第17話 『消えるゲート』

 王国暦1047年11月12日(月)21:00=2025年9月7日 05:15:51 <田中健太>

 故郷を離れて未知の世界へ行く。

 普通に考えれば、並大抵の決断じゃない。

「私は、あなたと一緒に行きます」

 最初に口を開いたのはレイナだった。

「あなたがどこから来た誰であっても、あなたは私の夫であり、アンの父親よ。家族が離れて暮らす理由はないわ」

「僕も行く! お父さんが僕の親方で、お父さんだ!」

 トムの目に迷いはなかった。

「私も! お父さんと一緒がいい!」

 アンがオレに抱きついてくる。

 温かい。

「決まりだな」

 マルクスが、痛みをこらえながら笑った。

「面白くなってきたじゃないか。1度死んで飛ばされて、まさかまた地球に戻るとはな」

 エリカとルナも、複雑な表情で苦笑いしている。

 これから失ったはずの世界に戻るのだ。

 3人は地球で死んで、魂がベータ宇宙(仮称)へ転生している。

「じゃあ決まりだ。すぐに準備しよう。荷物は最小限に」

 オレの号令で、全員が動き出した。

 レイナとアンは着替えや生活必需品を、トムは工房から持ち帰っていた工具や設計図をカバンに詰める。

 ルナはケントの工房に薬品などを置いてあった。

 希少な薬草やポーションを運び出していたので、その選別をエリカは手伝う。

 マルクスはケガで動きは鈍かった。それでも工房から持ち出したドワーフ特製の印刷機械部品の整理をしている。エイトリのじいさんから譲ってもらったミスリスやオリハルコンの金属の小片の確認も忘れない。

 オレは自分の部屋に行って、机の隠し引き出しからノートを取り出した。

 この世界に来てから書き溜めていたんだけど、ヤツラの手にわたるとまずい。

 だから痕跡は消す。




 準備は1時間ほどで終わった。

 これから故郷を離れるのに悲壮感はない。むしろ、これから始まる新しい冒険への期待があった。

「よし、行こう」

 オレはみんなを促して家を出ると、松明を持って城門へ向かった。

 工房への襲撃事件はまだ表沙汰にはなっていない。

 夜間の入市は禁じられているが、外出は問題なかった。

 門番がケントの友人だったのも大きい。




 王都を出るとさらに暗くなったけど、幸いにして半月だ。

 真っ暗じゃない。

 頼りになるのは揺らめく松明の炎だけで、森への道を真っすぐ進んで行く。

 どこからか聞こえてくる獣の声に、アンが不安そうにレイナの服を掴んだ。

「大丈夫だ、アン。お父さんがついてる」

 オレはアンの頭をなでて先を歩く。

 向かうのは森の中にある、忘れられた古いほこらだ。

 転生者3人と初めて会った場所の近くでもある。

 約1時間後。ようやく、木々の間にこけむした石造りの小さな建物が見えてきた。

「ここだ」

 かすかな月明かりに照らされたその祠は、今にも崩れそうなほど古びていた。

 オレが中に入ると、むっとするコウモリのフンの臭いが鼻をついた。天井からは水滴が落ち、床はぬかるんでいる。

「うわ……なんだここ」

 トムが顔をしかめる。祠の内部は思ったよりも深く、奥は暗闇に閉ざされていた。

「こっちだ。ついて来てくれ」

 オレは松明を高く掲げて、ぬかるんだ床に足を取られないよう注意しながら奥へと進む。

 出るときは昼間だったけど、今は夜だ。

 松明がないと絶対に見えない。

 そして、一番奥の壁の前で立ち止まった。

 石壁の一部に、どう見ても場違いな木製の古びたドアがあった。金具はさびついて、木の表面は腐りかけている。

「これが……ゲート?」

 エリカが信じられない様子でつぶやいた。

「ああ。この向こうが、オレたちのいた世界だ」

 オレはドアノブに手をかけた。

 ギイ……。

 さびついた金属が悲鳴を上げる。

 ゆっくりと力を込めてドアを引くと、その隙間から異世界の闇とは全く質の違う、まばゆい光があふれ出してきた。

 ドアの向こうに見えるのは、森の暗闇じゃない。

 リビングから朝日が差し込む、見慣れたフローリングの風景だった。

「さあ、行こう」

 オレはまずレイナとアン、トムの手を引いてドアをくぐった。
 
 湿った土の感触から、硬いフローリングの感触へと足元が変わる。

 続いてマルクスたちが驚きの表情を浮かべながら、次々とドアの向こう側へと足を踏み入れた。

 全員が通り抜けたのを確認し、オレはドアを閉める。

 そして、トイレのドアだけが残った。




 ■王国暦1047年11月12日(月)23:45:36=2025年9月7日 05:17:00

「ここ……本当に地球……」

 ルナがぼう然とつぶやく。

 左側、光の方角から聞こえるのはテレビのニュースの音声。

 オレはどうやらつけっぱなしで異世界に行ったらしい。

 いろんなことに集中すると、それ以外がずさんになるんだろうか。

「ああっ! そうだ靴!」

 全員が土足だったので、オレは慌てて玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えた。

 来客用のスリッパがたくさんあってよかったとホッとする。

 離婚する前の残骸だ。

 エリカとルナは言葉もなく部屋を見回している。その表情には戸惑いと、懐かしさが入り混じっていた。

「ここがあなたがいた世界……」

 レイナが小さな声でつぶやいた。

 アンは物珍しそうに壁のスイッチに近づき、恐る恐る指で押した。カチッという音と共に、照明が点灯する。

「わっ!」

 アンは驚いてオレの後ろに隠れた。

 トムはテレビの前に走って行って直立不動で目を丸くしている。

 すべてが未知であった。

 レイナは部屋中を観察しているが、子どもたちみたいに驚かず平静を装っている。

 さすが、女性はこういうとき強いな。

 オレはそう思った。




 ひとまず無事に全員を連れて来られた。

 ホッと一安心したのもつかの間。

 オレの目に、玄関のドアポストから半分はみ出している一通の封筒が飛び込んできた。

 見慣れた会社のロゴが入った茶色い封筒。

 嫌な予感が背筋を駆け上る。

 オレは封筒を手に取ってその場で封を切った。中から出てきた書類に書かれた太文字の見出しが、オレをフリーズさせた。

『社宅明渡しに関する最終通告』

 ……そうだ。忘れていた。

 震える指で書類に記載された日付を確認する。

 退去期限は9月末日。

 壁にかけられたカレンダーに目をやると、今は2025年9月7日だ。
 
 あと3週間しかない。

 やべえ。

 どうするか……。

 やばすぎるぞ。

 血の気が引いていくのが分かった。

 いや、引っ越しはいいとしよう。

 問題はゲートだ!

「健太? どうしたんだ、その紙は」

 異変に気づいたマルクスが、いぶかしげな顔で声をかけてきた。

 全員の視線がオレの手に握られた一枚の書類に集まる。

「これ……は……」

 声がうまく出ない。

「オレが、この世界で所属していた会社からの……通告書だ」

 別に悪いことじゃない。

 会社でも口頭で通達されていた事実だ。

 オレは震える声で状況を説明し始める。

 ここが会社の社宅であることや離婚していること。

 単身者になったので、家族向けの社宅から退去しなければならないこと。

「りこん……? しゃたく……?」

 レイナが聞き慣れない言葉を繰り返す。

 彼女にはその単語が持つ社会的な意味が分からない。

 アンとトムは2人で室内を探検している。

「レイナさん、この世界ではね、夫婦の関係って国の法律でちゃんと決められているの」

 エリカが、なるべく分かりやすい言葉を選んで補足してくれた。

「それを終わらせるのを『離婚』って呼ぶのよ。それから、『社宅』っていうのは会社が社員とその家族に用意してくれる家のことなの。家族がいるのが条件で住める場所、っていう感じね」

 なぜかエリカの口調が敬語じゃなくなっている。

 でもレイナは言葉遣いや内容よりも、健太が既婚者であった事実が気になるようだ。

「つまり……健太は家族を失ったから、この家から出て行け、ってことか」

 マルクスが吐き捨てるように言った。彼の言葉は、的確に本質を突いていた。

「追い出されるって言っても、金がないわけじゃねえだろ? 他の家を借りればいいだけじゃねえか」

「問題はそこじゃない」

 オレは少し強めに反論した。

「何だよ」

「ゲートだ。確かに金はあるから引っ越しても構わない。でも、そうしたらゲートがなくなる……2度と戻れなくなるんだぞ!」

 その事実に、全員があぜんとした。




「お父さん……お母さんと結婚してるよね?」

 え?




 次回予告 第18話 『偽装結婚?』

 異世界から地球へ帰還した健太たち。

 喜びも束の間、彼らを待っていたのは『社宅明渡し』の通告だった。健太が離婚していたために会社から通告されていたのだが、アンの一言が全員を驚かせる。

 戸籍のないレイナとの結婚は可能なのか?

 ダメなら偽装してでも家族を守るしかない。アンとトムを子として迎える計画は、果たして救いとなるのか、それとも……。

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