1986年(昭和61年)4月25日(金曜日)<風間悠真>
毎年、毎年やってくるいやーな日が、今年も来た。
家庭訪問だ。
思春期の男子中学生にとって嫌なイベントのひとつである。
ちなみに、そのイベントは三者面談・運動会(要するに親が来る学校行事)、そして家庭訪問だ。
今思えば(51脳)、親は大事にしないといけないと分かっている。
自分がちゃんと親孝行できているのか、ときどき自問自答していたもんだが、当時は(今)そんな事は考えもしない。
何と言うか、背伸びしたい年ごろである。
「なあ祐介、お前、家庭訪問終わった?」
「あ? 昨日で終わったぜ」
「どうだった?」
「どうって、何が?」
オレと祐介は去年とは違って同じクラスの二組だ。担任も同じだから、訪問する先生も同じ。当たり前だ。
「いや、まあ今度が初めてじゃないけど、せんせが家に来るなんて嫌じゃねえか? お前ん家はキレイだからいいけど、オレん家はボロだからな」
ボロは言い過ぎかもしれないが、要するに古い家だ。
五右衛門風呂にくみ取り式のトイレって話は前にしたかな? 女の子を呼びたくない、いや、男も嫌だな。
その理由の一つだ。
いろんな面を友達と比較して、家庭の裕福さや境遇の良し悪しの責任を全部親に押し付ける。そして、育ててもらっているのを忘れて、反抗したり距離を置いたりする。
まさに、前世のオレがそうだった。
でも、今世は前世に比べて親孝行、祖父母孝行しているつもり。
つもりだ。
本当にじいちゃんばあちゃん、親父やおふくろがどう思っているかは分からん。
初めて反抗期というか、親や家族と距離を置かなくなったのは、高校を卒業して働くようになってからだった。
月並みな表現だが、金を稼ぐことの大変さを身をもって知ったからかな。
「ん……まあ、それに関してはオレは何も言えんなあ。オレたちがどうこうじゃねえからな。まあ、それで差別するせんせならクソだし、人間として最低だけどな」
「だな。で、お前昨日終わったんだろ? 親から何か言われたか?」
祐介の親には前に会ったが、結構な放任主義だ。
あまり細かくは介入してこない。
「親からはまぁ……バンドの事は大丈夫って言われたよ」
祐介の表情は少しだけ曇った。普段なら気にしない家庭の話題が、家庭訪問という特別な状況で重くのしかかってくる。
「成績も悪くないし、まあ好きにやれってさ」
オレは祐介の言葉にうなずいた。音楽への情熱が強すぎても、勉強をないがしろにしているわけじゃない。むしろ真面目な方だ。
オレたちは、軽音楽部創設以来、常に上位をキープしている。
「ていうか、お前まだだったのか?」
「うん、まだ」
去年までと、今年は違う。
もしかすると、来年も変わるかもしれない。
『風間悠真』の『か』と『仁木祐介』の『に』なら、オレの方が早いのだ。
そう、五十音順ならな。
どっからかわからんが、親の都合で最終的な日程は変わるのに、ベースの日程が五十音順なのはおかしいって議論が起きたらしい。
らしい=うわさだからだ。
それなら今年はくじ引きか。
まあ、どうでもいい。
そんなわけで、今年は悠真が早かった。
去年はクラスが違ったしな。
「悠真、もうこの話題やめにしねえか。つまらん」
「ああ、そうだな」
唐突な祐介の一言で家庭訪問の談義は終わり、放課後の練習へと向かう。
今日は平日で宇久兄弟はいない。
二人は基本的に土日祝日か特別日だけだ。
だから基本はオレと祐介、それから今はルークが入って、三人でやって週末に合わせる感じで練習している。
「で、お前はサユリンとどこまでやっちゃってんだ?」
音楽室に行く前に自販機でジュースを買った。
飲みながら立ち話、いや歩き話をして音楽室へ向かう。
これもルーティンみたいなもんだ。
「どこまでって、何だよ?」
「え? いや、男と女でどこまでって言えば、決まってんだろ?」
祐介は、? という顔をしている。
マジかこいつ。
本当にマジか? (日本語がおかしい?)
「……あ、あー! お前、そんな事考えてんのか? スケベだな!」
「いや、露骨にスケベって。あのさあ、健全男子と呼んでくれたまえよ! 13歳の健全な男子が、女子と何をするかって言えば決まってんだろうが。別に、おかしくも何ともないぞ」
……。
祐介との間に微妙な間ができた。
「ああ、その……まあ、なんだ。キスまではしたぞ。いや、オレからじゃねえぞ、なんかこう、そんな雰囲気になってだな。アイツが顔を寄せてきたもんだから、その、流れでな」
おー!
祐介、やるじゃねえか。
部分的だけど、コミュ障も良くなってきたんじゃねえか?
いや、それにしても女子って。
サユリン(黒川小百合)はものすごく控えめで、あんまり自己主張しないタイプだが、あの子も祐介と同じで二人っきりなら大胆(コミュ障改善)になるのかな。
それとも、女子は誰でも関係なく、男子より進んでいる?
まあ、それでも51脳搭載のオレにはかなわんだろうがな。
オレと祐介は音楽室へ向かいながら、わざとゆっくり歩いて時間を稼いだ。
オレは炭酸ジュースの缶のフチをくわえて、力を入れて上下に揺らす。
もう三分の二は飲んでしまったので、遊んでみた。
そう言えば昔からやってた気がするな。
頭からは家庭訪問の話題は消えている。
「で、お前は?」
突然、祐介が聞いてきた。
「え?」
「いや、だからさ。オレがキスの話をしたんだから、お前も何か話せよ」
え? マジで珍しい!
思わず缶を落としそうになった。普段あまり自分から話さない祐介が、こんな話題を振ってくるなんて。
「いや、まあ……」
美咲との校舎裏での出来事、礼子との神社での時間、そして|凪咲《なぎさ》との……。
どれも13脳が興奮する思い出だが、51脳が『ここは黙っておけ』と警告を発している。
フェラチオ寸前の手コキをしてもらったなんて言えるはずがない。
どんな反応を示すのか興味があるが、やめた。
「それは言えんな」
オレはニヤリと笑って答えた。
「なんだよそれ!」
祐介が思わず声を荒らげる。
その時、音楽室の前で待っていたルークが顔を上げた。
「Hey, guys! What’s up?」
オレたちの会話は、そこで途切れた。
次回予告 第74話 (仮)『GWだ! っつっても公立中学だしこの時代。大型連休なんてねえよ』

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