第18話 『世の中そんなに甘くない』

 1590年10月19日 オランダ ライデン

 前回の方舟会議(中二病商会の会員三人による廃屋での会議)で、フレデリックは10アールあたりのテンサイの生産量をもとに、ビジネスとして十分に成り立つと確信した。

 しかし生産効率を向上させるためには、病気対策や連作障害も考慮しなければならなかった。

 そこでシャルルが考案したのがノーフォーク農法である。この農法は、テンサイを取り入れ、カブや牧草の代わりに使用するシンプルなものだった。

 それにはジャガイモ・テンサイ・ヒマワリ・トウモロコシが含まれている。

 この四種類を組み合わせる最適な農法を、シャルル(中村健一)が提案してくれた。




 A.ヒマワリ(ジャガイモ・テンサイ・トウモロコシ)

 B.クローバー

 C.小麦

 D.牧草(必要に応じて、カバークロップとして刈り取った後にイネ科・マメ科・アブラナ科)

 E.大豆(または他のマメ科作物、あるいはカリウムの消費が少ない作物)




 AからEを1グループとして4種類つくる。

 各区画は1ヘクタールで、合計20ヘクタールの農地からスタートすることになった。

「まあ、間違いないだろうな」

 シャルルは自信満々である。

 ちなみにジャガイモだけでなく、ヒマワリやトウモロコシなどの種子もすべて、ライデン大学のクルシウス植物園にそろっていた。

 クルシウス様々である。

 それに同じ農学者(植物学者)同士、シャルルとは気が合うらしい。

 テンサイの品種改良や生産性向上には10年かかると聞いていたが、妙に自信を持っているようだ。

「シャルルおじさん、なんだか楽しそうだね!」

「え、おお、楽しいぞ。最近は農業人口が減ってはいるが、今回の農法を確立できれば、少ない人数でも安定した食料供給が可能になるんだ。それに、この五つの作物はどれも用途が広い。家畜の飼料にもなるし、人間の食料にもなる。うまくいけばオランダの農業は大きく変わるぞ!」

 最近は、と言っているので、おそらくシャルルは興奮して前世を語っているのだろう。

 近年の日本では、農業から離れる人が増加している。

 最近でこそ、基幹的農業従事者(専業農家)の20~49歳の年齢層の人口は増加傾向にある。

 しかし、依然として全体の数は減少の一途をたどっているのだ。

 フレデリックにとっては、当然の感覚である。

 前世では大学で理工学を学び、博士号を取得した後に外交官としての道を歩んだ男だったが、実家は農家だったのだ。しかも、父親の代から専業ではなく兼業になっている。

 これが何を意味しているか、分かるだろうか?

 そう、農業だけでは食っていけなくなっていたのだ。

 フレデリックは最近の農業には詳しくない。

 知りたくもなかった。

 3K=きつい、汚い、かっこ悪いの実体験があったからだ。

 しかし、それは前世の出来事。

 稼げるなら、別である。しかも自分が従事するわけじゃない。

「前回のお前の試算では、テンサイを一人あたり年間10アール栽培する前提でコストを算出した。でも家族経営でやれば効率化できるから、再計算した結果、年間1ヘクタールの栽培が十分に可能な数字になったんだよ」

 おおお! とフレデリックは小躍りした。

 一世帯だから5人とすればコストは5倍だが、1ヘクタールは10倍だ。収穫量が単純計算で10倍になる。

「それでおじさん、ヒマワリはどのくらい収穫できるの?」

 結局そこから油がどの程度とれて、石けんやロウソクになり、いくらで売れるかが問題なのだ。

「そういえば、お前は油にかなりこだわっていたからな。それならヒマワリだけじゃなく、トウモロコシや大豆からも油が取れるぞ」

「ああ、うん。それはおいおい、食糧事情との兼ね合いで考えるとして、ヒマワリは?」

 確かにトウモロコシや大豆からも油がとれる。

 問題は、搾油の効率とその量なのだ。

 シャルルは詳細な計算を何度もやって試算を重ねた。
 
 その精度はフレデリックの計算より数倍から数十倍高くなるだろう。全く見当がつかない。

 しかし、それでもこれはあくまで試算にすぎない。

 品種や土壌管理の方法など、現在とは条件が大きく異なるが、最終的な結論に至った。

 1ヘクタールあたりの収穫量は約430〜650kg、搾油量は約85〜160kgだ。

 160kgの油が112kgの石けん、もしくは同量の160kgのロウソクになる。

 石けんの価格設定はニーズに基づいて行う必要があるが、ロウソクは生活必需品である。160kgのロウソクを考えると、大100号のロウソク(750gで1.65lb・燃焼時間35時間)で約213本に相当するのだ。

 1本で6日間(1日あたり5~6時間)使える計算になる。

 搾油に関しては、専門家が5名必要だと判明した。(人件費が5人分増加)

 次にロウソクを製造するための方法を考えていると、問題にぶち当たった。

 フレデリックは、やはり子供の記憶と大人の記憶が入り混じっているのだろうか?

 石けんは何とかなるが(実際にその材料と製法で製造されているため)、ロウソクには同様にけん化のプロセスが必要となるのだ。

 ここはシャルルの専門外である。

 シャルルは農学者なので、収穫が終われば基本的に仕事は完了である。

「うーん、これは困ったぞ」

 頭を抱えている。

 下手をすればロウソクを作らずに、普通に照明油として流通させた方がもうかるからだ。

 ……。

 ……。

 ……。

 理論的にはひまわり油をアルカリでけん化し、その後に酸で処理すれば脂肪酸は取得可能である。

 しかしフレデリックの頭の中では可能であっても、1590年の技術水準ではこのプロセスを科学的に理解し、効率的に実施するのは困難なのだ。

 理解しなくても、指示を忠実に実行できる人がいれば、それで十分なのだが。

 さらに、仮に脂肪酸が生成できたとしても、ひまわり油由来の脂肪酸は不飽和度が高いため、そのままでは良質なロウソクにはならない可能性が高い。

 良質なロウソクを製造するためには、飽和脂肪酸を分離するか、不飽和脂肪酸の水素添加(これも19世紀末から20世紀初頭の技術)が必要となる。




 結論。

 ひまわり油は主に照明用として直接販売する。

 亜麻仁油が150リットルで28.5ギルダーだから、176リットルでざっくり31.35ギルダーで売れる。

 菜種油も150リットルで35.88ギルダー。

 価格設定をどっちにするかで変わる。

 しかし1ヘクタール(5種類の輪作)でこの結果なら、100ヘクタールで3,135~3,588ギルダー?

 うーん、大したもうけにならんな。

 だったらヒマワリである必要はないよね。菜種を栽培して油を搾ればいい。

 シャルルおじさんには申し訳ないけれど、やっぱりテンサイが主役だな。

 砂糖……塩……ロウソク……石けん。

 まともにもうかるのは、塩だけじゃねえか。

 塩はうれしい誤算で、間違いだったんだけど、112ポンドで336ギルダー。1ポンドで3ギルダーだから、相当なもうけだ。精製塩がこの値段。1ポンドで3スタイバーじゃなくて、3ギルダー!

 ポルトガル産の天日塩は、1ラストあたり155ギルダー。(1ポンドは0.7スタイバー)これに関しては同じだな。

 砂糖にしたってそうだ。 

 桁が違うよ。

 1|lb《ポンド》あたり1.5ギルダー……。

 なんだこりゃ。

 子供だからと軽んじられていた?

 もしかすると、適当に答えたのかもしれない。

 単位を間違えたり(塩がこれ)種類を間違えたりしたのかも。

 どっちにしても大問題であった。

「おーい、どーしたどーしたー」

 オットーが横からちゃちゃを入れてきた。

「もー、何だよっ!」

 やりとりが中学生(と小学一年生)であるが、中身はおっさん二人である。

「いや、待て。オットー、年長者には敬意を払えよ?」

「待って、それもうなしって言ったじゃん。シャルル様は別だけどさ」




「ん? どうした?」

 シャルルが大学から持ってきたヒマワリの種を眺めながら言った。




 次回予告 第19話 (仮)『現代知識をフル活用して、10年で産業革命は可能なのか?』

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