王国暦1048年1月14日(月)13:18:00= 地球暦 2025年09月08日(日)06:00:00 <田中健太(ケント)>
「お待たせしました! スーパー・イーツです!」
玄関のインターホンが鳴って元気のいい声が聞こえた。
大きな四角いバッグを背負った青年がモニターに映っている。
オレが玄関に向かうと、トムとアンが興味津々で後をついてきた。異世界では酒場から酒の配達はあっても、出来立てアツアツの料理のデリバリーなんて概念はない。
それにこの年齢の子どもはすべてにおいて『あれ何』『これ何』状態だ。
ドアを開けて商品を受け取って代金を支払う。
トムもアンも、そしてレイナも、その光景に目を丸くしていた。
「すごい……本当に店の人が届けてくれるのね」
レイナが感心した声を漏らした。
リビングのテーブルに、注文した品々を広げていく。カツ丼の甘辛い香り、チーズが焼けたピザの匂い、ハンバーグのソースの匂いが混ざり合って部屋に充満した。
「うわあ! これが『お子様セット』!」
アンがハンバーグの上に立つ小さな旗を見て歓声を上げる。トムもその隣で、少し照れながらも目が輝いていた。
「いただきます!」
アンの元気な声を合図に、全員が食事を始めた。
牛丼をかき込みながら2ヶ月半ぶりの地球の味を噛みしめる。
前回も感じたけど、あって当たり前の味がこんなにもありがたく感じるなんて。
「さて、腹も膨れたところで、今後の具体的な動きを確認しよう」
オレが食後のコーヒーを飲みながら切り出すと、全員の視線が集中した。
リビングの空気が少しだけ引き締まる。
・山城院長と交渉して医療機器や医薬品の持ち込み。
・同期の須藤と交渉して早期退職金の獲得。
・同じく老朽化した現在住んでいる社宅マンションの購入申し込み。
・同期で警備会社社長の日向と面談して武器関連の相談。
「交渉と物資調達を同時並行で進めようと思う。オレは会社と交渉するから、その間にエリカには山城院長と交渉してほしい」
エリカの目を見ると、彼女は静かにうなずいた。
「分かっているわ。すぐに連絡を取ってみる。多分あれから病院に帰って、どうすればいいか考えまくったはずよ。ああ見えて野心はある。病院の規則や法的な問題が必ず絡んでくるから簡単な話じゃないとは思うけど、可能性は0じゃない」
「うん……。ああ。それからオレ名義でスマホを4つ契約する。3人とレイナの分だ」
まずはレイナとアン、そしてトムを連れて役所にいこう。
会社には連絡して、たまった有給を完全に消化する。
基本的に当日の申請は不可だけど、須藤にいって交渉条件として特例にすれば問題ない。
同時進行でエリカには山城に電話してもらう。
ルナはルナで必要なものを買い足せばいい。
必要な軍資金は……。
ああ、ATMは上限があるから銀行にいって全部引き出そう。
4,000万引き出すっていったら驚くかな?
いや、そうでもないか?
……それ以前に無理か? 100万なら? 200万程度?
行ってみないと分からないな。
■調布市役所 10:00
ダメだった。
200万を超える金額は犯罪収益なんとか法で身分証明書が必要で、しかも数日かかるらしい。
今日……200万で足りるかな。
ピコン――。
銀行行ったけど200万しか無理だった。
とりあえずマルクスに100万とルナに50万渡す。
エリカは金がどうこうじゃないだろうから、後の話だな。
ああ、マルクス。
ベアリング、ボールねじ、リニアガイドとか、いろいろ任せた。
――ケント。
「 「 「了解」 」 」
「おおお! 久しぶりじゃねえか! ぜんぜん連絡よこさねえと思ったら、何だこの金髪美人は? あれ、カワイイ子どももいるな」
「バカタレ、茶化すんじゃねえよ。で、どうなんだ?」
銀行に行って金を受け取った後に、マルクスとルナに会って金を渡した。
その後役所にいって同期の田代とあって結婚相談をしている。
「それなんだけどな……。あれからすげー気になって考えたんだけど、方法は一つしかないと思う」
田代は真剣な顔でオレを見た。
「お前の奥さんと……えーっと、名前は?」
「レイナだ。それからこっちがアンナで男の子がトム」
「そうか。玲奈さんに杏奈ちゃんに、トム……まあ斗夢ちゃんとしよう。……戸籍がないんだろ? 前にも言ったけど、普通に考えたら無理だ。でも、もしやるなら……記憶喪失者として届け出るしかない」
記憶喪失!
……確かに、それ以外に手はない……か。
「まず警察に届けて保護してもらう。次に福祉事務所と病院で診断書。最終的に家庭裁判所に申し立てて就籍許可をもらう流れだ。全部終わるのに、早くても数か月はかかる。下手すりゃ1年以上だな」
それは問題ない。
どのみち社宅マンションは老朽化で建て替えているんだ。
売却する方向で決まっているから、オレが買う。
そうすれば家族である必要もない。
ただ保険とか扶養とか、そのへんで家族の方がいいんだよな。
オレは幸か不幸か離婚しているし、法的にも問題ない。
「お前が身元引受人になって、全部の手続きをサポートするんだ。相当大変だぞ。覚悟はあるか?」
「まったく問題ない」
「……よし、分かった。できるだけのサポートはする」
「ありがとう」
■警察署
田代に礼を言って、オレたちはその足で警察署へ向かった。自動ドアを抜けると、独特の緊張感が漂う空間が広がる。
「どうされましたか」
受付の若い警察官に声をかけられて、オレはレイナたちをかばうように1歩前に出た。
「身元不明の女性と子どもを保護しました。記憶がないみたいで……」
オレの言葉に警察官の目が鋭くなる。
別室に通されて、生活安全課と名乗る年配の警察官から改めて事情を聞かれた。
「お名前は?」
警察官の問いに、レイナは練習通りか細い声で答えた。
「……分かりません」
トムとアンは、場の雰囲気にのまれてオレの服を固く握りしめている。
写真撮影、所持品の確認と、手続きは淡々と進んでいった。
警察官は身元確認のために指紋採取も提案したが、レイナは不安そうに首を横に振る。
オレは『まずは写真と所持品の確認だけで』と伝えた。
■山城総合病院
「夢だと思いたかったけど、やっぱり来たんだな」
ベータ宇宙(異世界)では2か月半経過していたが、地球ではわずか1日しか経っていなかった。
山城はエリカの姿を見て複雑な表情をしている。自らの大学時代の友人であり、患者でもあり、そして今は昏睡状態のはずの、異世界からやってきた女性でもあった。
彼は、混乱して思考回路が麻痺している訳ではない。
この異常事態を冷静に分析し、自らの利益とリスクを天秤にかける経営者の目に変わりつつある。
「君の存在そのものが、オレのキャリアを終わらせる爆弾になり得る。いや、間違いなくなる。その上で、オレに何をしろと?」
「前に話した通りよ」
まさに無理を承知で、と言わんばかりの表情でエリカは続ける。
「あなたのキャリアを終わらせるかもしれない、でもそれを、あなたを見込んでやって欲しいと言っているの。必要とする医薬品とポータブル機器を、院外へ供給してもらいたいのよ」
エリカが要求を再度伝えると、山城はフッと鼻を鳴らした。
もう恐怖と混乱はない。
「でも、一晩考えたらリスクとリワード……失うかもしれないものと、得られるもの。天秤にかけて、どっちにしようか結論が出たんじゃない? というかその選択肢しかないんじゃない?」
エリカも負けじと応じる。
山城の性格と今の立場、そして将来を考えた応酬だ。
「さすがだな、エリカ。君はちっとも変わってない。そのとおり、オレに残された選択肢は1つしかない。この理解不能な事態を拒絶して破滅するか、あるいは……利用できるだけ利用して、オレのキャリアと名声と願望の糧にするかだ」
彼は椅子から立ち上がり、ゆっくりとエリカに歩み寄る。
「わかった。……取引だ」
山城はデスクの椅子に深く腰掛け、指を組んだ。
「エリカ、君たちの要求はのむ。だが条件がある。君たちの身体に関する全ての医学的データ、そして異世界で得た知見の全てを、オレに独占的に提供しろ。これは協力ではない。君たちの命綱をオレが握るための、契約だ」
次回予告 第37話『取締役、須藤』
異世界から帰還したケントたちは、銃製造の時間短縮のため、地球での物資調達と各種交渉を開始する。
ケントはレイナたちの戸籍取得のため『記憶喪失』という偽装工作に着手。
一方、エリカは山城院長と対峙する。
破滅のリスクと医学史を塗り替えるリワードを天秤にかけた山城は、協力者ではなく『管理者』としてケントたちの命綱を握ることを宣言し、歪な契約が成立する。
次回、ケント(健太)を左遷した張本人、同期で取締役の須藤との対決が始まる。すでに勝負はついたとばかりに須藤は話を進めるが、ケントもやられっ放しではなかった。


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