第18話 『存在証明と日没までのタイムリミット』

 王国暦1047年11月12日(月)23:45:36=2025年9月7日 05:17:00

「お父さん……お母さんと結婚してるよね?」

 え?

 その一言にオレはフリーズしてしまった。

 何て?

 ……えーっと、つまり……結婚していれば住める。

 離婚……つまり、結婚じゃなくなれば住めない。

 単純にそれが言いたかったんだろうか……。

「どういうことだい、アン」

 オレは膝をついて肩に手を置いた。レイナもアンを見る。

「だって、お父さんとお母さんは夫婦だよね? だったら、お母さんはお父さんの家族でしょ?」

「……確かに、そうだけど……」

「なら、お母さんがいればお父さんはこの家にいていいんじゃない?」

 アンの無垢むくな瞳がオレを見つめる。

「いや、それは……この世界の法律が……」

 あ!

 あああ――!

 オレは速攻でリュックに入っていた電源オフのスマホを取り出して充電器に差し込んだ。

 ベータ宇宙に持っていったモバイルバッテリーはとっくの昔に切れている。




 ――田代、緊急事態だ。朝から申し訳ないが、連絡できるようになったらメッセージくれ。電話でもいい。――




 オレは同期で調布市役所に勤めている田代に連絡を取った。

 今日中に返信がくればいいが、今の……つまりレイナとの結婚が可能か、レイナの子供(アンとトム)を同じく家族にできるか確認しようと思ったのだ。




 ――10分後。

「もしもし。健太か?」

「おお田代! 久しぶりだな……」

 朝の5時に申し訳ない。

 いや、起きてたのか?

「で、急ぎなんだろ? 一体どうした?」

 田代とは大学時代から親しくて卒業後も続いていたが、結婚を機に疎遠になっていた。

 それでも定期的にメッセージのやりとりはしていたんだ。

「実はな、ものすごくとっぴな話なんだけど、聞いてくれるか?」

「……だから何だよ」

「オレが離婚したのは知ってるよな」

「知ってるよ。酒飲んだじゃねえか」

「おお、それでな……今度結婚したいと思ってるんだ」

「え、ええ? お前、まだ1か月もたってないだろう?」

「いや、まあ話せば長くなる。聞きたいのは、相手が無戸籍者でも、婚姻届は出せるのかってこと」

「は? 無戸籍者? おい健太どうしたんだ。まさか、何か厄介なことに巻き込まれてるんじゃないだろうな」

 電話の向こうで、田代の声が一気に低くなった。

 心配になるのも当たり前だ。

 無戸籍者なんて、普通の生活をしていれば、まず出てこない単語だろう。

「いや、違う。違うんだ。彼女は……そう、ずっと山奥で、戸籍のない集落で育ったんだ。身分証明書がない。でも、オレにとってはかけがえのない人で、どうしても一緒になりたい。子供も二人いる」

 我ながら苦しい言い訳だと思った。でもこれ以上説明のしようがない。

「……そうか。まあ、お前のことだから、変なことじゃないんだろうと信じるが……」

 田代はしばらく考え込んだ後、専門家としての口調に戻った。

「結論から言うと、可能だ。日本の法律では、国籍の有無は婚姻の要件じゃない。ただ、手続きはものすごく大変だぞ。……彼女の場合、必要書類が一切ないわけだろ?」

「ああ、何もない」

「となると、まず家庭裁判所に申し立てて、『失踪宣告』……じゃない『就籍許可』を得るところからだな。本人が日本人である確実性が高いと認められれば、新しい戸籍を作れる。だけど聞き取り調査やDNA鑑定なんかも要るし、何か月、いや年単位で時間がかかる可能性もある」

 年単位!

 そんな時間はない。

「もっと早い方法はないのか。とにかく、オレの戸籍に『妻』として名前を載せたいんだよ。会社に提出する必要がある。期限は、今月末だ」

「今月末! ? 無茶言うなよ! ……まあ、待て。就籍が無理でも、手がないわけじゃない。婚姻届を出す市区町村の役場で、事情を話して相談するんだ。『戸籍を証明できない事情説明の申述書』とか、お前が身元を保証する『身元保証書』とか、代替書類を認めてもらえれば、受理される可能性はゼロじゃない。ただ……」

「ただ、何だ?」

「前例がほとんどない。担当者の裁量に委ねられる部分が大きい。だから……」

「だーかーら、お前なんだよ。お前、市民部の部長だろ? オレたちの結婚のときもお前が担当したじゃねえか」

「あ……」

「頼む!」

「……分かったよ。とにかく、そうだな、計画を練ろう。なんか抜け道はあるかもしれん。明日市役所に来いよ。あと、しばらくは有給を取った方がいいかもな。ああそれから、お前は頭下げたくないんだろうけど、須藤、人事部長の須藤は同期だろ? 融通きかせられんじゃねえか?」

「ありがとう! 助かるよ! ……須藤は……まあ、考えとく」

 オレは電話を切って、リビングで固唾をのんで見守っていたみんなに向き直った。

「社宅の件は何とか……確実じゃないが……方法はありそうだ」

 田代から得た情報を共有し、みんなにこれからの計画を話した。

「まずはゲートの維持のために月末までに結婚と社宅問題を解決する。それから……3人は確か地球で死んでるんだよな……。こればっかりは……正直この世での経歴や財産はどうにもならないな……」




 死んでいる。

 マルクスとエリカとルナは、地球で死んで魂が転生してベータ宇宙へ行った。

 3人の日本人としての存在はもうない。

 エリカの病院に行っても籍はないし、当然医師免許もない。

 マルクスの冶金学者としての経歴も、ルナの理研での立場も過去のものなのだ。




 オレが重い事実を告げている間も、トムとアンは別世界に来た探検家みたいに、部屋の中を興味津々で見て回っていた。

「お母さん、見て! この箱、人が映ってる!」

 アンがテレビを指さして叫ぶ。

 トムはキッチンのシンクに陣取って、蛇口をひねったり戻したりを繰り返していた。ひねれば水が出て、止めればぴたりと止まる。当たり前の光景が魔法みたいに映るのだろう。

 子供たちの無邪気な姿とは裏腹に、リビングの空気は重く沈んでいた。

「……やっぱり、オレたちはもう、この世界では死んだ人間なんだな」

 マルクスが自嘲気味につぶやいた。

 エリカもルナも、言葉もなくうつむいている。

 地球での地位や人生が、すでに存在しない現実を突きつけられたのだ。

 これからどうすべきか。

 オレが次の言葉を探していると、それまで黙ってニュースを見ていたトムが、おずおずと手を挙げた。

「あのー……親方」

 トムはまだ、オレを親方と呼んだりお父さんと呼んだりする。

「どうした?」

「今、テレビで言ってたんですけど……」

 トムは画面を指さした。

 そこではさっきから緊迫したBGMと共に、ある事故の特集が組まれていた。

 ――昨日発生した、高速バス多重衝突事故の状況です。現在のところ死者15名、重軽傷者28名を出す大惨事となっており、今なお3名の方が、意識不明のまま入院生活を送られています。バス会社は事故原因の解明に全力を尽くすと会見を開いており――。

 アナウンサーが、神妙な面持ちで原稿を読み上げる。

 1台だけじゃない。

 玉突き事故で何台も被害にあったので、昨日に引き続いて各テレビ局が報道しているのだ。

 ――意識不明となっているのは、愛染春人さん、薬師寺エリカさん、月詠ルナさんの3名です。――

 トムが困惑した表情でこっちを振り返る。

「あのー、これってマルクス兄さんやエリカねえさん、ルナねえさんじゃないですか?」

 その瞬間、リビングの時間が一瞬止まった。

 ドタドタドタっとテレビの前に駆け寄った3人だったが、マルクスが叫んだ。

「ケント! ネットは? パソコンはどこだ?」

「こっちだ!」

 オレは書斎を指さして案内する。

 パソコンは起動しっぱなしだったので、そのまま検索した。




 死んだんじゃなかった。

 魂だけが異世界へ飛ばされて、肉体はこの世界で昏睡こんすい状態で生き続けていたんだ。

 なぜか?

 そんなことはどうでもいい。

 生きていたことが大事なんだ。

 そして報道番組のニュース動画では、緑豊かな郊外に建つ、近代的な病院が映し出されている。

 ――3名が入院しているこちらの総合病院、院長の山城孝之氏は……。――

 エリカが、信じられないものを見たかのようにつぶやく。

「……まさか、山城……?」

 インタビューに答える白衣の男性は、エリカの医大時代の同期で、今はこの病院の3代目院長を務める男だった。

 最悪の状況の中に差し込んだ、一筋の、ありえないほどの光明。

「……おい」

 マルクスが、震える声で言った。

「これって、もしかすると……」

 オレは、即座に決断した。

「エリカ、その山城って男に、すぐに連絡を取れるか?」




 次回予告 第19話 『ヨニクロとスーパー銭湯』

 異世界から現代日本へ脱出したケントたち。

 しかし待ち受けていたのは社宅退去という絶望と日没までの時間制限だった。起死回生の一手としてレイナとの結婚手続きを探る中、死んだはずの仲間が昏睡状態で生存している衝撃の事実を知る。

 次回、エリカの連絡で院長と面談が叶うのか? 3人の存在を証明するためにめちゃくちゃな交渉がスタートする! そして異世界に戻るために準備したのは……。

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