第4話 『ドワーフの工房と魔法省の魔の手』

 王国暦1047年9月7日(月)07:00 = 2025年9月6日(土)18:10:01<田中健太・52歳>

 目が覚めた。

 窓から心地よい朝の光が差し込んでいる。

 チュンチュンチュン……。

「あなたー、ご飯できてるわよ。起きてー」

 レイナの声が階下から聞こえてくる。

 そうだ……昨日、やっちゃったんだ……オレ。

 うーん、どうしよう。

 まあ、仕方ない。




「もーお父さん遅い! アンお腹すいたよ~」

「ちょっとアン、お父さん疲れているんだから、そんなこと言っちゃダメでしょ」

 ドンドンとテーブルをたたいてふくれっ面をしているアンに、レイナが注意している。

 疲れている?

 行方不明だったから?

 それとも昨日の件で?

 そういえばレイナは昨日より心なしか浮かれているようだ。

 ほんのりと紅潮しているし、オレに向けるまなざしには昨日の不安を感じない。

 ……いかん。目を合わせられない。

 オレはばつが悪いのをごまかして食卓についた。

 テーブルの上には湯気の立つオートミールと黒パン、それからチーズが並んでいる。

 質素だけど温かい、本物の朝食だ。

「さあお父さん、たくさん食べて! 今日からお仕事に行くんでしょ?」

「ああ……。そのつもりだ」

 アンが無邪気に話しかけてくる。

 オレはアンの頭をポンポンしながら、昨夜からの印刷機の改良計画を思い出した。




「やあ! ケント、戻ったのか? 無事でなによりだ」

 木工ギルドの連中が声をかけてくれた。

 どうやらオレはそこそこ人付き合いは良かったようだな。

「ああ、心配かけたね。ところでコレ、もらっていっていいか?」

 オレは作業場に散乱して山積みになっている木くずを指さした。

「は? 木くずなんて何するんだ? まあ持ってってくれるなら助かるけど」

 トイレにまく!

 まく! まく! まく!

 この前エリカも言っていたが、臭くてしょうがない。

 木くずには天然の消臭効果がある。

 木材に含まれる成分が臭いの原因物質を吸着・中和するらしいからな。

 排泄物の水分を効率的に吸収して便槽? 内の水分量が減って、結果的に悪臭の発生源になる嫌気性発酵を抑制できる。

 微生物による分解促進もできるらしいけど、これはまあ、温度管理やなんやらでいろんな条件がつく。

 まあ臭い消しにはいい。

 家に持って帰るのと、あとはエリカとルナにもあげよう。

 マルクスは……気になるようならあげるか。

「ありがとう、仕事帰りに寄るよ」




 ■精密加工ギルド 工房

 扉を開けると、意外なことに先客がいた。

 マルクスがオレの書きかけの設計図を広げてうなっている。

「おっすケント! 設計図見たぜ。うーん、オレたち『鍛冶屋ギルド』の仕事は、主に鍛造による実用品の製造なんだよな。印刷機のレバーや留め具、単純な金具とかの部品なら問題ないと思う。だけどメインフレームとなると……必要な寸法精度が違う。これはオレたちの領域じゃなく、切削や精密加工を専門に得意とする『金属加工ギルド』に発注すべきだな」

「マルクスか。早いな。……なるほど、やっぱ専門家は言うことが違うな」

 マルクスは前職が鉄工所勤務の冶金技術者、つまり日常業務の管理や、品質・プロセス管理全般を担当していた。

 それが今や鍛冶師ギルドなんて、何だかなあ。

 体動かすのが意外に好きだった?

 現代の鉄工所は、鉱夫ギルドや製鉄業ギルド、それから金属加工ギルドと鍛冶屋ギルド、溶接職人ギルドや金細工師ギルド(一部)の機能を統合している。

 マルクスの的確な指摘にオレは思わず感心した。

 鉄の部品は全部鍛冶屋に丸投げして、『金属加工ギルド』の親方に怒鳴り込まれるところだったぜ。

 オレは新しい紙を広げる。

 うーん、地球でプロジェクトリーダーをやってた頃を思い出すね。

 オレは失敗した設計図の紙くずのやまをゴミ箱に放り投げる。

 これも大事な資源。

 着火用だ。

 紙だって安くはない。

 今の相場で1枚(32cm×44cm)は0.52フェン。

 15枚つなぎ合わせて約8フェンだ。

 ちなみにこの世界の通貨レートはちょっとややこしい。




 1 ルミナ(金貨 純金3.5 g)= 1.25クラウン=6.25シール= 25グロシュ=150フェン

 1 クラウン(大銀貨 純銀28g)= 5 シール= 20 グロシュ = 120 フェン

 1 シール(銀貨 純銀5.6g)= 1シール = 4グロシュ = 24フェン

 1 グロシュ(大青銅貨)= 6 フェン(小青銅貨)




「それで……最終的な組み立てはオレたち『精密機械工ギルド』が担当する。いいか?」

「わかった。……けど、さっきはああ言ったが、正直できるかわからんぞ」

 マルクスは少し難しい顔で続けた。

「ぶっちゃけ職人たちの気位はすっげえ高い。一筋縄じゃいかない連中だけど、なんとか説得してみせるよ」

 面倒くさそうだな……。

 まあいい、面白い。やってやろうじゃねえか。




 ■王国暦1047年9月10日(木)12:00=2025年9月6日(土)18:42:06

 それからの3日間は、マジで目まぐるしかった。

『はあ? お前馬鹿にしているのか? できるわけねえじゃねえか!』

 全部のギルドで同じことを言われた。

 鋳鉄製の一体成型フレームや圧力機構。トグル機構や活字の精度については、ミクロン単位の誤差もなく作る技術は……やっぱり存在しなかった。

「ケント、工房は全部回ったのか?」

「ああ……いや、あと1つだけ残ってたな」

「どこだ?」

「いや、ギルド街の隅っこの古びた……やってんか? ってくらいの工房があった。確か……ブロック工房」

「……あれかー」

「どうした?」

 マルクスがうーん、とうなっている。

 なにか問題なのか?

「いや、ドワーフのブロック親方がやってる工房で、鍛冶・金属加工・金細工・精密加工全部やってんだが……ちょっと偏屈でな」




 どうでもいい!

 当たってくだけろだ。



 ■魔法省魔導院

「何? ケント・ターナーが戻ってきただと?」

 魔法省魔導院の執務室で、男は部下の報告に驚きを隠せない。

「いつだ? いつ戻ってきたのだ?」

「はい、それが……4日ほど前かと」

「馬鹿な! なぜすぐに知らせんのだ」

 怒った男は机を叩いて怒鳴った。

「いえ、その……報告はしていたんですが……」

「黙れ! ……まあいい。どうやって戻ったかは知らんが……。おい、その戻ってきたターナーはどうなのだ? ちゃんと見張りはつけているんだろうな?」

「もちろんです」

「何かあればすぐに知らせるのだぞ」

「承知しました!」




 ■ブロック工房

「すいませーん、いらっしゃいますかー。すいませーん!」

 奥からはガンガンガンガン。ガリガリガリガリ。

 いるのは間違いない。

「おい! 誰だ! 仕事中にやかましい!」

 ドワーフ特有のしわがれた声が奥から響いてくる。

「すいません! 仕事の相談があるんです! ちょっとだけお時間を!」

 ガンガンガンガン……。

 ……。

 音が止まった。

 ドスドスドスと重い足音が近づいてくる。

「……何の用だ」

 扉の向こうから、低くて太い声。

「活版印刷機の部品製作をお願いしたくて。設計図を見ていただけませんか?」

「印刷機だと? ……まあいい、入れ」

 重い扉が開いた。

 現れたのは、背丈はオレの胸ほどしかないが、肩幅は倍近くありそうな筋骨隆々のドワーフだった。

 灰色の髭を腰まで伸ばして、その髭には金属の粉がキラキラと付着している。

「ブロック親方ですね。初めまして、ケント・ターナーです」

「……ふん。挨拶はいらん。で、その設計図とやらを見せろ」

 オレは丁寧に設計図を広げた。

 親方は無言でそれを見つめている。

 1分、2分……。

「……これは」

 親方の目が見開かれた。

「これは……お前さんがかいたのか?」

「はい」

「……なんという精密さだ。この圧力分散機構、この活字の配列システム……」

 親方は設計図に顔を近づけ、細部まで食い入るように見つめている。

「……お前さん、本気でこれを本当に作るつもりか?」

「はい。この部品さえできれば」

「……ふん」

 その部品とは活字の母型(パンチとマトリックス)と鋳造用精密金型。

 トグル機構の精密部品……スクリューとナット: 長さ30-50cm程度、重量数キログラム。支点用精密ピンに圧力調整機構だ。

 それからローラー軸受け部品と圧力伝達機構。




 親方は腕を組んで考え込んだ。

「正直に言おう。この設計図は素晴らしい。だが、この精度で作るには……わしの技術でも限界がある。特にこの活字の精密加工と、フレームの一体成型は……」

 またダメか……。

「だが」

 親方が続けた。

「完璧を目指すなら、わしの兄を訪ねるがいい」

「兄?」

「ドワーフ州の州都イワオカにいるエイトリという。わしなど足元にも及ばぬ技術を持っている」

 親方は奥から紙を取り出し、何かを書き始めた。

「これは紹介状だ。エイトリに渡せ。『弟のブロックからの紹介』と言えば会ってくれるだろう」

「ドワーフ州……」

 それは王都から馬車で片道10~16日はかかる遠方(474km)だ。

「お前の設計図を見る限り、中途半端な物では満足できまい。最高を目指すなら、最高の技術者のもとへ行け」

 親方は紹介状をオレに手渡した。

「ただし、エイトリは気難しい。わし以上にな。覚悟していけ」

「ありがとうございます!」

 オレとマルクスは深々と頭を下げた。

 希望の光が見えた。

 ドワーフ州への旅……。

 往復で約1か月。

 32日と考えれば地球時間では……約5時間20分か。

 日の出前には戻れるかどうかは、制作時間によるな。

 間に合いそうになかったらいったん戻って、地球に移動しよう。




 次回予告 第5話『ドワーフ州へ』

 ケントは王都の全ギルドから印刷機製作を拒否される。

 一方、魔法省はケントの帰還を察知し監視を強化。

 最後の頼みの工房主、偏屈なドワーフのブロック親方が設計図に感銘を受け、ドワーフ州の兄エイトリへの紹介状を渡す。

 ケントは最高の技術を求めてドワーフ州への1か月の旅を決意する。

 しかし、往復で十分な時間はあるものの、問題は制作時間。

 次回、ドワーフ州行きを決めるケントたちだったが、娘のアンは頑なに一緒に行くと言って聞かない。さて……。

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