第9話 『エイトリとミスリルとオリハルコン』

 王国暦1047年9月26日(土)10:00 = 2025年9月6日(土)21:21:16<田中健太>

 外からの光が届きにくい街を、坑道から採掘される発光石が青白く照らしている。

 何だろう?

 例えるなら地下街や地下鉄の駅。24時間稼働の工場や倉庫。あ、あとはなんだもやしなんかを育てるLEDみたいな。

 石炭と鉄の匂いが混じっていて、あっちこっちからリズミカルなカナヅチの音が響き渡っていた。

 背が低くて屈強な体つきのドワーフばっかりで オレたちを珍しそうに見ているけど、敵意は感じない。

 ヒト族はドワーフの品を買いに来た商人たちぐらいしかいないようだ。

 オレたちはまず、ギルドで紹介された宿に落ち着いた。

 もちろんここにもギルドはある。

 一番大きいのは、やっぱり生産者ギルドだ。

「すごい場所ね。空が見えないのに、こんなに明るいなんて」

 エリカが天井の発光石を見上げて言う。

「さて、伝説の職人、エイトリ殿の工房はどこにあるか、分かるか?」

 ガルドが宿の主人に尋ねる。

 ドワーフの主人は長い髭をしごきながら答えた。

「エイトリの爺さんなら、街外れの第三工房区画だ。だが、あの爺さんは相当な偏屈で有名だぞ。ヒト族の依頼なんざ、まともに聞いてくれるかどうか」

 前途多難を予感させる言葉だったが、ここまで来て引き返すわけにはいかない。オレたちは荷物を解くと、早速エイトリの工房へ向かうことにした。

 第三工房区画は、ひときわ大きな槌音が鳴り響く場所だった。

 巨大な溶鉱炉がいくつも並んで火花と熱気が渦巻いている。

 その一角にひときわ古びた、それでも頑丈そうな石造りの工房があった。

 表札にはドワーフの文字で『エイトリ』と刻まれている。

 うーん、この辺は兄弟で似るんだろうか。

「ごめんください!」

 マルクスが工房の分厚い扉を叩くと、しばらくして中から不機嫌そうな声が返ってきた。

「うるさい! 何の用だ!」

 まったく同じ……。

 ギィ、と重い音を立てて扉が開く。

 現れたのは、腰までのびた真っ白な髭を持ち、片眼鏡をかけた初老のドワーフだった。筋骨隆々とした腕には、無数の傷跡が刻まれている。エイトリ本人に違いない。

 エイトリはオレたちを一瞬だけ見ると、すぐに興味を失ったように顔をしかめた。

「ヒト族か。何の用だ。ひやかしなら他を当たれ。今、忙しい」

「突然の訪問、失礼します。私、ケント・ターナーと申します。あなたにしか作れない部品があり、ぜひお願いしたく参りました」

 オレは頭を下げて、ブロックからの紹介状を渡した。

「王都のブロック殿からの紹介状です」

「ブロック? ああ、あのバカ弟か」

 エイトリは忌々しげに呟くと、紹介状をひったくって雑に目を通した。

 読み進めるうちに、わずかに眉が動く。

「……ふん。弟の頼みだから聞いてやらんこともないが、何を作ってほしいというんだ」

 オレは言葉で返す代わりに設計図を見せた。

 エイトリは片眼鏡の位置を直しながら、侮蔑の色も隠さずに図面に目を落とした。

 次の瞬間、その動きがぴたりと止まる。

 最初はバカにしていたエイトリだったが、やがて食い入るような職人の目に変わっていく。彼は図面をひったくるように手に取ると、指でなぞりながら唸り始めた。

「この歯車の噛み合わせ……誤差の許容範囲がここまで精密だと? 馬鹿な。ヒト族の技術で、これをどうやって実現するつもりだ」

「だからこそ、あなたの力が必要なのです。この部品には特殊な合金の鋳造と、寸分の狂いもない削り出し加工が不可欠です。王都の技術では不可能でした」

 オレは部品に必要な素材の配合や、加工の際に注意すべき温度管理について、具体的な数値を挙げて説明を続けた。

 エイトリは唸るように聞き入っていたが、やがて顔を上げた。

 さっきまでの侮蔑の色は消えて、純粋な技術者としての好奇心の炎が宿っていた。

「……面白い。実に面白い。この構造、この発想……」

 エイトリは納得してニヤリと笑った。

「いいだろう。この仕事、引き受けた。ドワーフの職人エイトリの名にかけて、図面以上のものを作り上げてやる。ただし、完成まではここに泊まり込んでもらうぞ。お前のその頭の中身も、とことん利用させてもらうからな」

 偏屈な伝説の職人が、初めて見せた笑顔だった。

「あああー!」

「どうした?」

「何じゃい、やかましい!」

 マルクスが近くにあった金属片をみて叫んだ。

「ケント、これもしかして、チタン合金じゃないか! ……こっちは、ぐあっ重い! ひょっとしてタングステンカーバイド?」

「何を言っておるんだ? ミスリルにオリハルコンじゃないか!」




 えええええええええ!

 ミスリルってあのミスリル?

 オリハルコンって……本当にあったんだ……。




「え? オリハルコンって銀色じゃ?」

 とエリカ。

「私は赤みがかった色だって聞いてるけど」

 これはルナ。

「まったく、ヒト族はこれだから好かん。伝説だの奇跡だの、分からんもんにすぐ大げさな名前をつけたがる」

 エイトリは心底うんざりしたように、ガシガシと白い髭をかきむしった。

 マルクスは金属片を食い入るように見つめて、オレたち3人は完全に置いてけぼりだ。

「まず、そこの小娘たち。オリハルコンの色が銀だの赤だの、くだらん言い伝えに惑わされおって。現実の色は暗い灰色か黒に近い灰色だ。それに、オリハルコンって名前は……ワシは学はないが金属については別だ」

 そう言ってエイトリはさらに続ける。

「オリハルコンの語源は神代の昔から、ὄρος (oros / オロス/山)とχαλκός (chalkos / カルコス/銅もしくは青銅)が合わさったもんじゃ。山の青銅じゃな。じゃから採れる場所場所によって違うのじゃ。若い頃、海をわたった島には赤い色をしたオリハルコンがあったがの。色は1つじゃない」




「は、はあ……」

「そう、なのね……」

 エリカとルナが気の抜けた返事をする横で、マルクスだけが嬉々としている。

「なるほど! 鉱脈に含まれる微量な元素の違いですか! ? それとも熱処理による結晶構造の変化で発色が変わるんですね!」と一人で納得している。

「ほう、そこの若いの。少しは分かっているようじゃな」

 エイトリはマルクスの食いつきぶりに、少しだけ口の端を上げた。

「こいつらが超貴重な奇跡の鉱石だと? 半分正解で、半分はデタラメだ。確かに採れる場所は限られる。だがな、ヒト族が思うほど希少なわけじゃない。このイワオカの奥深くには、こいつらの鉱脈がいくらでもあるわい」

「ええっ! じゃあ、どうして伝説の金属なんて言われてるんだ! ?」

 マルクスの驚きの声に、エイトリは鼻を鳴らした。

「決まっておろう。加工できる職人がおらんからだ。ただそれだけのことよ。そこらの鉄を叩くのとは訳が違う。例えば、このミスリル」

 エイトリはチタン合金の塊を指さす。

「こいつはそこらの炉の火ではびくともせん。生半可な槌で叩けば、槌の方が砕け散る。削ろうとすれば、ヤスリが悲鳴を上げてなまくらになる。粘り気が強すぎて、まともに形を整えることすら神業だ。王都にいるワシのバカ弟が、どこまでやれるか……まあ、分からんな」

 そこまで聞いて、オレはゴクリと唾をのんだ。

 つまり、それだけ高度な技術がなければ、宝の持ち腐れだということか。

「それから問題はこっちだ。オリハルコン」

 エイトリはタングステンカーバイドの塊を、足でゴツンと蹴った。

 鈍い、全く響かない音がする。

「こいつで剣や鎧を作れば最強だと? 笑わせるな。そんなものを作るやつは、戦いを知らんド素人か、ただのバカだ。こいつには致命的な欠点が2つある」

 エイトリは指を1本立てる。

「1つは重すぎる。鋼の倍は重い。こんなもので剣を作ったところで、まともに振ることすらできんわ。ただの重いだけの棍棒だ。鎧なんぞ作ろうものなら、着たが最後、二度と自力では動けんようになるぞ」

 オレとエリカ、ルナは顔を見合わせた。

 最強どころか、実用性ゼロじゃないか。

「そして2つ目、こっちの方がより深刻だ。こいつはな……硬すぎるが故に、脆い」

「脆い! ?」

 マルクスが信じられないという顔で叫んだ。

「そうだ。こいつは傷ひとつつかんほど硬いが、粘りというものが全くない。焼き物と同じよ。鋼の剣で真芯を打ち抜けば、刃こぼれもせずにパリンと砕け散る。鎧も同じだ。メイスの一撃でも喰らおうものなら、凹みもせずに、陶器のように粉々に砕け散るだろうな」

 静まり返った。

 マルクスは目を輝かせているが、オレたち3人は絶句だ。

 軽くて強いミスリルに、硬くて重くて脆いオリハルコン。あまりにも極端すぎる。

「じゃ、じゃあ、どうやって武器にするんだ……?」

 オレが恐る恐る尋ねると、エイトリは初めて満足げな笑みを浮かべた。

「ようやく分かったか、ヒト族。だから言うたろう。使いこなせる職人がおらんと。こいつらは単体で使うものじゃない。他の金属と組み合わせて、初めて真価を発揮する」

 エイトリは工房の壁にかかった見事な戦斧を指さした。

「あの斧の刃を見てみろ。刃先の部分だけ、色が違うじゃろう。あれは、粘りのある鋼を芯にして、刃の部分にだけ薄くオリハルコンを鍛接してある。そうすれば、芯の鋼が衝撃を吸収して究極の切れ味だけを享受できる。鎧も同じよ。鋼の鎧の表面に、こいつを薄い鱗のように貼り付けてみろ。打撃の衝撃は鋼が受け止め、刃はオリハルコンが滑らせる。これが本当の使い方よ」

 それは、もはや単なる鍛冶の域を超えた、素材工学の講義だった。

 マルクスは恍惚とした表情で聞き入り、オレとエリカとルナは、ただただ圧倒されるしかなかった。




「す、すごーい! 素晴らしい! 流石ですね! じゃあ、部品の件はお願いします! 毎日顔を出すので!」

 半分裏返りそうになる声を必死で我慢して伝え、オレたちはエイトリの工房を後にした。

 あれは、間違いなく止まらん。

 とにかく、宿屋に戻った。

 後は工房に出勤しながら仕上がりを待つだけだ。

「マルクス、もし、もしだよ。地球の設備が持ち込めるとしたら、まあ、大きなものは無理だけど、マンションのドアサイズくらいかな。持ち込めたら、つくれるか?」

 オレの問いに、マルクスはそれまでの興奮した表情を一変させ、真剣な冶金学者の顔つきになって即答した。

「いや、無理だな。問題はそこじゃない」

「どういうことだ?」

「確かに、現代の小型の旋盤や分析機器を持ち込めれば、作業効率は上がる。でも、根本的な問題はそこじゃないんだ。最大の壁は2つ。1つは途方もない電力に、もう1つはこの世界には存在しない化学薬品だ」

「……そうか」

「でも何で?」

「え、あ、いや……もしもって話だよ」




 そうか……難しいか……もしかしたらって思ったんだけどな。




 宿へついて長旅の疲れを癒やすオレたちだったが、まだ気づいていなかった。

 宿屋の向かいの建物の影から、オレたちの値踏みする複数の目があったことに。




 次回予告 第10話 『革新の槌音と火箭』

 印刷機の精密部品製作のため、ドワーフの都を訪れたケント一行。

 伝説の職人エイトリは偏屈だったが、ケントの画期的な設計図に感銘を受け協力を快諾する。

 工房で伝説の金属ミスリルやオリハルコンの驚くべき特性と加工技術を目の当たりにした一行。

 部品完成に目処が立つが、彼らは何者かに監視されていることにまだ気づいていなかった。

 次回、印刷機部品は完成するのか? 付け回す男たちは何者で、危害を加えるのだろうか?

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