八紘共栄圏を目指して

第797話 『楊応龍とヌルハチ』

文禄二年九月二日(1593/9/26)「陛下、播州の楊応龍の使者という者が謁見を願いでております」「何? 哱拝ぼはいの次は楊応龍か? あやつには土司としての権力を認めたであろうが。まあよい、通せ」 連日の政務と内憂外患で焦燥していた万暦帝は...
八紘共栄圏を目指して

第796話 『明、万事休す』

文禄二年八月七日(1593/9/2) 純正は明軍との戦いで捕虜とした将兵に3つの選択肢を与えた。 1.このまま日本に永住。捕虜ではあるが、収容年数によって待遇が変わり、最終的には日本国籍となる。 2.明に残している家族を肥前国へ移住させ、帰...
八紘共栄圏を目指して

第795話 『哱拝・ヌルハチ・楊応龍』

文禄二年六月十日(1593/7/8) 寧夏鎮「陛下、明が我が国の独立を認めましたな。これでようやく、民を安んじることができ、平穏が訪れるというものです」 哱拝ぼはいが独立を宣言後に明国の軍勢は撤退したが、和平は成立したものの、正式に明は寧夏...
東アジアの風雲

第776話 『海軍と朝鮮水軍と李舜臣』 

天正二十一年三月一日(1592/4/12)  漢陽(ソウル)外港 済物浦(仁川) 灰色の空の下、済物浦付近は異様な緊張感に包まれていた。 静かに波音を立てる水面に、大小様々な船がひしめき合っている。その中心に鎮座する巨大な黒い船体。煙突から...
東アジアの風雲

第773話 『朝鮮出兵-2-海軍と紫禁城』

天正二十年五月十三日(1591/7/3) 諫早城「待ってました!」 勝行はそう言って対明国海軍の構想を話し出した。 朝鮮半島から明国沿岸、そして日本列島までが描かれた東シナ海の地図の前で説明をするが、その地図は鴨緑江を境に精度が大きく変わっ...
東アジアの風雲

第772話 『朝鮮出兵』

天正二十年五月十三日(1591/7/3) 諫早城「暑い! そして蒸し暑い!」 ぐちぐちと文句を言いながら、その様相とは真逆の立ち居振る舞いで周囲を困惑させる人物が、諫早城の会議場へやってきた。その人物とはもちろん……。 肥前国海軍艦隊総司令...
東アジアの風雲

第770話 『揺らぐ朝鮮』

天正二十年四月五日(1591/5/27) 肥前諫早「陛下、今この時をもって明より離れ、肥前国の冊封を受けるべく動く事が、朝鮮を未来永劫栄えさせる唯一の方策かと存じます」 領議政の柳成龍は、宣祖をはじめ文武の官僚がそろった朝議において声を大に...
東アジアの風雲

第768話 『世界戦略と極東戦略』

天正二十年一月十九日(1591/2/12) 肥前諫早「然て皆の衆。まず考えねばならぬ大陸の件は先日話した通りじゃ。明の弱体化を図りつつ哱拝・ヌルハチ・楊成龍へそれぞれ支援を行い、明を遷都させて南明と成し、大陸を三分して統治させる。よいか」 ...
東アジアの風雲

第767話 『ヌルハチと哱拝と楊応龍、そして純正』

天正十九年十二月二十四日(1591/1/19) 肥前諫早 諫早城にある純正の執務室は、静寂に包まれていた。窓の外を見下ろせば、城下を東西に流れる本明川が穏やかに広がり、見上げると未だ明けきらぬ空がどこまでも続く。 朝靄あさもやが海面を覆い、...
東アジアの風雲

第766話 『哱拝対魏学曽。石嘴山の戦い』

天正十九年九月十七日(1590/10/15) 寧夏鎮ねいかちん 天正十九年四月八日(1590/5/11)に魏学曽が固原鎮こげんちんに駐屯して5か月がたっていた。 哱拝ぼはい軍と明軍の兵力を考えれば、明軍が倍以上であるがその士気は低く、仮に魏...
東アジアの風雲

第764話 『新しき三省』

天正十九年七月二十日(1590/7/20) 諫早 <小佐々純正> オレは諫早に戻ってきて城に戻り、吃緊きっきんの陸海軍の再編を終えて、ぐったりした。 もうそろそろリタイヤしてもいいんじゃね? 国内は統一してないけど戦は終わったし、大日本国も...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第279話 『久光対信正』

文久二年六月七日(1862/7/3)  発 京都留守居役 宛 蔵人様 島津三郎様 在京不逞ふてい浪士鎮撫ちんぶノ功アリ 従四位下左近衛権少将 叙位任官ノ 動キアリ ■江戸城 安藤信正は久世広周から聞いた腹案について考えていた。 やらせればよ...
東アジアの風雲

第763話 『陸軍再編』

天正十九年六月十九日(1590/7/20) 諫早 海軍に続いて行ったのが陸軍の再編である。 インド・アフリカなど、南方から西方へ国土が拡張し、北方ではアラスカから沿海州まで統治するようになった。そのためこれまで連隊規模や小隊~大隊規模の部隊...
東アジアの風雲

第762話 『肥前国の海軍再編と大日本国、そして極東情勢』

天正十九年六月十二日(1590/7/13) 諫早「殿下、お帰りなさいませ」 3年前の天正16年(1587)1月に諫早を出発した海外領土の視察であったが、3年半の歳月を経て終了した。長崎の湊みなとには純正一行の到着を待ちわびた閣僚と民衆が詰め...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第276話 『公儀への報告と対馬事件の国内後始末。くすぶっている火は収まるか?』

文久二年三月十日(1862/4/8)  日露間領土境界確定並びに対馬事件賠償条約と名付けられた長い条約は、批准日を1年後とした。それまでに賠償金の支払いや捕虜の返還、そして樺太(千島列島含む)におけるロシア国籍の民間人と兵の退去が行われる。...
東アジアの風雲

第761話 『北方三国同盟と明の滅亡への序曲』

天正十九年五月十一日(1590/6/12) 紫禁城「兵はいる。だが動かすことは難しいだろう」 内閣大学士の申時行は誰に告げるわけでもなく、静かに、淡々と述べた。「100万の兵を抱え、各地の衛所にも精鋭がいる。しかし……」「軍餉ぐんしょう(兵...
東アジアの風雲

第760話 『乱、その後』

天正十九年四月八日(1590/5/11) へトゥアラ「申し上げます! 明国、寧夏鎮ねいかちんの副総兵、哱拝ぼはい殿の使者がお越しになっております」「なに? 明の? ……よし、通すがよい」 建州女真の首都であるへトゥアラの政庁で政務をとってい...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第269話 『小栗上野介との交渉』

文久元年十二月二十日(1862/1/19)  江戸城「これはこれは蔵人殿(次郎)、如何いかがなさいましたかな? 某、もはや大抵の事には驚きませぬぞ」「上野介様、なにも驚かそうなどとは考えておりませぬ。実は此度こたび、お許しいただきたいことが...
東アジアの風雲

第759話 『哱拝の乱』

天正十九年三月四日(1590/4/8) 紫禁城  天正十一年(1582年)に張居正が死んでから、都・北京の空気は少しずつ、しかし確実に変質していった。 かつて大和殿で政務を執っていた万暦帝の姿は、もはや見られない。 名宰相であった張居正の死...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第243話 『条約破棄?』

遡って安政六年八月三日(1859/8/30) 大村 産物方「”Madam”……私は責任者との面談をお願いしたはずですが……」「私が責任者です。本来なら家老である夫が責任者ですが、留守の際に全権を委任されているのは私です。ですから私に話してい...
大日本国から世界へ

第743話 『アラスカ並びに北米西岸の探険・入植と太平洋横断計画』

天正十七年四月十二日(1588/5/7) 天正十三年の六月から十一個艦隊体制と、八月から海軍艦艇の蒸気機関推進化をすすめていた肥前国海軍であったが、ようやくその体を成すようになってきた。 160隻ほどあった既存艦艇は予備艦艇として、特にルソ...
大日本国から世界へ

第742話 『籠手田安経と三度、イスパニアの影』

天正十七年二月二十七日(1588/3/28) 純正が向かう東南アジア総督府はカリマンタン島のクチンにあり、ブルネイ県・スラウェシ県・インドネシア県・ニューギニア県・オーストラリア県の広大な領域を統括する総督府である。 陸地面積だけでルソン地...
大日本国から世界へ

第741話 『ルソン総督と北川長介純清』

天正十六年十二月二十九日(1588/1/27)フィリピン「父上、やはりルソンまで来ると暑うございますね。台湾も暖こうございましたが、さらに南だとこうも暑いものでしょうか」「ふふ、平十郎よ、そなたは肥前国から出るのは初めてではなかろう? 海軍...
大日本国から世界へ

第740話 『台湾総督府』 

天正十六年十一月三十日(1587/11/30)台湾総督府 純正が台湾への入植を始めたのは今から21年前、永禄十年の1567年であり、信長との同盟を結ぶ前の肥前の一大名に過ぎない頃であった。 当初は入植者の原住民による殺害事件などの悲惨な出来...
天下百年の計?

第736話 『ペトロパブロフスク・カムチャツキーからオホーツクをへてウラジオストクへ』

天正十六年六月十七日(1587/7/22)沿海地方 沿海県 ニコラエフスク・ナ・アムーレ(北黒瀬浦) 純正は小樽を出港後、1か月半かけて北加伊道沿岸を回り、その後カムチャッカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー、オホーツクのオホーツクを...
天下百年の計?

第732話 『吉原県吉原湊』

天正十六年一月十八日(1587/2/25) 地震発生から1年と2か月が経ったが、純正は地震が発生してすぐに決定をした。 向こう10年間を復旧期間とし、全域の復旧ならびに新規の高層建築の建造を禁止したのだ。もちろん、計画していた大阪城も例外で...
天下百年の計?

第730話 『肥前国内行政機構再編制』

天正十四年七月十六日(1585/8/11) 諫早城 純正は毛利家への仕置きと併せて、肥前国内の行政機構と、大日本国内での小佐々領内の呼称について改称・改編を行った。 まず、小佐々家の統治下にある全ての所領を肥前州とした。海外領土も全てである...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第186話 『日露和親条約』

安政元年十二月二十一日(1855/2/7)~遡ること数ヶ月前「絶対にダメです! 馬鹿ですか? 阿呆あほうですか?」 次郎はそう叫びたいのを必死に我慢して、地道に交渉にあたっていた。プチャーチンに対してではない。日露和親条約締結における日本全...
天下百年の計?

第726話 『上知か転封か減封か』

天正十四年三月二十五日(1585/4/24) 京都「お久しゅうございます治部少輔じぶのしょう(純久)殿」「おお、これは……直江殿、これはこれは……十年以上、天正の初め以来にござろうか」 肥前国の庁舎と新政府の庁舎は近い。  そのため純久は以...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第178話 『下田追加条約とクルティウスとライケン。長崎海軍伝習所について』

嘉永七年五月二十三日(1854年6月18日) 和親条約締結後の五月に、その細則として下田追加条約が締結された。次郎はこれにも同席したが、特に日本側に不利になるような重大な事項はなかった。 ざっくり書くと次の通り。 第一条 下田鎮台支配所(奉...
天下百年の計?

第723話 『肥前国(州)の貿易状況』

天正十三年十二月十五日(1585/1/15) 諫早城 大日本国と肥前国(州)とでは、経済規模がまるで違う。  厳密に言えば肥前国は小佐々州として大日本国の構成州となっている訳であるから、その肥前国の貿易収益の何パーセントかが大日本国の貿易収...
天下百年の計?

第718話 『三個師団と三個艦隊。汽帆船の艦隊編成へ』

天正十三年六月二十九日(1584/8/5)  陸軍に関しては北方は小樽に、印阿国はケープタウンとカリカットに駐屯地を設営して地域の防備と運営にあたる事となったのだが、三個師団の増強はそこまで時間はかからなかった。  小樽、ペトロパブロフスク...
天下百年の計?

第717話 『肥前国(州)陸海軍と大日本国陸海軍』

天正十三年五月二十二日(1584/6/30) 肥前州庁舎 大日本国陸海軍は、いわゆる肥前州陸海軍である。 各州の州軍はそのまま大名の私兵が運用される事になっているが、装備や規模、練度や士気の面で国軍よりはるかに劣る。州は独立国に等しい権限を...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第166話 『江戸城での弁明とプチャーチンの来航』

嘉永六年七月十八日(1853年8月22日) 江戸城 御用部屋「して次郎左衛門、此度こたびの江戸参府ならびに登城におよんだ儀については、あえて言うことも無いかと思うが、つくづくと(じっくりと)話してもらうぞ」 次郎は呼び出され、江戸城御用部屋...
天下百年の計?

第709話 『瓶詰めの開発と琉球州顛末。琉球国か琉球州か』  

天正十二年六月十六日(1583/8/3) 諫早城 「ところで忠右衛門。その後缶詰はどうなっている?」 純正は唐突に忠右衛門に尋ねた。 忠右衛門は14年前に真空ポンプを使って実験をして以来、純正から缶詰の開発を依頼されていたのだ。 しかし実際...
年表・統治機構

新政府統治機構

小佐々家……肥前州(以下内訳) ■中国地方……長門県(以下県)・周防・安芸・石見・出雲・隠岐・伯耆・因幡・但馬・美作・播磨・備前・備中・備後。 中国総督府・安芸吉田郡山(総督:毛利輝元)。 ■四国地方……讃岐県(以下県)・阿波・土佐・伊予・...
天下百年の計?

第703話 『南常陸・南下野・東上野・下総の統治』

天正十一年十二月二十六日(1583/1/19)  新政府暫定庁舎会議室 純正は北条と先の将軍義昭の悪巧みを公表し、その後始末として減封としたことを全議員(大名)に伝え、新政府内においては合議の上、一年間の参加資格の停止処分とした。 停止処分...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第693話 『天然痘ワクチンと北条氏規』(1582/1/29)

天正十一年一月六日(1582/1/29) 純アルメイダ大学内研究室 大学の研究室では様々な分野に分かれて研究がなされている。  医学の分野に限って言えば、新薬の開発やワクチンなどだ。純アルメイダ大学の第一期卒業生である楢林朔玄さくげんは、同...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第686話 『おーやじ、なんばしょっとね?』(1581/2/7)

天正十年一月四日(1581/2/7) 肥前飯盛城 <純正> 昨年末、松浦の爺様が亡くなった。享年八十八。 史実より3年長く生きたけど、人間五十年の二人分の大往生だ。史実にいない俺が統一を推し進めたものだから、喪主は平戸松浦からの養子ではなく...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第131話 『幕府のその後と2号ドックと2番艦。江戸四人衆』(1851/1/3)

天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第684話 『注射器の開発と北条・イスパニア・ポルトガル』(1580/11/29)

天正九年十月二十三日(1580/11/29) 工房の中は工具の音と共に、試行錯誤が続く中での緊張感が漂っていた。加工職人は金属の短冊状の板を慎重に扱いながら、曲げて筒状に成形する作業に取り組んでいる。「この金属板をしかと丸めることができれば...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第683話 『柳とキナと百三十万二千九百貫』(1580/10/23)

天正九年九月十五日(1580/10/23)「松庵先生、また一緒に研究を進めましょう」 東玄甫は診療所の裏庭で宇田川松庵に声をかけた。宇田川松庵は雷酸水銀を発見した化学者で、科学技術省の職員である。庭には何度も使用された柳の木がそびえていた。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形 メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 見...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第121話 『セメントの続きと臭水樽揮発問題』(1850/2/19) 

嘉永三年一月八日(1850/2/19) 大村藩政庁「高炉セメント?」 全員が信之介の方をむいて会議が中断し、その高炉セメントとはなんぞや? という話になってしまい議論が何日も続いている。次郎が予測、というか史実で発生するコレラは1858年。...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第674話 『御館の乱の終結と北条からの返事』(1579/10/8) 

天正八年九月十八日(1579/10/8)  徳川勢の奥三河侵攻によって北信より撤退を余儀なくされた武田軍であったが、奥三河がすでに家康の手中となり、奪還が不可能と判断した勝頼は、軍勢を再び北信へ戻す事となった。 景勝・景虎両陣営の和睦を図っ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第673話 『信長との対談。御館の乱の形勢逆転』(1579/9/18) 

天正八年八月二十八日(1579/9/18) 岐阜城「これはこれは、久しいですな内府殿」「堅苦しい話はやめましょう中将殿。人払いを願えますか」 純正は岐阜城で信長と会見した。すぐに信長は近習に伝え、人払いをする。「久しいな。こうして直に話をす...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第671話 『上洛要請のその後と景勝vs.景虎始まる』(1579/6/15)

天正八年五月二十一日(1579/6/15)  小田原城「……! おのれ純正め! このわしに上洛せよだと? なにゆえわしが、成り上がり者の純正に頭を垂れに京まで出向かねばならぬのだ」 純正からの手紙を読んだ氏政は怒り心頭である。  上杉家の家...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第664話 『日ノ本大同盟の今』武田と畠山と里見(1579/3/8)

天正八年二月十一日(1579/3/8) 七尾城「殿、なにやらうれしい事でもあったのですか?」 側近である大塚孫兵衛尉連家まごべえのじょうつらいえの問いかけに、畠山義慶は穏やかな表情を浮かべる。「孫兵衛よ、わしが家督を継いで早十二年。長かった...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第662話 『海軍の再編成と陸軍の再編成。増員と人事異動』(1579/1/19)

天正七年十二月二十二日(1579/1/19) 諫早城 純正はフィリピン戦を見据えて、陸軍を8個師団編制、海軍を8個艦隊編制とする予定であった。 しかし勝利したものの、明への対応も含め、スペインがいつ盛り返してくるか分からない。そのため3個師...
北条と東北。明とスペイン、欧州情勢。

第634話 『織田水軍から織田海軍へ、イスパニア情報の収集』(1577/10/13)

天正六年九月二日(1577/10/13) 岐阜城「何? 小佐々から参陣の求めが来ただと?」「は、これよりイスパニアなる南蛮の国と戦をするゆえ、海軍の参陣を求めると。水軍とは呼ばず、海軍と。されど強いるものではなく、判は委ねるとのことで、その...