほど、あれがケントが最後に作っていたものか……」
金属の塊にそっと触れて、俺はすぐに理解した。
ギルドマスターが指摘した問題は氷山の一角にすぎない。
問題点をあげるとすれば、こんな感じか。
・木製フレームの剛性不足。
・手作業によるネジ機構の精度の限界。
・そして圧盤を一点で支えるという設計自体の根本的な欠陥。
でもこうすればいい。
この世界の道具と材料のままでも、解決する方法はある。
・建築で使われるトラス構造でフレームを補強
・薄い真ちゅう板を重ねた緩衝材で圧力を均一に分散。
・支持点を複数にして中央に応力が集中する問題も根本から解決。
設計思想を変えるだけで、この機械の性能は劇的に向上するはずだ。
オレは、覚悟を決めた。
振り返ってギルマスの目をまっすぐに見据える。
「ギルマス。記憶がないのは、本当です。でもオレは技術者です。この試作品を見れば、何をしようとしていたのか……それに何で失敗したのかは、理解できます」
ギルマスの眉がピクリと動いた。
オレはそこで話すのを止めて、深く頭を下げる。
「申し訳ありません! でも皆さんにかけた迷惑は、分かっているつもりです!」
顔を上げる。
オレにはもう戸惑いはない。
「でも、その代償は――言葉や金じゃない。オレが作るもので、必ず償います!」
何でケントが失踪したのかは分からない。
でも、いないならオレがケントの代わりになっても問題ないだろう。
ギルドの職人頭。
悪くない。
「……ふふふ。その目は、昔とまったく変わってないみたいだね」
ギルマスは作業台の上の設計図をつかむと、オレに渡した。
「いいでしょう。なら、やってみなさい。もし、お前が他の工房の連中を黙らせるほどの『完成品』を、私の前に持ってきたなら……」
ギルマスは、そこでニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。
「その時はケント、お前をもう一度職人頭にしよう。さすがにこのまま戻したら、みんなに示しがつかないからね」
罰じゃなくて試練。
ギルマスが与えてくれたチャンスだ。
■酒場
ギルドにいる間に、ギルマスは色々と教えてくれた。
・この国は五郷王国である。
・瑞穂大陸にある5種族連合国家。
・ヒト、エルフ、ドワーフ、獣人、海人の州があって、王都タダオキには人族が一番多い。
・魔法省と技術省があっていがみ合っているが、魔法省が優勢で予算も魔法省が2倍以上。
・王侯貴族は魔法が使えるが、一般庶民は使えない。だから魔導具を使う。でも高価である。
・エトセトラ……。
「おーう! おかえり健太……じゃないケント!」
「お、おう。ただいま……」
3人は相変わらず明るくてにぎやかだ。
でも、オレはすごーく気分が重い。
いや、なんて言っていいかわからんイベントが、このあと発生するのが判明したんだ。
教えてくれたのはギルマス。
その話を聞くまでは、やる気満々で仲間と一緒に! ……って感じだったんだけどさ。
「どうしたんだケント! 飲み直そうぜ!」
いや、あれからどんだけ時間たってんだよ?
同じ地球人だよね?
「いや、実はさ……」
「うん……どうした?」
「オレ、奥さんと娘がいるらしい」
「えええええええ!」
いや、オレがえええええええ! だよ。
次回予告 第3話『偽りの帰還』
自分とそっくりの男「ケント」と間違われた健太は、記憶喪失を装い彼の人生を一時的に拝借する。
ケントが所属していた精密加工ギルドで、彼が活版印刷機の改良という重要な任務を放棄していたことを知った健太。
技術者としての魂が燃え上がり、自らが完成させると宣言するが、その矢先、ケントに美しい妻と娘がいるという衝撃の事実を告げられる。
次回、健太は家族をだまし続けることができるのか? 夫婦の男女の営みは?


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