1986年(昭和61年)5月4日(日)
悠真の突然の発言で、美咲たちの顔がパッと変わった。さっきまでキラキラしてた瞳が、あっという間に不機嫌マックス。
「えー! なんで?」
美咲が真っ先に声を上げる。その声には明らかに不満そうだ。
「せっかく楽しみにしてたのに!」
凪咲も続いて抗議する。ぷくーっと頬を膨らませて、まるで子供みたいだ。
いや、実際に子どもなんだが(法的には)。
悠真の頭の中では、51脳と13脳がバトルを繰り広げている。
51脳は冷静に時間計算を続けているが、13脳は6人の落ち込んだ顔を見て『なんとかしろよ!』と大騒ぎしている。
「いや、その、時間的にヤバいんだ」
悠真は正直に説明を始めた。
「フェリーの最終が17時5分で、遅れたら帰れなくなるだろ? 今から遊園地と美術館と動物園と水族館を全部回るのは、どう計算しても無理なんだよ」
礼子が腕時計をチラッと見て、コクンとうなずいた。
「確かに、時間的にはキツいかも」
控えめだが的を射た分析に、他の女の子たちも現実を受け入れ始める。
純美が小さく『はぁ〜』っとため息をついた。
「そっか、そうだよね」
菜々子と恵美は顔を見合わせて、ちょっと寂しそうな表情だ。
悠真は6人のしょんぼりした様子を見て、胸がキュッと痛む。
相変わらず13脳が『絶対になんとかしろ!』と叫んでるが、現実は変わらない。
51脳は『現実的な代案を考えろ』と指示を出していた。
「でも、全部諦めるわけじゃないよ。4時半くらいまでに戻って来ればいい」
悠真は慎重に言葉を選んだ。
「みんなで相談して、一番行きたいところを決めよう。そこでゆっくり過ごす方が、バタバタ回るより絶対楽しいと思うんだ」
この提案で6人の表情が明るくなる。
「それなら、みんなで話し合おうよ!」
美咲が提案した。
「私は水族館がいいな〜。イルカのショーとか見てみたい!」
と凪咲。
ハンバーガーをあっという間に平らげた凪咲は、もう次の楽しみに思考が飛んでいるようだった。
キラキラと目を輝かせる凪咲を見て、美咲が口を開く。
「あー、水族館ね♪ 今日暑いからいいんじゃない? (買い物したし、もういいかな。この辺で協調性あるとこ悠真にアピールしとこ)」
買い物(美咲希望)とゲームセンター(凪咲希望)は午前中に終わっていた。
「水族館……。でも、いっかな。動物好きだし♪」
純美は少し考えてから静かに言った。希望は動物園だったが、海の動物も嫌いではない。
「私は美術館に行きたかったけど、時間が中途半端になるかもね。他は全部外だし」
礼子は残っていたポテトを一つ摘まみながら、そう言って紙ナプキンで口元を拭いた。
「私も……水族館でいいかな」
菜々子が静かに言った。
水族館希望はもともと絵美だったし、妥協して水族館ムードになっていたので遊園地は諦めたのだ。
多数決で一人だけ意地をはっても仕方ない。
それこそ悠真にワガママな女だと思われてしまう。
それだけは絶対に嫌だった。
「うん、水族館でいいよ」
恵美も菜々子に続いて、小さくうなずいた。
元々水族館を希望していたのは恵美だ。
他の子たちが自分の意見に合わせてくれたことに、ほんの少しだけ居心地の悪いような、でも嬉しいような複雑な気持ちを抱いていた。
「よし、じゃあ決まりだな! 午後は鹿子前水族館に行こう!」
悠真が明るい声で立ち上がり、女の子たちの表情にも再び笑顔が戻った。
マクドナルドを出て、再び四ヶ町アーケードを歩き始める。
午前中と同じように、悠真の左右には美咲と凪咲が陣取る。純美と礼子、菜々子と恵美がその後に続いた。
水族館まではバスで約30分。
バス停で待っている間も、美咲たちは賑やかに今日の出来事を話し合った。
ゲームセンターで盛り上がったことや取れたぬいぐるみをジャンケンで菜々子があてたこと、礼子のおにぎりが美味しかったことなどなど……。
「ねえ、悠真のおにぎり、美味しそうだったね」
美咲が悠真の顔を覗き込むように言った。
「ああ、礼子の手作りだからな。美味しかったよ」
悠真が素直に答えると、美咲は少しだけ唇をとがらせた。
「ふーん、そうなんだ」
隣にいた凪咲がすかさず口を挟む。
「私のチョコも美味しかったでしょ?」
「もちろん! みんなのプレゼント、どれも嬉しかったよ」
悠真は慌てて付け加える。この場での不用意な一言が、後々大きな波紋を呼ぶことを、51脳は嫌というほど知っていた。
あああああ! 面倒くせえ!
ガマン、ガマンだ。セックスのためだ。
いや、こう言うとオレがいわゆるサイテーなケダモノ野郎みたいな感じだけど、大なり小なりそういう動機はあるだろ?
何でも。
それが単純に性欲だって話だよ。
その良し悪しは別として、人生いろんな場面で同じケースはあるんだよ女子諸君!
バスに乗り込りこんで鹿子前水族館へ向かう。
水族館は海沿いの静かな場所に建っていた。バスを降りると、潮の香りが鼻をくすぐる。
「わあ、海だ!」
菜々子が嬉しそうに叫んだ。
悠真も含めて全員が海を見るのは初めてではない。
でもこうやって見る海は、普段の海とは違って見えるから不思議である。
水族館の入り口でチケットを購入し、中へ入った。薄暗い館内には、青白い光に照らされた水槽が並び、色とりどりの魚たちが優雅に泳いでいる。
「すごいね!」
恵美が目を輝かせて大きな水槽に張り付く。悠真も水槽の中を泳ぐ魚たちを見ながら、少しだけ心を落ち着かせた。
最初こそ同じ場所で同じものを見ていたが、いつの間にかあれ見ようこれ見ようと、悠真は全員からあっちこっちへ手を引っ張られる。
ペンギンコーナー、アザラシのプール、そしてお待ちかねのイルカショー。時間の関係で全てを見ることはできないが、悠真は可能な限り、皆の希望を叶えようと努力した。
イルカショー用の屋外プールへ移動すると、観客席は既に多くの人で埋まっている。悠真たちはなんとか前の方の席を見つけて座った。
ここでまた、座席の位置で小さな争いが発生した。
「悠真の隣座りたい!」
美咲が真っ先に悠真の右隣に座る。
「ずるい、私も隣がいい」
凪咲が左隣に座った。
残りの4人はその横に座って、結局美咲と凪咲がいつものように両隣を押さえてしまった。
礼子は表情を変えずに座ったが、純美と菜々子、恵美は明らかに不満そうである。
悠真は気まずさを感じながら、なんとか場の空気を変えようと努力する。
「いや~。みんな~イルカショー楽しみだね」
悠真が明るく言うと4人の表情が少し和らいだが、悠真自身は何だかコントの状況説明のセリフのようで、内心複雑な気持ちになった。
ショーが始まると観客席から歓声が上がる。
プールの中央に2頭のイルカが現れたのだ。
「わあ、かわいい!」
菜々子が手を叩いた。
イルカたちは飼育員の合図に従って高いジャンプを披露する。水しぶきが観客席の前の方まで飛んできた。
「きゃー、水かかった!」
美咲が笑いながら顔を拭く。
「私にもかかって!」
凪咲が身を乗り出した。
おいおい、そりゃ困るぞ。
君ら2人が濡れたら必然的にオレも濡れるじゃないか。
まるでテーマパークのウォータースライダー? ウォーターライド? 濡れるからってレインコートを用意しなくちゃいけない状況だよ。
いや、いらんし。
あーもう、だからって準備するとかさ張るしな。
あれは車ある時用だよ。
まあいいか、仕方ない。
イルカショー、みんなで濡れれば怖くない。
なんじゃそりゃ。
ショーが進むにつれて、6人とも完全に夢中になっていった。イルカが輪くぐりをしたり、ボールでサッカーをしたり、最後には飼育員と一緒に踊るような動きまで見せた。
「すごい! 賢いんだね」
恵美が感動した様子で言った。
「イルカって、こんなに色んなことできるんだ」
純美も驚いている。
30分のショーが終わると、観客席から大きな拍手が起こった。悠真たちも手を叩いて、イルカたちにお疲れ様の気持ちを伝える。
「楽しかったね」
礼子が静かに微笑んだ。
「うん、来てよかった」
菜々子も満足そうだった。
観客席を出て、水族館の他のエリアを見て回る。
熱帯魚の水槽では、色鮮やかな魚たちが泳いでいる。クマノミやエンゼルフィッシュ、見たことのない不思議な形の魚もいた。
「この魚、変な顔!」
凪咲が水槽に顔を近づけて笑う。
「でも、きれいな色してるよ」
美咲が隣から覗き込んだ。
タッチプールでは、ヒトデやウニに触ることができた。
「うわ、ザラザラしてる」
恵美が恐る恐るヒトデを触る。
本当か?
全員ヒトデもウニも初めてじゃないだろう?
カマトトぶってんのか?
悠真はそう思いながらも、まあ、色んな意味で女の子なんだなあ、と感慨深げだ。
「私も触ってみる」
菜々子が続いた。
悠真は6人の楽しそうな様子を見ながら、今日の判断は正しかったと思う。時間に追われて慌ただしく回るより、ゆっくり楽しめる方がいい。
水族館を一通り見て回ると、15時30分になっていた。
「そろそろ帰る時間かな」
悠真が時計を確認すると、6人は少し残念そうな表情を見せた。
「もう? 楽しかったのに」
美咲が名残惜しそうに言う。
「でも、フェリーに乗り遅れたら大変だからね。また今度来よう」
そう悠真が提案すると、みんなが明るい表情を見せた。
「そうだね。今度は一日中いられるといいな」
菜々子が期待を込めて言った。
水族館を出て、帰りのバスを待つ。
港までは約30分。
フェリーの出発時間まで1時間ほどあったが、バスの中では今日の思い出話に花が咲いた。
「イルカショー、すごかったね」
「UFOキャッチャーで取ったぬいぐるみも可愛かった」
「礼子のおにぎり、本当に美味しかった」
6人それぞれが今日の出来事を振り返り、悠真は彼女たちの会話を聞きながら、今日一日を総括した。
朝の修羅場から始まって、午後のスケジュール変更、そして水族館での楽しい時間。
51脳の悠真は冷静に分析している。ハーレム管理の難しさは改めて実感したが、今日の経験は今後の参考になる。
不純な動機こそパワーになるのだ。
経験則である。
13脳の悠真は素直に楽しかった。
バスが港に到着すると、既に多くの乗客がフェリーを待っていた。
「時間に余裕があってよかった」
悠真がホッとした表情を見せると、6人も安心した様子だ。
「悠真、今日はありがとう」
美咲が素直に感謝を述べた。
「楽しかったよ」
凪咲も続いた。
「私も楽しかった。また一緒に出かけよう」
純美が提案すると、他の4人も賛成した。
フェリーに乗り込んで、五峰町に向かう。
夕日が海を染めて、美しい光景が広がっている。
「きれい~」
恵美が窓の外を見つめながらつぶやいた。
「今日一日、夢みたいだった」
菜々子も同じような表情で海を見ている。
悠真は6人の横顔を見ながら、今日の成功を実感した。
ただし、合同デートはリスクリワードで考えるとリスクが大きい。
個別デートのほうがいい。
そう結論づける悠真であった。
次回予告 第82話 (仮)『キスとハグの菜々子とハグの絵美』

コメント