大村

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第99話 『幕府、和蘭からの軍艦と大砲の購入が頓挫し、国産に切り替える』(1848/7/28)

弘化五年六月二十八(1848/7/28) 江戸城 オランダ国王兼オラニエ・ナッソウ家、ルクセンブルク大公であるウィルレム二世は、謹んで江戸の幕府の最高権威である殿下に書を心から捧げる。  願わくは殿下の一読を賜り、お役に立つ事を祈る。  貴...
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第98話 『豊前国宇佐郡の賀来惟熊と平戸・福江・大村・島原同盟?』(1848/4/13) 

弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門> 拝啓 弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。 さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘しょうへいの旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。 当地...
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第97話 『五教館大学設立と教授の選任、そして次郎の総括就任』(1848/3/25)

弘化五年二月二十一日(1848/3/25) <次郎左衛門> よし、つくろう。 会議室(仮称)に集まった俺たちは、五教館大学の設立に向けてのミーティングを行った。すでに母体のようなものはできあがっているんだけど、明確なくくりがない。 組織上は...
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第96話 『上野俊之丞と宇田川興斎の大村藩舎密探索紀行』(1848/2/29) 

弘化五年一月二十五日(1848/2/29) <次郎左衛門> 最初は大丈夫大丈夫! だと思っていた招聘人材。 緒方洪庵に本を貸し出して村田蔵六に佐久間象山と、だんだんビッグネームが大村にきていることに、怖さを感じながら……頭の中でいくつものI...
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第95話 『佐久間象山大村に着き、隼人肥後にて人を探す』(1848/2/20)

弘化五年一月十六(1848/2/20) 玖島くしま城 <次郎左衛門> 佐久間象山がやってきた! 地震の災害復旧で忙しくてこれないかと思っていたのに、奇跡だ!「御家老様におかれましては、ますますご健勝の程、お慶び申し上げます」 ……。「また、...
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第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9)

弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』 岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。「ほほほ。よきかなよきかな。そも...
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第93話 『佐久間象山、その後。純熈の側近と家督の行方』(1848/1/31)

弘化四年十二月二十六日(1848/1/31) <次郎左衛門> この月、水戸の徳川斉昭が外国人追放に関する意見書を提出した。昨年謹慎を解除されてから、2回目の意見書である。精力的だと言うほかはない。 幕政に参加したいとの権力欲か? いやいや、...
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第92話 『隼人、長崎にて浅五郎を介し大島高任と手塚律蔵を知る』(1848/1/21)

弘化四年十二月十六日(1848/1/21) 玖島くしま城下 火術方 火術方は組織上精煉せいれん方の下部機関ではあるが、独立して洋式軍事調練を主とする部門である。 高島秋帆と立石昭三郎が中心となって訓練を行っており、ゲベール銃からミニエー銃に...
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第91話 『尾上一之進、緒方洪庵と出会い秘薬完成す?』(1848/1/20)

弘化四年十二月十五日(1848/1/20) 玖島くしま城下 医学方「初めまして。大坂適塾から参りました緒方洪庵です」「え? あ、はい。尾上一之進と申します」 日本の医学史に名を残した医者は数多くいるが、幕末でその存在感をひときわ輝かせている...
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第90話 『儀右衛門、蒸気機関事始め。洪庵、長崎にて奥山静叔に会し、一之進への紹介を頼む』(1848/1/19)

弘化四年十二月十四日(1848/1/19) <次郎左衛門> さて、誰がいるか? あれからずっと考えている。招聘しょうへいする技術者のリストは次の通りだ。 ・味田孫兵衛……現在地は美濃。堆朱ついしゅカメラと呼ばれる最初期のカメラの製造者。 ・...
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第89話 『佐賀藩主鍋島直正、伊東玄朴をして、和蘭より取り寄せたる種痘を藩内に広めけり』(1847/12/9)

遡って弘化四年六月二十八日(1847/8/8) 佐賀城 二日前の六月二十六日にオランダ船が長崎に来航し、聞役よりすぐに佐賀へ通達され、玄朴は長崎へ向かい種痘を受け取って佐賀へ戻ったのである。 史実ではこの年に依頼し、来年の嘉永元年に種痘を実...
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第88話 『信之介、ボルタ電池にダニエル電池……炭素アーク灯への道』(1847/11/21) 

弘化四年十月十四日(1847/11/21) 玖島くしま城 <次郎左衛門> さて困った。予想通り蔵六が留学したいと願いでてきた。 いや、留学自体はいいんだ。 誰もが知る維新の十傑で優秀な人材は、何人いてもいい。  大村益次郎は史実では長州陸軍...
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第87話 『村田蔵六、次郎左衛門と会す。岩倉具視、次郎左衛門の勧めにて鷹司政道の歌道へ入門して頭角を現せり』(1847/11/18) 

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 夜 玖島くしま城下「こ、これは……あれは何ですか?」 すでに夕方だったために、川棚から玖島城下へ向かい、登城するのは遅かった。そのため1泊して、翌朝登城しようというのだ。「ああ、ガス灯ですね。まだ...
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第86話 『局所麻酔薬コカイン製造現場からはじまる村田蔵六の大村見学記』(1847/11/18)

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 玖島くしま城 本年度収支報告(見込み含む) ※歳入 石けん・椎茸しいたけ販売利益……140,016両 石炭……33,516両 塩……3,996両 鯨……37,068両 真珠……780両  合計 2...
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第85話 『ドライゼ銃完成せり。大砲の鋳造幾分か定まれども完全に非ず。儀右衛門、蒸気機関の製造に本格着手せり』(1847/11/5) 

弘化四年九月二十八日(1847/11/5)  玖島くしま城下 <次郎左衛門> 「なあ次郎、思うっちゃけどさ……」「何なん?」 信之介の問いに俺は答える。「今、いろんな人の来よるやろ、大村に」「うん」「いや、そいは良かっちゃ(それは良い)けど...
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第84話 『七郎麻呂一橋家を継ぎ、孝明天皇即位す。天下の遊学先は江戸よりも大村になるやもしれず』(1847/10/9)

弘化四年九月一日(1847/10/9) <次郎左衛門> 大政奉還=徳川慶喜が、一橋家を継いだ。 水戸の権中納言様(徳川斉昭)は、父親からは譜代の養子にはならないようにって育てられたらしいけど、自分の息子はどうなんだろう。優秀な慶喜さんを手元...
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第83話 『弘化の大地震と象山大村来訪ならず。しかして意に反し、三十七士同盟、芽吹く』(1847/5/8)

弘化四年三月二十四日(1847/5/8) 亥いの刻(22時頃) 信州全土および越後高田地方にまで及ぶ広範囲で、未曾有の大地震が発生した。善光寺平をはじめ北信地方四郡の揺れはひどく、山は崩れ家は潰れ、あちこちで火災が発生したのだ。  圧死、焼...
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第82話 『養豚、養鶏、養殖、鉱山……動植物と鉱山系。お里の本業はこれなんです』(1847/1/28) 

弘化三年十二月十二日(1847/1/28) 信濃国松代藩 松代城「象山よ。では、そちの建言に従い手配した者どもを、この指示書の通りに働かせればよいと申すのか」 登城した象山を前に、藩主真田幸貫ゆきつらは問う。「はは。その建言書のうち、いくつ...
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第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』(1847/1/1)

弘化三年十一月二十五日(1847/1/11) 信濃松代藩 産物会所「おお、そうだ。これであれば遜色あるまい」 身長180cmはあろうかという一人の大男が、職人が持ってきたガラスの器を手に取り、満足そうにうなずいている。その男が傍らの机に置い...
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第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28)

弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま城 幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。 以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オラン...
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第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 

弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」 次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。 この頃になると...
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第78回 『捕鯨船の寄港と漁場問題』 (1846/8/26)

弘化三年七月五日(1846/8/26) 京都 <次郎左衛門> 今年初めに事業として展開を始めた捕鯨船団が帰ってきた。  8隻の65トン級の捕鯨船は船団を組み、玄界灘なだ・五島灘・角力灘すもうなだといった通常の漁場をはじめ、南シナ海や太平洋に...
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第77回 『プロパンガスか都市ガスか?』(1846/8/2)

弘化三年六月十一日(1846/8/2) 大砲鋳造方  15回目の操業である。 高炉2双4炉、反射炉2双4炉による同時溶解を行った。鉄は合計7,200kgを投入し、36 ポンド砲が1 門できた。鉄湯の流動性は全ての炉が良好という訳ではなく、差...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第632話 『開戦か交渉か』織田と同盟国と北条と(1577/8/16)

天正六年|閏《うるう》七月二十五日(1577/8/16) 諫早城 <純正> 転生して15年。ようやくなんとか平和になってきたと思ったのに、上杉に北条、そしてまたスペインって。なんでみんな、戦争しに出るかなあ。 攻められないようにするために、...
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第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』(1846/4/17)

弘化三年三月二十二日(1846/4/17) 京都 <次郎左衛門> 2月に孝明天皇が践阼せんそし、俺が岩倉具視の紹介で朝廷の公家と親交を深めている頃、幕府では伊豆|韮《にら》山代官の英龍さんが、海防意見書を提出していた。 もうどこにも耀蔵はい...
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第74話 『過マンガンカリウムの生成とコカインの単離』(1846/4/20)

弘化三年三月二十五日(1846/4/20) 精煉せいれん方  大村藩領内ではまだ普及していないが、次郎のまわり、いわゆる医学方と精煉方についてはメートル法(長さ・質量の単位で10進法)を浸透させていた。 正直なところ次郎はもちろんの事、他の...
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第73話 『開明塾、初等部、中等部、高等部。五教館中等部、高等部』(1846/3/11)

弘化三年二月十四日(1846/3/11) 京都<次郎左衛門> 孝明天皇が即位した。 結局、20万両は大金だったし、よくよく考えればいくら幕府が関与しない『奥』の収入だとしても、西国の小藩が20万両もの大金を献上金としたなら、大騒ぎになるはず...
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第72話 『改元と朝廷工作』(1846/2/21)

弘化三年一月二十六日(1846/2/21)<次郎左衛門> 仁孝天皇が崩御された。 次は即位と改元だ……と思っていたのだが(本当に思っていた)、そうではない。現代の日本では一世一元の制といって、天皇の即位によって改元し、一代につき一元である。...
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第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』(1846/1/26)

弘化二年十二月二十六日(1846/1/26) 玖島くしま城 弘化三年の、つまり来年の参勤交代であるが、純顕すみあきは老中首座の阿部正弘に、長崎湾と外海沿岸に台場の建設を建白する。 受理されるか却下されるかはわからないが、見積もりが必要である...
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第70話 『石油は越後か? そして激動の時代へ』(1845/9/15)

弘化二年八月十四日(1845/9/15) <次郎左衛門> 先月、老中の阿部正弘が海防掛を設置した。 設置して外交と海防問題にあたらせようとしてるんだろうけど、結局根本が変わらんと何も変わらんのよね。 さて、他藩との交易の事で信之介から相談が...
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第69話 『エーテルはもうできた。コカの葉からコカイン単離、局所麻酔薬をつくろう』(1845/8/21) 

弘化二年七月十九日(1845/8/21) 次郎邸 <次郎左衛門> さて、製鉄のめどはたってきた。多分、あと2~3年でカノン砲が作れるだろう。その後はペクサン砲だな。それから後はいろいろあるが、元込め施条式が主流になる。 アームストロング砲だ...
肥前争乱、淘汰するものされるもの

第91話 後藤惟明の苦渋の決断

永禄七年 六月 武雄城 後藤惟明 父上が殺され、兄上も弟も幽閉されている。今の武雄後藤に、俺の居場所はない。養子の意味がないのだ。 ただでさえ疎んじられてきた。実子も問題なく成長している。このままではいずれ廃されるか、もしくは……。 どう考...
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第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6)

弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎 イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。 警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。 ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)、高島...
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第67話 『大村藩、全国に先駆け、種痘を推奨す(コレラ・麻疹・天然痘撲滅へ!)』(1845/6/18)

弘化二年五月十四日(1845/6/18) 次郎邸 <次郎左衛門>「これ、御家老様はお忙しいのだ! お手を煩わせるでない! 申し訳ありませぬ御家老様! なにぶんまだ子供ゆえ、お許しいただきたく存じます」「ははははは! よいのです俊達先生。子ど...
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第66話 『一度目の試射』(1845/5/23)

弘化二年四月十八日(1845/5/23) 玖島くしま城下 <次郎左衛門>「お前様、もう、よいのではありませんか……。わたくしはもう、構いませんよ」「え? 何が?」どうしたんだ? 静。怒っているようには……見えないけど……んん?「何が、ではあ...
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第65話 『もう一つの高炉と石炭乾留、そして実際に冷蔵庫をつくる!』(1845/4/18)

弘化二年三月十二日(1845/4/18) 江戸城「やはり長崎に向かわせるべきでしょう」「いやいや、ここでさらに長崎へ向かわせれば、異国の心証も悪くなり申そう」「なに故に異国の顔色を窺うかがうのですか? 漂流民の救助の礼を述べ、薪水しんすい食...
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第64話 『アルコール⇒エタノール⇒エーテル⇒麻酔と冷蔵庫!』(1845/3/29)

弘化二年二月二十二日(1845/3/29) 江戸城 史実どおり、水野忠邦はさしたる成果を上げることなく老中を辞任した。 やった事といえば、鳥居耀蔵を失脚させた事くらいだ。  土井|利位《としつら》は自ら老中を辞任している。ともかく、一連の関...
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第63話 『斉昭の蟄居が解かれ、秀才、大村に集う』(1845/1/4)

天保十五年十一月二十六日(1845/1/4) 玖島城下「次郎殿、いや、失礼いたしました御家老様。これはまた、勇ましい限りにございますな」「先生、どうか、どうか以前のように次郎とお呼びください」「ははは。そうは言っても難しゅうござるな。何と言...
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第62話 『和蘭軍艦内部の見学と高島秋帆・高野長英の来訪』(1844/10/30)

天保十五年九月十九日(1844/10/30) 長崎 <次郎左衛門>水戸の徳川斉昭さんが蟄居ちっきょを命じられたのが3月だった。実は同じ時期に江戸城で火事が起こっていて、幕府は焼失した城の修繕費用を諸大名から集めようとしたんだけど、失敗した。...
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第61話 『徳川斉昭の謹慎とおイネ道中に適塾留学生』(1844/6/21) 

天保十五年五月六日(1844/6/21)  一之進がおイネを探して二宮敬作と出会い、なりゆきで診療所の手伝いをしていたころ、フランス船アルクメール号が那覇に入港し、通商を求めていた。 モリソン号事件に続きイギリス船サマラン号、そしてフランス...
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第60話 『塩の製造とミニエー銃とドライゼ銃』(1844/4/29)

天保十五年三月十二日(1844/4/29) 玖島くしま城下 <次郎左衛門> 俺は大砲と同時進行で、小銃の開発製造を進めていた。2年前の天保十二年に管打ち式のゲベール銃が完成した後、すぐにミニエー銃の開発に移っていたのだ。 しかし、原理はわか...
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第58話 『精錬方より火術方分離、専門分野に特化する』(1843/11/4)

天保十四年閏うるう九月十三日(1843/11/4) <次郎左衛門>前から考えていて、実行に移した事がある。信之介の負担を軽くすることだ。現代でも言える事だけど、なんでも自分でやろうとするとパンクする。部下に任せて指導管理する方が労力も少なく...
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第57話 『土地豊穣にして百穀能く実り~なかんずく真珠をもって当領第一の名産とす』(1843/7/14)

天保十四年六月十七日(1843/7/14) 玖島くしま城  約150年前、元禄十年(1697)の藩の収入は銀561貫833匁もんめ8分6厘りん。約8,642両であった。その当時は年貢米としての収入が、約6,500両で7割以上を占めていたのだ...
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第56話 『佐久間象山に知己を得、大村に帰っては洋式帆走捕鯨船の完成』(1842/12/17~1843/5/16)

天保十三年十一月十六日(1842/12/17) 江戸 某所「だからな、まずもってこの日本の沿岸部、主要な港に防衛のための砲台を据え置かねばならぬ」「なるほど」 居酒屋の片隅で、数人の同僚なのか部下なのかわからない男達を前に語っている男がいた...
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第55話 『斉昭の説得と幕閣の懐柔』(1842/12/12) 

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 水戸藩邸「なに? 勝てぬと申すか?」 斉昭は目をぎょろりと見開き、次郎を見据えた。次郎は内心では心臓が張り裂けそうだったが、ギリギリで抑えた。「……勝てぬ、とは申しませぬが、難かたしかと...
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第54話 『幕閣と御三家と四賢侯と、諸々を使って高野長英恩赦大作戦』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 水戸藩邸「ふふふ。そう畏まらずとも良い。礼をわきまえ接する者は、貴賤きせんを問わずに話を聞き、よいと思えば取り入れる。それがわしの流儀であり、いまのこの世に要るものだと考えておる」水戸藩...
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第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 <次郎左衛門> 9月26日に大村を出発して、俺たちが江戸についたのは11月11日だ。   俺の上京、じゃなかった江戸参府の同行には目的があった。それは長英さん(高野長英)の見舞いに行くこ...
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第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』(1842/10/31)

天保十三年九月二十八日(1842/10/31) <次郎左衛門> 俺は今回の江戸参府に同行したが、その前に、やるべきことがあった。『根回し』だ。 史実では高島秋帆先生が今年の五月に告発され、十月には外国人との交友の罪で投獄された。それを防ぐの...
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第51話 『開明塾の授業と3度目の参勤交代』(1842/9/15) 

天保十三年八月十一日(1842/9/15) 大村藩 開明塾「いや、だいたいって言っても、みんな10代で元服するだろ? 寺子屋はざっくり12~3歳で卒業するから、その後は仕事をしながら勉強って形にならないか?」 次郎は当然そうだろうと考えてい...
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第50話 『医学方の設立と天保十三年のオランダ風説書』(1842/3/16)

天保十三年二月五日(1842/3/16) <長与俊達>その男(一之進)の怪しげな術(緊急気管切開術)により一命をとりとめた殿(純顕すみあき)は、呼吸が回復した後に箝口かんこう令を敷いた。殿にとってみればその妖術も、命を救ってくれた神のような...