第35話 『耐火粘土を求めて』

 1592年1月初旬 南ネーデルラント リエージュ

 12月下旬にアムステルダムの港を後にしてから約2週間が経過した。

 先遣隊を乗せた船はマース川を遡上して、目的地のリエージュに到着する。冬の朝霧が川面に立ち込め、丘陵に囲まれた街並みが薄ぼんやりと見えてきた。

 船がゆっくりと川岸に接岸すると、湿った冷気が甲板に立つ男たちの頬を刺す。

「ついに着いたな」

 ディルクが呟きながら、シャルルとヨハンを伴って誰よりも先に上陸した。

 足元の地面は朝露で湿っており、踏みしめるとぬかりと音を立てる。

「計画通りこれから部隊を二分する。シャルルとヨハンは探査分析チームとして、直ちに候補地へ向かってくれ。オレたちは炭鉱の所在地を正確に把握する」

 ディルクは部下たちを見回しながら続けた。

「まずは石炭層の露頭を確認し、次に耐火粘土の鉱床を探す。この2つの資源なくして高炉は建設できん。工業拠点の立地は、これらの調査結果を踏まえて決定する」

「わかった。まずはウルト川の支流沿いを重点的に調査しようと思う。川の内側の崖面に白い粘土層が露出している可能性があるからな」

「僕は現地で粘土の成分分析をやります。カオリナイトの含有量を確認して、高炉用耐火レンガに適しているかを判定します」

 シャルルに続いてヨハンが発言するが、2人とも意識が高い。

「ああ、粘土の場所や成分はわからんが、よろしく頼むぞ」

 ディルクは二人に力強くうなずき返すと、すぐに背を向けた。

 そして船から荷物を降ろして整列していた十数名の職人たちに向き直る。

「よし、聞け。オレたちはこれから、石炭の露頭を探す。この辺りの地理に詳しい者はいないか。港の人間でも構わん。炭鉱の場所を知る者を探し出せ」

 彼の指示で数名の職人が素早く動き出し、船員や遠巻きに様子をうかがっていた現地の荷役人夫たちへ声をかけに走った。ディルクの現場指揮は常に具体的で、目標が明確である。

 残りの者たちには、荷物の最終確認と野営準備を命じた。

 一方、シャルルとヨハンは、数名の助手を連れて南へと歩き始めていた。

 目的地はディルクに告げたウルト川の支流で、ぬかるんだ道なき道を進む。冬枯れの木々が立ち並ぶ丘陵地帯は静まり返り、彼らの足音と荒い息遣いだけが響いた。

 シャルルは先頭を歩きながら、鋭い視線を絶えず左右の地面や崖に向けている。

 彼の目は、単なる風景を見ていない。土の色合いの変化、岩石の重なり方、植生の違い。それら全てが、地下に眠る資源の存在を示す情報であった。

 彼は時折足を止めては地面に落ちている石を拾い上げ、じっくりと観察した。

 ヨハンはシャルルの少し後ろを歩きながら、考え込む。

 これから発見されるであろう未知の粘土の性質を、どうやって迅速かつ正確に見抜くか。

 船に積んできた分析機材は限られている。

 まずは水簸(すいひ)によって不純物を取り除き、乾燥させた後の収縮率を計測する。次に、手製の窯で焼成し、その耐熱温度と硬度を確かめる……。

 108人の転生者によってさまざまな開発と改良がなされ、原始的ではあるが、温度計と湿度計も完成していたのである。

 彼の頭脳は、既に仮設研究室での実験手順を何度も反復していた。

 しばらくして、ディルクのもとに朗報がもたらされる。

 職人たちが見つけてきた現地の猟師が、街の南西にある丘陵に石炭層が露出している場所を知っていると証言したのだ。

 謝礼を弾んでその猟師を道案内として雇い入れる。

 ディルクは職人の半数を率いて、直ちにその場所へと出発した。

 猟師の案内で森を抜け、急な斜面を登っていく。

 1時間ほど歩いたところで、猟師が足を止めて崖の一点を指さした。

 そこは地層の断面が黒い帯となっていて、はっきりと地表に現れている。

「これだ」

 ディルクは崖に近づいてつるはしで黒い塊をいくつか掘り出した。手に取ってその重さを確かめる。指先で砕くと、鈍い光沢を放ちながらボロボロと崩れた。

「これはいい。良質な歴青炭だ。発熱量も高いだろう。燃料としては申し分ない」

 彼は満足げにうなずくと、職人たちに周辺の測量とサンプル採取を命じた。これで計画の柱の1つ、燃料の確保に目途が立った。

 同じころ、シャルルとヨハンの一行もまた、目的地であるウルト川の支流にたどり着いていた。水量の減った川は、その両岸に地層の断面を無防備に晒している。

 シャルルは水際まで下りると、川の流れに沿ってゆっくりと歩き始めた。

「あったぞ」

 探索を開始して間もなく、シャルルが低い声で言った。

 彼の視線の先の川が大きく蛇行する内側の崖に、周囲の赤茶けた土とは明らかに異なる層が横たわっている。陽光を浴びて、白く輝いて見えた。

 シャルルは急いで崖をよじ登ると、ハンマーでその白い地層の一部を叩き割る。慎重に剥がされた粘土の塊を、彼は食い入るように見つめた。

 指でこすると、粒子が非常に細かく、吸い付くような滑らかさがある。

「ヨハン君、来てくれ」

 シャルルの声には、確信がこもっていた。

 ヨハンは急いで駆け寄って差し出された白い塊を受け取った。彼は指先で粘土を少しだけ削り取り、その感触を確かめる。
 
「……素晴らしい」

 ヨハンは抑えた声で言った。

「この感触、そして目視できる不純物の少なさ。質の高いカオリナイトを主成分としている可能性が非常に高いです。ですが断定はできません」

 彼はシャルルに向き直り、真剣な表情で続けた。

「すぐにこれを拠点へ持ち帰って分析を開始します。まずディルクさんの部下に焼成試験用の小さな窯を急いで作ってもらいます。それと並行して水簸で精製し、乾燥させる。完成した窯でサンプルを焼き、その耐火性と強度を数値で確認して、初めてこれが我々の求める『礎』となれるか結論が出せます」

 彼の言葉に、同行していた助手たちから安堵のため息が漏れた。

 シャルルは満足げに白い地層を見上げる。

「この厚さと広がりを見る限り、埋蔵量も相当なものだ。これだけあれば、シャモット進化法を何度も繰り返せる。よし、急いでサンプルを採取し、拠点に戻るぞ」

 シャルルの指示で、一行は持参した袋に白い粘土を詰められるだけ詰める。ずしりと重くなった袋を担ぎ、彼らは日暮れ前に集合場所である船着き場へと帰還した。

 ディルクのチームも既に戻っていて、野営の準備が完了している。焚き火がいくつも焚かれて、男たちが暖を取っていた。

 ディルクは、シャルルたちが持ち帰った白い粘土の塊と、自分が持ち帰った黒い石炭の塊を並べて置いた。

「両方とも見つかった。しかも互いにそう離れていない。これは幸先がいいぞ! 拠点はこの2つの採掘場所の中間地点に設営する。明日、改めて候補地を測量して決定する」

 彼の決定に、異を唱える者はいなかった。

 その夜、簡素な食事を終えた3人は、1つの焚き火を囲んでいた。揺れる炎が、彼らの真剣な顔を照らし出す。

「ヨハン、分析にはどれくらいかかる」

 ディルクが尋ねた。

「明日、仮設の研究室を設営でき次第、すぐに取り掛かります。正確な成分比率と最適な焼成条件を見出すのに、最低でも1週間は必要です」

 ヨハンは答えた。

「わかった。その間、オレたちは拠点の本格的な建設を進める。研究室と宿舎、倉庫を最優先で建てる。ヨハンの分析結果が出次第、第一炉の建設に取り掛かるぞ」

 ディルクの言葉に、シャルルとヨハンは力強くうなずいた。

 リエージュの冷たく湿った大地の上で、彼らの計画は確かな一歩を踏み出した。

 次回予告 第36話 『化学の審判』

 リエージュに到着した先遣隊は二手に分かれ、製鉄に不可欠な資源探査を開始した。

 ディルク率いるチームは良質な石炭層を発見し、シャルルとヨハンのチームも炉の素材となる耐火粘土の鉱床を発見する。

 計画は順調な滑り出しを見せ、いよいよ粘土の化学分析と拠点建設が同時に始まることになった。

 しかし発見された粘土が本当に炉の熱に耐えうるかは、まだ誰にも分からない。

 ヨハンが始める一週間の化学分析と焼成試験の結果に懸かっている。

 果たして歴史を覆す最初のレンガは、炎の試練に耐えることができるの?。

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