第20話 『某大手銀行史上初の女性頭取、転生す』

 1590年11月16日(天正十八年十月十九日) オランダ ライデン

 誰?

 フレデリックとオットーがそう思うのも無理はない。

 シャルルが連れてきた女の子。

 フレデリックと変わらない年齢に見える少女は、さっきまで部屋の中を走り回って、さまざまな物を物色しては騒いでいたのだ。

 第一印象は、かわいいが、ちょっとおてんばな子供のイメージである。

 その女の子が妙に大人の発言をしたのだ。




『うーん、足りない。足りないなぁ……。お金が全く足りない。レバレッジもなければ……働いてお金を稼いでも限界があるよ。お金に働いてもらわなきゃ』




「え、シャルルおじさん、これって一体どういうこと?」

 フレデリックの質問にシャルルが苦笑いして答える。

「いや、なに。今日会ったときに、初めに話そうと思っていたんだが、ついタイミングを逃してしまってな」

 申し訳なさそうに頭をかいているシャルルである。

 こういう仕草のシャルルを見るのは二人にとって新鮮だった。

「つまり……?」

「うん、この子も転生者だよ。気づいたのは、そうだね……だいたい半年前かな。この子が急に人が変わったみたいになったんだよ。それで、周りの人間は驚いてたじろいだんだが、私は経験者だからね。この子に寄り添って、話を聞いて、確信したんだ」

 その場に、何とも言えない沈黙が訪れた。

 自然とシャルロットに視線が集まる。

「私は高橋美智子で、日本の銀行で頭取をしていました。61歳で引退したばかりでしたが……」

 シャルロットはそう言って、小さな手を前に組んだ。その仕草は、まるで重役会議で説明をする銀行家のようである。

 フレデリックは、いや、シャルロットを含めた全員が気づいていた。前世と今世の混ざり具合が絶妙なのだ。

 自らの経験や知識は前世のままだ。だが、それがそのまま今世の体に入っているのだから、さまざまな矛盾が生じる。

 つまり、フレデリックやオットーがシャルルに対して敬語で話すのは問題ないが、それは前世でも年上だったからだ。

 しかし、前世で68歳だったシャルルは、同じく前世で61歳だったシャルロットを、何の違和感もなく|愛娘《まなむすめ》としてかわいがっている。

 その逆もしかりだ。

 頭では理解しているのに、そこに拒否反応は生じない。

 フレデリックはシャルロットをかわいい同級生のように思い、オットーは妹の感覚である。

 例えば、いわゆる異世界転生アニメで前世がおっさんだった男性が少年に転生して、同世代の少女に違和感なく恋心を抱く設定だ。

 それが実際に(例えば)起きている。

「んー、でも不思議だよな」

 フレデリックは思わず声を出した。

 シャルロットが何気なくレバレッジと口にしたので、違和感が一気にあふれ出したのだ。

「だって、オレたちはみんな日本人で、それぞれ専門分野が違う。農学、医学、理工学、そして金融。これって偶然にしてはできすぎてない?」

「確かにそうだな」

 オットーがうなずく。彼の目は真剣だ。

「まるで、神の御業……誰かに選ばれたみたいだ……とでも言いたいのかい?」

 シャルルは腕を組んで言った。

「私もそう思います」

 シャルロットは静かにうなずいた。

「だとしたら、……この世界で、神はオレたちに何を求めているんだ」

 フレデリックの問いかけに誰も即答できなかったが、ただ、全員が同じ考えだったのである。

 肥前国の存在。そして、そこにいるかもしれない、もう一人の転生者。

 転生者・小佐々純正の存在が、時計の針を250年進めてしまった。

 変わりすぎた今世の歴史を、戻せとでも言うのだろうか?

 戻す?

 いや、バランスをとるといった方がいいのかもしれない。




「なあ」

 オットーが唐突に声を上げる。

「オレたち四人がこうやって出会ったんだ。東の果てにもう一人の転生者がいるんなら、このネーデルラントにも、もっと転生者がいるんじゃねえか? いたとしてもおかしくないだろ?」

「うーん、それは確かに……」

 腕を組んでフレデリックは考え込む。

 問題は、いたとしてどうやって見つけるかだ。ここにいる四人は奇跡的に集まったが、何もせずに集まるとは考えにくい。

「オットーの考えは分かった。でも、どうやって探すんだ?」

「それについては考えがある。例えば、……そうだな。みんな、輸血って言葉を知っているだろ? ペニシリンも知らない?」

 知っている、と他の三人がそれぞれうなずいた。

「オレの専門は医学だ。特に外科だが、医学には内科もある。臨床にもさまざまな分野があるし、感染症とかもな。それで、全国に通達するんだよ」

「何て?」

 シャルロットが目を輝かせた。

 彼女の中身を知っているフレデリックとオットーは不思議な感覚に襲われるが、一瞬で薄らいで消える。

「例えば、『ペニシリン開発につき、研究者募集』とか『輸血製剤開発』、『ジエチルエーテル麻酔と局所麻酔の研究』なんかだよ。オレたち現代人にしか分からない。今のこの時代の一般人や医者が見ても、何じゃそりゃ? って告知文を打つ」

「なるほど!」

 フレデリックは目を輝かせた。

「その手があったか。医学用語を使えば、この時代の人には何を言っているのかさっぱり分からない。でも、転生者なら一発で分かる」

「ただし」

 シャルルが人差し指を立てて言った。

「それだけじゃ足りないだろう。医学以外の分野でも同じはずだ」

「そうね」

 シャルロットが小さな手を前に組んで言う。

「例えば、『デリバティブ取引の理論構築』とか『株価指数先物市場の設計』の募集をかければ、この時代では誰も理解できないはず」

「農業も同じだな」

 シャルルは窓から差し込む光を見上げながら続ける。

「『メンデルの法則を用いた品種改良の研究』『窒素を視野に入れた化学肥料の製造法確立』なんて言葉を出せば、転生者なら必ず反応するだろう」

 四人は顔を見合わせた。それぞれの専門分野で、現代(前世)でこそ当たり前の言葉を並べていけば、必ず反応があるはずだ。

 フレデリックでいえば、さしずめ『熱力学第二法則の実証実験』とか『電磁誘導の基礎研究』など、何でもいい。

「でも、その前にどうやって募集を出すかが問題だ。どうやって広く知らせる?」

「大学だ」

 オットーが勢いよく言った。

「ライデン大学を通じて、各地のアカデミーに通達を出す。怪しまれないように、新しい研究分野の開拓の体裁で」

「その方が自然ね。学術機関なら、変な言葉が並んでいても『何か新しい学問なのね』で済むでしょう」

「ふむ。年甲斐としがいもなく、なんだか興奮してきたぞ。さて、何人集まるか」

 こうして、シャルロットを含めた四人で新たな『コンパス・オブ・ディスティニー』の船出となった。ちなみに、『暁の方舟はこぶね商会』の会長はシャルルだが、実質はシャルロットである。

 フレデリックは『まず測ることから始めよう。正確な測定なくして科学はない』と宣言し、最初のプロジェクトとして単位系と標準測定器の開発を提案。

 シャルロットは短期収益を生む塩・砂糖事業で初期資金を確保し、段階的に投資を拡大する戦略を立案。

 オットーは公衆衛生と死亡率の低下。これは食料問題や栄養問題とも密接に関わっている。公衆衛生は、もちろん感染症の予防だ。

 シャルルは食料増産がすべての基本だと主張した。土壌の分析や記録から始め、効果的な肥料利用と品種改良の最適化に努める。

 さて、何人が集まり、どんな変化を見せていくのだろうか?




 次回予告 第21話 (仮)『測れるものだけが改良できる』

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