第25話 『五つの歯車がかみ合い始める』

 1591年3月15日(天正19年うるう1月20日) ライデン

「なあみんな、オレ、思ったんだけど」

 フレデリックはコンパス会議の中で他の四人に提案した。

「みんな、ギルドから反発を食らっているよね。シャルルおじさんは領民からの反発もあるって言ってたけど」

 その発言に全員がうなずいて、次の言葉を待つ。

「オレ、塩の塩業ギルドの人たちに完全に丸投げしたんだ。利益の半分を渡すってことで、共同経営者になってもらったんだよ。シャルロットは知ってるよね? 結局はみんな、生活が脅かされるから反対してるんだろ? 神のご意思がどうこうなんて、建前だよ」

「そうね」

 シャルロットは小さな手を前に組んで、フレデリックの言葉に同意した。

「結局のところ、どんな革新的なアイデアも、既存の利害関係者の生活を脅かす形では受け入れられない。だから私たちは、彼らを敵に回すのではなく、共存共栄の道を探るべきなの」

「でも、そうなると時間がかかるんじゃないか?」

 オットーが眉をひそめた。

 農業では穀物の栽培ができる。

 塩はもちろんだが、テンサイをはじめとした農作物は、加工して商品として売れるから分かりやすい。

 しかし、医学は別だ。

「医学でも同じ問題を抱えているが、一つ一つ丁寧に説得していくとなると……それに医学は損得じゃない部分も多いからな。昔からの考え方やしがらみも多い。それに命に関わるから、宗教的な反発もあるんだよ」

「それでいいんじゃないか」

 シャルルが静かに言った。

 現世で一番の年長者であり、合計年齢で比べても年長者である。

「農業だって同じさ。急激な変化は、かえって大きな反発を生む。ゆっくりでも着実に、理解者を増やしていく。それが結局は近道なんだ。我々がやっているのは、みんなを豊かに、社会を豊かにするためだろう? 間違ってはいないんだから」

「そうだね。だいたい、全部が高すぎるんだよ。何でも。需要と供給がマッチしてないからこうなる。オレたちが頑張って量産体制を作れば、もっとみんな豊かになれるはずなんだ」

 そう言ってウィルも同意した。

 砂糖にしても塩にしても、全てが高すぎる。

 日本でも、米や油はもちろん、食料品や生活必需品が高すぎる時代があった。(明治維新前)

 それらは全て高コストで、大量生産ができないからである。

「話を戻すけど、天文学でも、まず少数の理解者から始めているぜ。彼らが成果を出して行けば、徐々に支持が広がっていく」

「まさにそう」

 フレデリックは机の上の精密測定器を手に取った。

「オレたちの目標は、単なる技術革新じゃないと思う。大げさに言えば社会の変革なんだ。そうしないと肥前国に十年で追いつくなんて無理だからな。そのためには対立じゃなく、協調の道を選ぶべきだと思う」

「お前格好つけんなよ~。まあ、実際そうだろうな」

 オットーが締めくくった。

 期待した転生者は今のところウィルだけだが、この先現れてくるかもしれない。




 ■デン・ハーグ

「兄上、これがメートル原器です」

 政庁の執務室で、フレデリックは慎重に真ちゅうの棒をマウリッツに差し出した。朝日に照らされた金属の表面が、柔らかな光を放っている。

「ほう、これが例の測定の基準となる物差しか。エルでもフートでもなく、メートルとは、初めて聞くぞ」

 マウリッツは興味深そうに手に取り、両端に刻まれた精密な目盛りを眺めた。

「これを基に、より小さな単位の物差しも作れます。職人たちはすでに……」

「待て」

 マウリッツは手を挙げて、フレデリックの説明を遮った。窓から差し込む光に、メートル原器をかざす。

「お前、これを作ったのは聖エロイ組合の時計職人たちだな?」

「はい。ですが公式には……」

 フレデリックは一瞬言葉に詰まった。

 アムステルダムでの秘密の工房の件は、まだ誰にも話していない。しかし兄の鋭いまなざしは、すでに何かを察していた。

「ギルドは反対を表明しただろう?」

 マウリッツの声は厳しさを帯びていた。

 しかしその目はどこか温かみがある。

 歳の離れた弟。

 神童とも言われる天才的な頭脳と知識を併せ持つ。

 しかし、かけがえのないかわいい弟なのだ。

「お前、また何かたくらんでいるな?」

 まるで大人の魂が宿っているような言動のフレデリックであるが、上目遣いで話す様は、七歳児そのものである。

「はい。ギルドの公式な反対は承知しています。でも若い職人たちの中には、僕たちの考えに賛同してくれる人もいるんです」

「僕、たち?」

 フレデリックはやばい! と思いつつも、これ以上隠せないと思い、コンパス会議や|方舟《はこぶね》商会の内情を、可能な限り話した。

「なるほど。コンパス・オブ・ディスティニーか。お前らしい名前だな」

 その言葉に、フレデリックは思わず顔を上げる。兄の表情には厳しさの中に、かすかな笑みが浮かんでいた。

「何? シャルルも? 確かに最近、彼の領地で奇妙な農業改革が進んでいる噂は聞いていたが」

「はい、それから大学のヨハネス教授の息子オットーと、ルドルフ教授の息子ウィレブロルドも一緒で、五人です」

「うむ……そうか」

 マウリッツは開いた口がふさがらない。

 自分が知らない間にそこまで話が進んでいたとは。

 話を聞いて後は任せる。

 放任主義のマウリッツであったが、話が進み過ぎであった。

「お前が普通じゃないのは、あの落馬の翌日からうすうす感じてはいた。オレが納得するほど論理的な数字を出してくるし、理にかなっている。しかし、これ以上秘密にしておけば、いざ問題が発生したときに取り返しがつかなくなるぞ」

 マウリッツはニヤリと笑い、まるでフレデリックにその先を想像してくれと言わんばかりだ。

「お前の言う技術革新には、正式な研究機関が必要だろう」

 フレデリックの目が輝いた。

 以前から温めていた構想を、兄が先回りして言い当てたのだ。

「兄上、それは……アカデミーのことでしょうか?」

「そうだ。ライデン大学と連携した実学重視の研究機関を作る。数学、物理科学、化学、自然科学、生物学、医学、農学、鉱業、工学など、実践的な学問を研究する場所だ」

 フレデリックは思わず立ち上がった。

 これこそが、彼が望んでいた形だったのだ。コンパス会議のメンバーたちの活動も、この傘下で正式に進められる。

「ただし」

 とマウリッツは続けた。

「あくまでも、私的なオラニエ家の研究機関とする。これならばギルドの反発も緩くなるだろう。それには慎重な準備が必要だ。大学の既存の学部との調整も必要になる。資金の問題も……」

「その件については、シャルロットの商会が工面します」

「商会?」

「はい、『暁の方舟商会』です。シャルロットが実質的に運営しています」

「何? シャルロット、シャルルのむす……あの5歳の少女が?」

 マウリッツの眉が上がった。

「はい。彼女は……特別な才能の持ち主です」

 マウリッツは首を振りながらも笑ったが、内心は信じられない気持ちでいっぱいだった。

 フレデリックはもちろん、五歳の娘だと?

 この前は死者をよみがえらせた医者の息子だった。

 いったい、どうなっているんだ?

 合理主義の体現者であるマウリッツだからこそ、自分の目で見て聞いて、確認しなければ信じない。しかし、信じられない出来事が起きているのだ。

 なぜ起きるのかは解明できない。

 解明はできないが、フレデリックが出す数字は嘘をつかない。事実、砂糖のもうけも出ているのだ。

 それがマウリッツの拠り所になり得たのである。

「最近の子供は理解できんな。だが、ホールン伯の息子と孫娘が関わるなら、それも名目上は悪くない」

 マウリッツはうなずくと、書斎の戸棚から地図を取り出した。

「では、研究施設はライデンとアムステルダムの中間、この辺りが良いだろう。馬車で一日で往復できるし、交通の便もいい」

 フレデリックの目が輝いた。

「それは素晴らしい立地です! ありがとうございます、兄上」

 マウリッツは弟の肩に手を置いた。

「だが、約束してくれ。危険なことは絶対にするなよ。特に、宗教的な対立は招かないようにするんだ」

 フレデリックは真剣にうなずいた。

「分かっています。私たちは実用的な技術の発展を目指しています。宗教的な論争には一切関わりません」

「うむ、良い心がけだ」




 ■1591年3月18日 アムステルダム

 商業地区にある小さな会議室で、5人の商人が集まっていた。

 その中心は、堂々とした態度で話す小さな少女、シャルロットである。

 彼女は父シャルルと共に『暁の方舟商会』の第一期投資計画を説明するために、この場に臨んでいた。

「皆様、本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」

 少女らしい声であいさつをするシャルロット。しかし、その内容は驚くほど具体的で、商人たちを引き込むものだった。

「こちらが現在の塩事業の収益構造です。1ポンドあたり3ギルダーの精製塩が、想定以上の売上を記録しております」

 シャルロットは羊皮紙の資料を広げながら説明した。

 商人の一人、ヤコブ・フィッシャーが尋ねる。

「ポルトガル産の精製塩との競合はどうなっている?」

 シャルロットはほほ笑みながら答えた。

「ポルトガル産は関税の影響で価格が高止まりしていますが、私たちは品質と価格のバランスで勝負しています。特に、内陸部では輸送コストの差で競争力を発揮しています」

「砂糖の計画も野心的だな。ビーツから砂糖だって? ビーツっていやあ家畜のエサじゃねえか。本当に砂糖がとれんのか?」

 香辛料商人のウィレム・ファン・デル・ドースも疑問を投げかけるが、シャルロットの答えは自信に満ちあふれている。

「それはライデン大学で実証済です。お疑いであれば、クルティウス教授を含め、データを提出しますよ。現時点では小規模生産ですが、モンモランシー領のモデル農場でテンサイの品種改良が進んでいます。2〜3年後には糖度が向上し、収益性も大幅に改善する見込みです」

 彼女の説明は数字や具体的な予測に基づいており、商人たちの関心を引きつけた。

 若い商人アーレント・ケッセルも続けて確認する。

「投資のスキームはどうなっている?」

「従来の商船投資では、一隻ごとに出資し、全損のリスクもありました。しかし、私たちのスキームでは、塩、砂糖、光学機器、測定器具、医学研究、農業改革など複数の事業に分散投資することでリスクを低減します」

 シャルロットは新しい図を広げながら答えた。

 商人たちはその革新的なアイデアにざわめき、慎重派のコルネリウス・ヴァン・デ・プートでさえ興味を隠せない様子である。

 シャルロットは最後に告知した。

「総投資額10,000ギルダーを目標に、最低出資単位を500ギルダーとしています。初回配当は来年春を予定しており、想定利回りは年8%です」

 と締めくくった。




 次回予告 第26話 (仮)『オラニエアカデミーの誕生』

コメント

タイトルとURLをコピーしました