我ら

八紘共栄圏を目指して

第833話 『遼東では足りぬのか、沿海州では足りぬのか』

慶長元年十一月十四日(1597/1/2)へトゥアラ「はっきり言っておきますが、余は肥前国はもちろん、その冊封国である朝鮮と戦うつもりはありませんぞ」 ヌルハチはそう言って純正の言葉を待った。「戦うつもりがないのであれば、なおさら兵を引き上げ...
八紘共栄圏を目指して

第828話 『ポルトガルの戦略と反乱の狼煙』

慶長元年五月十七日(1596/6/12)  リスボン「さて、宰相。この状況をどう見る?」 セバスティアン1世は大西洋の地図を見ながら、宰相のクリストヴァン・デ・モウラに質問していた。 ヨーロッパからアメリカ大陸にかけての地図だ。5月の中旬に...
八紘共栄圏を目指して

第827話 『憔悴のフェリペ2世』

慶長元年四月二十日(1596/5/17) スペイン マドリード フェリペ2世は疲れきっていた。「陛下、この上はバンカロータ(破産宣告)するしか方法がありません」 フェリペは重々しくうなずく。「わかった。だが、これが最後にしたい。我が治世で4...
八紘共栄圏を目指して

第826話 『知られざるイスパニアの内情と、敵の敵は味方』

慶長元年三月二十三日(1596/4/20) メキシコシティ(テノチティトラン) はいそうですか、と素直に信じるわけにはいかなかった。 自分の先祖、母なるアステカを滅ぼしたスペインが負けたなど、簡単には信じられなかったからである。 その男が言...
八紘共栄圏を目指して

第825話 『地震対策とトゥパクアマルとクイトラワク』

慶長元年二月二十五日(1596/3/23) 南近江蒲生郡安土山 大日本国政庁「それで、具体的な案とその進捗をおしえてくれ」 純正は国土交通大臣の遠藤千右衛門に聞いた。「はっ、畠山修理大夫様(畠山義慶・大日本国国交大臣)とも諮らねばなりませぬ...
八紘共栄圏を目指して

第824話 『再び、スペインと』

慶長元年一月二十七日(1596/2/25) 諫早 -発 小樽鎮守府 宛 殿下 以下、転送文也。 アラスカ南部の新たに発見、入植せしオレゴンにてイスパニア(スペイン)探検隊と遭いけり。 幸いに打ち合い(戦闘)にはならねども、この地を境にとの話...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第346話 『イギリスの時間稼ぎ?』

元治元年十一月五日(1864/12/22) 会見終了後「Mr.オオタワ、今回はどのような協議がなされたのですか?」 ジャパン・タイムズのチャールズ・D・リッカービーがまず第一声をあげ、次郎に質問をした。川路聖謨としあきらはいない。英語が次郎...
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第820話 『バンテン王国の争乱、広がる』

文禄四年十一月二十九日(1595/12/29)「手ぬるい!」 ウィラブラタの怒号が王宮に響き渡った。その声にムハンマドは拳を握りしめて凝視した。「民の怒りは正当だ。肥前国の横暴を許すべきではありません!」 ウィラブラタはそう声をあげ、ズカズ...
『新しい国 ―空母飛龍から、最後の戦いへ―』

第3話 『遭難者たちの正体』

2025/1/20(令和7年1月20日) 太平洋 ミッドウェー海域「れ、令和……? 2025年だと……?」 鹿江の声が震えた。 その目は護衛艦『いずも』の士官室の中空をさまよい、気がつけば壁に掛けられたカレンダーを凝視していた。周囲の自衛官...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第342話 『昇任問題とレオン・ロッシュ』

元治元年八月二十七日(1864/9/27)「して次郎、朝廷から昇任の知らせが来ていたようだが、その後は如何いかがあいなっておるのだ?」「は、その儀につきましては丁重にお断りいたしたく、返信をいたしましてございます」「なんと、断ったのか?」 ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第341話 『琉球とオランダ』

元治元年八月二十七日(1864/9/27) 江戸 大村藩邸「さて次郎、次はいかにすべきかの」「は、イギリスが本気を出してくればかなり難かたし事様ことざま(難しい状況)にございますが、そうならぬよう各国の公使館や新聞各社には根回しをしておりま...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第339話 『対英、対列強会議』

元治元年七月十四日(1864/8/15) 江戸城 御用部屋「さて方々、これより先のイギリスならびに列強に対する策を論じたいと存じます」 集まったメンバーは下記のとおり。 ・将軍後見職 一橋慶喜 ・政事総裁職 松平春嶽 ・大老筆頭 安藤信正 ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第337話 『捕虜』

元治元年七月三日(1864/8/4) 日英戦争における鹿児島・馬関戦役の捕虜は、士官・下士官兵すべてが横浜の称名寺にある収容所へ送られた。鹿児島湾海戦で200名、馬関海戦で340名、合計540名である。 称名寺は金沢区にある真言律宗の別格本...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第335話 『鹵獲戦利品の分配』

元治元年五月十六日(1864/6/19) |鹵獲《ろかく》したイギリス軍艦を大村藩の海軍工廠こうしょうで修理しているころ、大村・佐賀・長州・薩摩・幕府の間ではその分配協議がなされていた。 五大老とはいえ、土佐藩、加賀藩、仙台藩は除外されてい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第334話 『最終決戦』

元治元年四月十一日(1864/5/16) 蓋井ふたおい島東岸沖「さーて、次郎様の言うとおりに……おお! あれは! どこの艦だ?」「艦橋-見張り! WhiteEnsign! イギリス艦隊です!」「よし来た!」 佐賀藩艦隊旗艦である甲子こうし丸...
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第803話 『空軍』

文禄三年六月三日(1594/7/20)  蒸気機関の発達により、諫早から大阪までは10日から2週間程度で往復できるようになっていた。そのため純正は3か月は大阪・京都に滞在し、残りの9か月は諫早で過ごすという生活を送っていたのである。「ほうほ...
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第802話 『実行』

文禄三年四月十五日(1594/6/3) 京都 その日は大日本国会議が開かれ、副首相である信長をはじめとする閣僚が集まっていた。議会制度を充実させるため、各州から1名ではなく、各県もしくは各郡から1名を選出しての議会運営を始めようと考えていた...
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第801話 『洛中』

文禄三年三月二十八日(1594/5/18) 京都の片隅にある小さな居酒屋の2階。 薄暗い部屋の中で、3人の男がささやくように会話を交わしていた。 かつての室町幕府将軍・足利義昭、近江の宇多源氏佐々木氏流六角氏の16代当主・六角義治、そして美...
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第799話 『8路24万』

文禄二年十二月十八日(1594/2/8)「陛下、明からの使者が参っております」「おお、ようやく来たか。遅すぎるぞ」 楊応龍は|播《は》州の宮殿で明からの使者が来たという報告を受け、笑みをこぼす。独立と領土の要求をして期日を設け、ようやくその...
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第316話 『薩摩と長州』

文久三年十月二日(1863年11月12日)  -発 次郎左衛門 宛 松前勘解由様 昨今の日英関係に鑑み、開戦となればロシアの動向愈々以ていよいよもって重きにして、特に間宮海峡並びに宗谷海峡の備えは重きと存じ候間(思うので)、近く新式砲台の設...
八紘共栄圏を目指して

第795話 『哱拝・ヌルハチ・楊応龍』

文禄二年六月十日(1593/7/8) 寧夏鎮「陛下、明が我が国の独立を認めましたな。これでようやく、民を安んじることができ、平穏が訪れるというものです」 哱拝ぼはいが独立を宣言後に明国の軍勢は撤退したが、和平は成立したものの、正式に明は寧夏...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第313話 『技術革新と大老会議』

文久三年六月二十九日(1863年8月13日)  強力な海軍を創る。 その一環として次郎がオランダに発注した2,500トン級鋼鉄艦である『大成』が川棚に到着したのは、去年のちょうど今ごろである。 世界でも最先端の同艦の設計図をもとに、同型艦を...
八紘共栄圏を目指して

第794話 『割譲開始』

文禄二年五月十一日(1593/6/10)  明国から割譲された広州、寧波、天津の3港は、海西地方として肥前国に組み込まれた。総督府は広州である。居住民に関しては向こう2年の間は自由とし、その間に肥前国籍とするか明国籍とするかを選ばせた。「お...
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第792話 『賠償金の受取~黄金の雫』

文禄二年三月十日(1593/4/11) 京都 大日本国政庁「これはこれは……まさに圧巻であるな」 大日本国の財務副大臣である羽柴秀吉は、目の前にある66万貫文の永楽通宝を見てあっけに取られていた。肥前国(肥前州)の役人が特別歳入として届けて...
東アジアの風雲

第791話 『条約締結と新しい秩序』

文禄二年二月八日(1593/3/10)諫早城「御苦労様でした、叔父上」 居室でくつろいでいた純正に報告をしている政直であったが、公務以外のときは叔父と甥である。「いやいや、まさかわしがあの明国との交渉にあたるとは……考えもみんかったわい」「...
東アジアの風雲

第789話 『東南アジアの国々と万暦帝』

文禄元年十一月四日(1592/12/7) 琉球王国 首里城「肥前国が明に勝ったか……」「予想はしておりましたが、やはり我らの決断は正しかったようです」 伊地親方の言葉に長嶺親方が同意した。伊地親方は事実上の行政のトップとなる三司官であった。...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第307話 『文久遣欧使節の帰国と朝廷と長州』

文久二年十二月十一日(1863年1月30日) 川棚港「兄上! あれっきりと申し上げましたよね! 弘化四年の砌みぎり、人は宝だと仰せになって、某それがしに全国行脚を命じられました。これが最後だと! 某は信之介様のもとで学びたいと!」 そう言っ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第306話 『第一回大老院と薩摩』

文久二年十二月九日(1863年1月28日) 江戸城 現在でいう組閣が行われ、政事総裁職に松平春嶽、将軍後見職に一橋慶喜が選出された。 ・筆頭大老は安藤信正(まとめ役) ・大老衆は島津忠義、毛利敬親、山内容堂、伊達慶邦、前田斉泰(5名) ・老...
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第301話 『対面と交渉』 

文久二年十月二十七日(1862年12月18日) 横浜 上海から済生丸が横浜に寄港して1か月半がたったが、パーシーの葬儀はごく小規模に執り行われた。プロテスタント教徒であったために、オランダ人居留地より牧師を呼び、キリスト教式で行われたのだ。...
東アジアの風雲

第784話 『2万対3千』

天正二十一年三月十三日(1592/4/24)  明軍丙路 丙路を通る楊鎬ようこう軍は決戦を前に十分な休息をとり、隘路あいろを白雲へ向けて進軍中であった。「副官、では策の通りにいたそう」「承知しました」 当初、昨日の作戦会議では隘路を一点突破...
東アジアの風雲

第783話 『乙軍大将祖承訓の決断』 

天正二十一年三月十三日(1592/4/24)  泰川郡北部 甲軍が隘路あいろを突破したという知らせは、乙・丙へい両軍には伝わらなかった。甲路と乙路の間、現地点間の距離は13kmもあったからだ。部隊間の連携など、最初から明軍の作戦には入ってい...
東アジアの風雲

第782話 『血染めの隘路』

天正二十一年三月十三日(1592/4/24)   暁と共に、3つの狭間で両軍の激突が始まった。  史憲誠にとって、この甲軍隘路の地形が極めて危険な戦場となることは明白だった。そこで彼は夜明けと同時に先鋒部隊を派遣し、慎重な姿勢を保ちながら前...
東アジアの風雲

第781話 『決戦前夜』

天正二十一年三月十二日(1592/4/23)  竜岩浦 西部軍団「さて、では我らも北上するとしようか」 敵である明軍の補給物資を接収し、補給部隊の再編も終わった島津義弘が号令を発した。竜岩浦から明軍の本隊がある義州府までは約45km、2日な...
東アジアの風雲

第780話 『隘路』

天正二十一年三月九日(1592/4/20)  鴨緑江沖「敵兵の収容が終わりました。生存者は751名です。兵糧は……40万貫(約1,500トン)ほどとなりそうですが、弾薬は……」「ご苦労、もう良い。赤崎長官、如何いかがいたす?」「兵糧に関して...
東アジアの風雲

第779話 『決死の行軍と鴨緑江沖海戦』

天正二十一年三月八日(1592/4/19)  義州府 義州府の楊鎬ようこうの本隊のもとに、敗残兵を引き連れた沈有容が到着した。兵数は1万。焦燥しきった沈有容の姿は下流域での敵の攻撃のすさまじさと、被害の大きさを物語っている。「よくぞ戻った」...
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第777話 『背水の陣、鴨緑江』

天正二十一年三月四日(1592/4/15)  鴨緑江沖 晴れ 鴨緑江河口に轟音ごうおんが響き渡る。黒煙を噴き上げる出雲をはじめとする肥前国第一艦隊から、次々と砲弾が放たれたのだ。その光景は李舜臣の目に焼き付いた。「これは……まるで雷神の怒り...
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第292話 『フランス租界と青幇』

文久二年八月十九日(1862年9月12日) ホテル『宏記洋行』 夕方 「おい! 晋作は何処いずこだ! まったくあいつは読めん! 何をしているのだ?」「申し訳ありません。昼まではいたのですが、ちょっと目を離した隙にまかれました……」 中牟田倉...
東アジアの風雲

第775話 『肥明戦争』

天正二十一年二月二十四日(1592/4/6)  鴨緑江東岸 「申し上げます! 観測班より伝令、敵に動きあり! 敵、渡河する模様にございます」「ふむ、やはりこれを狙っておったか」 現場は夜半から小雨が降っており、視界は悪くないものの、4月にし...
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第291話 『上海租界とリボルバー』 

文久二年八月十八日(1862年9月11日) 上海 フランス租界 ホテル『宏記洋行』  部屋には佐賀藩の中牟田倉之助、薩摩藩の五代友厚、そして大村藩士の峰源助がいた。彼らは皆、晋作と同じく通商のために上海に来ていた同志である。「おお、晋作君か...
東アジアの風雲

第774話 『朝鮮出兵-3-鴨緑江の対峙』

天正二十一年二月十八日(1592/3/31) 朝鮮・明国国境 鴨緑江「申し上げます! 敵日本軍、鴨緑江の対岸に陣をはり、待ち構えております!」 明軍の総大将である楊鎬ようこうは斥候の報告を聞いて考え込む。 軍は鴨緑江の西岸から数キロ離れた地...
東アジアの風雲

第773話 『朝鮮出兵-2-海軍と紫禁城』

天正二十年五月十三日(1591/7/3) 諫早城「待ってました!」 勝行はそう言って対明国海軍の構想を話し出した。 朝鮮半島から明国沿岸、そして日本列島までが描かれた東シナ海の地図の前で説明をするが、その地図は鴨緑江を境に精度が大きく変わっ...
東アジアの風雲

第770話 『揺らぐ朝鮮』

天正二十年四月五日(1591/5/27) 肥前諫早「陛下、今この時をもって明より離れ、肥前国の冊封を受けるべく動く事が、朝鮮を未来永劫栄えさせる唯一の方策かと存じます」 領議政の柳成龍は、宣祖をはじめ文武の官僚がそろった朝議において声を大に...
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第285話 『虚々実々』

文久二年八月五日(1862年8月29日) 江戸城『英国の罠 - 仕組まれた事件』 次郎が小説家なら、この時期の出来事をこういう話題にタイトルをつけそうだ。 が、小説家ではない。 現場にいるのだ。「三郎殿、こたびは従四位下左近衛権少将への叙任...
東アジアの風雲

第768話 『世界戦略と極東戦略』

天正二十年一月十九日(1591/2/12) 肥前諫早「然て皆の衆。まず考えねばならぬ大陸の件は先日話した通りじゃ。明の弱体化を図りつつ哱拝・ヌルハチ・楊成龍へそれぞれ支援を行い、明を遷都させて南明と成し、大陸を三分して統治させる。よいか」 ...
東アジアの風雲

第766話 『哱拝対魏学曽。石嘴山の戦い』

天正十九年九月十七日(1590/10/15) 寧夏鎮ねいかちん 天正十九年四月八日(1590/5/11)に魏学曽が固原鎮こげんちんに駐屯して5か月がたっていた。 哱拝ぼはい軍と明軍の兵力を考えれば、明軍が倍以上であるがその士気は低く、仮に魏...
東アジアの風雲

第765話 『勢力圏構想-東アジア-』

天正十九年八月十九日(1590/9/17) 諫早 <小佐々純正> オレは風呂に入りながら考えていた。 ある程度の世界情勢が理解できたので、それを踏まえた肥前国の勢力圏の構想だ。転生してきたばかりのころは、生き延びるのに必死だった。しかしそれ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第279話 『久光対信正』

文久二年六月七日(1862/7/3)  発 京都留守居役 宛 蔵人様 島津三郎様 在京不逞ふてい浪士鎮撫ちんぶノ功アリ 従四位下左近衛権少将 叙位任官ノ 動キアリ ■江戸城 安藤信正は久世広周から聞いた腹案について考えていた。 やらせればよ...
東アジアの風雲

第762話 『肥前国の海軍再編と大日本国、そして極東情勢』

天正十九年六月十二日(1590/7/13) 諫早「殿下、お帰りなさいませ」 3年前の天正16年(1587)1月に諫早を出発した海外領土の視察であったが、3年半の歳月を経て終了した。長崎の湊みなとには純正一行の到着を待ちわびた閣僚と民衆が詰め...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第277話 『久光の上洛と寺田屋事件』

文久二年四月一日(1862/4/29) 京都 岩倉邸 発 諸調方しょしらべかた(諜報局) 宛 蔵人様 薩摩ノ草ヨリ報セアリ 島津三郎様 上洛ノ由 日本は次郎の活躍で不平等条約は締結しておらず、関税自主権もあり、領事裁判権も認めていない。また...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第271話 『坂下門外』

文久二年一月十五日(1862/2/13)  江戸城「申し上げます! 御大老様、坂下門外にて襲われましてございます!」「なに! ? 真か?」 大老安藤信正襲撃の報はまたたく間に江戸城をかけめぐり、久世広周は信正の安否を問うた。「幸いにして御大...