幕府

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第126話 『鍋島直正の苦悩と島津斉彬の決断。幕府は如何に?オランダ風説書』(1850/8/9)

嘉永三年七月二日(1850/8/9) 江戸城 一右同説ニ而者にては東印度海並に唐国海に英吉利イギリス海軍左之通り相備有之由あいそなえありのよしに候。(同記事によると、東インドおよび中国近海における英海軍は以下の通り) 十五隻 和蘭オランダ海...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第678話 『艦隊の帰還と世界地図。大同盟の財源は?』(1580/6/27) 

天正九年五月十六日(1580/6/27) 京都 大使館 発 南四(南遣第四艦隊) 宛 屋形 メ 籠手田湊(ポートモレスビー)ニテ 婆羅島(ボルネオ島)ヨリ南ヲ 随時哨戒中 新幾内亜ニューギニア島ヨリ東ノ島々ノ 沖合ニテ イスパニアノ艦影 見...
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第677話 『まず発議した。後はおいおい考えよう。見積もりいくら?』

天正九年四月三日(1580/5/16) 京都 大使館「まずは全体の法を決めねばならぬ。その後省庁をつくり、内閣をつくる」 純正は現在肥前国に設置された省庁を中央政府、仮に大日本幕府と呼ぼう。その中に省庁を同じように置く事を考えた。そして、行...
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第676話 『中央政府構想の波紋』(1580/4/3)

天正九年三月十九日(1580/4/3) 南近江 大同盟合議所 「徳川殿。武田殿。此度こたびの所領の件については、大同盟加盟の際の約定の通り、これで仕舞いという事でよろしいな」「異論ございませぬ」「異論、……ございませぬ」 家康は満面の笑みを...
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第675話 『北条の返事と大同盟政府へ。ガス灯、点る』(1580/2/29) 

天正九年二月十五日(1580/2/29) 京都 大使館 「北条より文が届いたが、まさに予想通りだな」 純久が言う。最近は純正が京都に詰めているので、業務は可能な限り補佐の親長や佐吉に任せている。石田一家は能力が高い。父親の正継は京都における...
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第120話 『勝海舟と大村城下の下水道整備計画』(1850/1/8) 

嘉永二年十一月二十五日(1850/1/8) <次郎左衛門> さて、確かこの頃の勝海舟は、どこだっけ? 本所から赤坂田町に移ってる頃だったかな。「御免候!」「はいよ。どなたかな?」「勝麟太郎殿にござろうか。それがし、肥前大村家中、家老の太田和...
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第673話 『信長との対談。御館の乱の形勢逆転』(1579/9/18) 

天正八年八月二十八日(1579/9/18) 岐阜城「これはこれは、久しいですな内府殿」「堅苦しい話はやめましょう中将殿。人払いを願えますか」 純正は岐阜城で信長と会見した。すぐに信長は近習に伝え、人払いをする。「久しいな。こうして直に話をす...
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第119話 『次郎左衛門、武蔵国にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』(1849/11/25)

嘉永二年十月十一日(1849/11/25) <次郎左衛門> お茶の件はどうにかなったし、川越に来る途中にいろいろ考えてきた事があった。それは現在進行形で、これから10年、いやそれ以上、俺も含めてみんなが頭の隅に置いておかなくちゃならないこと...
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第118話 『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、次郎左衛門の川越来訪』(1849/11/11) 

嘉永二年九月二十七日(1849/11/11) 江戸城 <阿部正弘> さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエゲ...
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第117話 『ゴムの実験と真田幸貫』(1849/9/28)

嘉永二年八月十二日(1849/9/28) <お里> 6万斤は……人吉球磨茶、知覧茶、霧島茶、日向茶……九州全域で、なんとか、なんとかなった。良かった~! 残りの2万千600斤は少し待って貰ってかき集める。 そのぎ茶の増産。440haまで! ...
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第115話 『蒸気機関鉱山導入と京都へ』(1849/8/2)

嘉永二年六月十四日(1849/8/2) <次郎左衛門> 大島・崎戸・池島の三カ所の炭鉱と、六カ所の鉄鉱石他の鉱山へ蒸気機関の導入が決まった。 排水ポンプや巻上機の動作確認は何度も行っているので、今のところは問題ないだろう。これで石炭の増産が...
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第113話 『閏四月マリナー号、和蘭の自由化の影響を伝えわが国も!となるが・・・』(1849/5/29)

嘉永二年閏うるう四月八日(1849/5/29) <次郎左衛門> やっべ……重大な事を思いだした。 あやうく国際的な信頼を失う所だったよ。そう考えれば、全部じゃないけど|辻褄《つじつま》があうんだ。何の事かって? あの膨大なお茶の輸出量の爆上...
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第112話 『お茶の仕入れ先の拡大と製茶の機械化』(1849/5/22)

嘉永二年|閏《うるう》四月一日(1849/5/22) <次郎左衛門> さて、目的のお茶3万5千斤を調達するためには、効率よく産地を回らなくちゃいけない。近場では間違いなく嬉野茶なんだけど、実は生産量的には福岡の八女茶の方が多い(ようだ)。 ...
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第108話 『ここで、今の大村藩の状況と幕府、その他全体を見回してみよう……なに? 御公儀の目付井戸弘道殿じゃと?』

嘉永二年一月十二日(1849/2/4) <次郎左衛門>「後藤殿、それでは今のところ我が藩の勝手向き(財政)は利がでている、で間違いござらぬか?」 俺は今、筆頭家老となって藩政を差配している。もともと影のフィクサー的なスタンスで行こうと考えて...
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第107話 『石炭の掘削費用と石油の上総掘り……&缶詰開発で儲かるか?』(1849/1/9)

嘉永元年十二月二十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> この月、幕府より鍋島直正に長崎港防備に関する最終回答が伝えられた。 直正は防備の重要性を四年前から説き、堡塁ほうるいの建設を上書していたのだ。しかしその返書の内容は、同じく長崎警固...
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第106話 『鍋島直正の憂鬱』(1849/1/9)

嘉永元年十二月十五日(1849/1/9) <次郎左衛門> 石油の運上金の相場がわかった。 石油96石(17,280ℓ・9千600升)で米48石(4,800升)分。今(嘉永元年)の米の相場だと、1石で銀89匁8分だから48石で4千310匁4分...
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第105回 『蝦夷地の石炭と越後、松代、相良の油田。買い占めへの道』(1848/11/27)

嘉永元年十一月二日(1848/11/27) <次郎左衛門> 適塾の5人が戻ってきた。 洪庵先生の体調は問題ないようだけど、毎月の食事と運動の記録は送って貰っている。そしてその5人は、帰郷の喜びを味わわせる暇もなく、信之介のところに問答無用で...
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第104話 『高島秋帆、毅然とした態度で幕閣と相見え、後進に道を託す』(1848/10/22)

嘉永元年九月二十六日(1848/10/22) 江戸城 高島秋帆は幕閣からの求めにより江戸に参府し、登城していた。いつの世にも、権力者と言うものは下の者から見ると勝手なものだ。まるで何事もなかったかのように振る舞っている。「高島秋帆、命により...
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第102話 『次郎の苦悩と久重の苦労。ハルデスの不安』(1848/9/29)

嘉永元年九月三日(1848/9/29) <次郎左衛門> 結局のところ造船所は、規模を変えずに佐賀の三重津海軍所方式でやることとなった。費用はポルトランドセメントと石材の諸々の費用を引いて、8万2千115両885文で見積もられた。半分だ! あ...
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第101話 『国産か輸入か? 小規模から拡大するか、最大規模か?』(1848/9/28)

嘉永年九月二日(1848/9/28) <次郎左衛門>「あなた様、もう登城の刻限にございますよ」 お静の声で目が覚めた。太田和からの単身赴任じゃなくてよかったよ。実際に登城する時間に余裕を持って起こしてくれた。顔を洗ったり朝ご飯を食べたりの時...
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第100話 『ヘルハルト・ペルス・ライケンとヘンドリック・ハルデスならびに招聘技師総計109名』(1848/9/6) 

弘化五年八月九日(1848/9/6) <次郎左衛門> この月、越前藩において西洋式の大砲が鋳造された。内容は十三吋インチカルロンナーデ砲(カノン砲)、十五吋ホーイッスル砲、二十五吋モルチール砲である。 なるほどな、と。 事の始まりは今年の4...
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第99話 『幕府、和蘭からの軍艦と大砲の購入が頓挫し、国産に切り替える』(1848/7/28)

弘化五年六月二十八(1848/7/28) 江戸城 オランダ国王兼オラニエ・ナッソウ家、ルクセンブルク大公であるウィルレム二世は、謹んで江戸の幕府の最高権威である殿下に書を心から捧げる。  願わくは殿下の一読を賜り、お役に立つ事を祈る。  貴...
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第98話 『豊前国宇佐郡の賀来惟熊と平戸・福江・大村・島原同盟?』(1848/4/13) 

弘化五年三月十日(1848/4/13) <次郎左衛門> 拝啓 弥生の候、兄上様におかれましては、益々ご清祥の事とお慶び申し上げ候。 さて、公儀にて藩の発展に資するべく人材招聘しょうへいの旅に出ており候処、豊前の国宇佐の地に行き着き候。 当地...
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第95話 『佐久間象山大村に着き、隼人肥後にて人を探す』(1848/2/20)

弘化五年一月十六(1848/2/20) 玖島くしま城 <次郎左衛門> 佐久間象山がやってきた! 地震の災害復旧で忙しくてこれないかと思っていたのに、奇跡だ!「御家老様におかれましては、ますますご健勝の程、お慶び申し上げます」 ……。「また、...
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第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9)

弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』 岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。「ほほほ。よきかなよきかな。そも...
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第93話 『佐久間象山、その後。純熈の側近と家督の行方』(1848/1/31)

弘化四年十二月二十六日(1848/1/31) <次郎左衛門> この月、水戸の徳川斉昭が外国人追放に関する意見書を提出した。昨年謹慎を解除されてから、2回目の意見書である。精力的だと言うほかはない。 幕政に参加したいとの権力欲か? いやいや、...
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第88話 『信之介、ボルタ電池にダニエル電池……炭素アーク灯への道』(1847/11/21) 

弘化四年十月十四日(1847/11/21) 玖島くしま城 <次郎左衛門> さて困った。予想通り蔵六が留学したいと願いでてきた。 いや、留学自体はいいんだ。 誰もが知る維新の十傑で優秀な人材は、何人いてもいい。  大村益次郎は史実では長州陸軍...
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第87話 『村田蔵六、次郎左衛門と会す。岩倉具視、次郎左衛門の勧めにて鷹司政道の歌道へ入門して頭角を現せり』(1847/11/18) 

弘化四年十月十一日(1847/11/18) 夜 玖島くしま城下「こ、これは……あれは何ですか?」 すでに夕方だったために、川棚から玖島城下へ向かい、登城するのは遅かった。そのため1泊して、翌朝登城しようというのだ。「ああ、ガス灯ですね。まだ...
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第85話 『ドライゼ銃完成せり。大砲の鋳造幾分か定まれども完全に非ず。儀右衛門、蒸気機関の製造に本格着手せり』(1847/11/5) 

弘化四年九月二十八日(1847/11/5)  玖島くしま城下 <次郎左衛門> 「なあ次郎、思うっちゃけどさ……」「何なん?」 信之介の問いに俺は答える。「今、いろんな人の来よるやろ、大村に」「うん」「いや、そいは良かっちゃ(それは良い)けど...
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第81話 『なるほど、天才だね。だけど大村には君以上の者は3人居るし、君くらいの者は両手で足りないくらい、いるよ』(1847/1/1)

弘化三年十一月二十五日(1847/1/11) 信濃松代藩 産物会所「おお、そうだ。これであれば遜色あるまい」 身長180cmはあろうかという一人の大男が、職人が持ってきたガラスの器を手に取り、満足そうにうなずいている。その男が傍らの机に置い...
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第80回 『勤王藩士、針尾九左衛門と純顕の病状』(1846/10/28)

弘化三年九月九日(1846/10/28) 玖島くしま城 幕府のオランダとの交易自由化に際し、次郎がとった積極策は尋常ではなかった。 以前から波佐見村と彼杵そのぎ村で行っていた茶の増産をさらに図り、同様に陶磁器の量産化にも取りかかった。オラン...
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第79回 『藩主純の病気と隠居・後継者問題』(1846/9/16) 

弘化三年七月二十六日(1846/9/16) |玖島《くしま》城「一体誰だ! 誰がそのような事を申しているのだ! いや、誰だはこの際いい。いかなる事を申しておるのじゃ!」 次郎が大村へ帰藩後、城内にて発した第一声がこれである。 この頃になると...
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第77回 『プロパンガスか都市ガスか?』(1846/8/2)

弘化三年六月十一日(1846/8/2) 大砲鋳造方  15回目の操業である。 高炉2双4炉、反射炉2双4炉による同時溶解を行った。鉄は合計7,200kgを投入し、36 ポンド砲が1 門できた。鉄湯の流動性は全ての炉が良好という訳ではなく、差...
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第76話 『アメリカ東インド艦隊司令長官ビッドル、浦賀に入港し通商を要求する』(1846/7/29)

弘化三年六月七日(1846/7/29) <次郎左衛門> アメリカ東インド艦隊のジェームス・ビドルが、アメリカ政府(ポーク大統領)のジョージ・バンクロフト海軍長官の命をうけて浦賀に来航した。 1845年5月22日付けの指令書にはこう書かれてい...
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第75話 『東彼杵工業地域と佐賀藩』(1846/4/17)

弘化三年三月二十二日(1846/4/17) 京都 <次郎左衛門> 2月に孝明天皇が践阼せんそし、俺が岩倉具視の紹介で朝廷の公家と親交を深めている頃、幕府では伊豆|韮《にら》山代官の英龍さんが、海防意見書を提出していた。 もうどこにも耀蔵はい...
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第73話 『開明塾、初等部、中等部、高等部。五教館中等部、高等部』(1846/3/11)

弘化三年二月十四日(1846/3/11) 京都<次郎左衛門> 孝明天皇が即位した。 結局、20万両は大金だったし、よくよく考えればいくら幕府が関与しない『奥』の収入だとしても、西国の小藩が20万両もの大金を献上金としたなら、大騒ぎになるはず...
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第72話 『改元と朝廷工作』(1846/2/21)

弘化三年一月二十六日(1846/2/21)<次郎左衛門> 仁孝天皇が崩御された。 次は即位と改元だ……と思っていたのだが(本当に思っていた)、そうではない。現代の日本では一世一元の制といって、天皇の即位によって改元し、一代につき一元である。...
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第71話 『長崎台場と造船所。ガス灯の研究』(1846/1/26)

弘化二年十二月二十六日(1846/1/26) 玖島くしま城 弘化三年の、つまり来年の参勤交代であるが、純顕すみあきは老中首座の阿部正弘に、長崎湾と外海沿岸に台場の建設を建白する。 受理されるか却下されるかはわからないが、見積もりが必要である...
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第68話 『炭素鋼ドリルによる切削と口径を統一した芯金による鍛造製造』(1845/8/6)

弘化二年七月四日(1845/8/6) 長崎 イギリス船サマラン号が長崎に寄港した。 警護にあたっていた佐賀藩は、幕命にしたがい薪と水を給与し食料を与え、直正は以下を命じた。 ・藩領である伊王島、香焼島・蔭かげノ尾島(現香焼町で陸続き)、高島...
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第64話 『アルコール⇒エタノール⇒エーテル⇒麻酔と冷蔵庫!』(1845/3/29)

弘化二年二月二十二日(1845/3/29) 江戸城 史実どおり、水野忠邦はさしたる成果を上げることなく老中を辞任した。 やった事といえば、鳥居耀蔵を失脚させた事くらいだ。  土井|利位《としつら》は自ら老中を辞任している。ともかく、一連の関...
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第62話 『和蘭軍艦内部の見学と高島秋帆・高野長英の来訪』(1844/10/30)

天保十五年九月十九日(1844/10/30) 長崎 <次郎左衛門>水戸の徳川斉昭さんが蟄居ちっきょを命じられたのが3月だった。実は同じ時期に江戸城で火事が起こっていて、幕府は焼失した城の修繕費用を諸大名から集めようとしたんだけど、失敗した。...
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第61話 『徳川斉昭の謹慎とおイネ道中に適塾留学生』(1844/6/21) 

天保十五年五月六日(1844/6/21)  一之進がおイネを探して二宮敬作と出会い、なりゆきで診療所の手伝いをしていたころ、フランス船アルクメール号が那覇に入港し、通商を求めていた。 モリソン号事件に続きイギリス船サマラン号、そしてフランス...
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第58話 『精錬方より火術方分離、専門分野に特化する』(1843/11/4)

天保十四年閏うるう九月十三日(1843/11/4) <次郎左衛門>前から考えていて、実行に移した事がある。信之介の負担を軽くすることだ。現代でも言える事だけど、なんでも自分でやろうとするとパンクする。部下に任せて指導管理する方が労力も少なく...
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第56話 『佐久間象山に知己を得、大村に帰っては洋式帆走捕鯨船の完成』(1842/12/17~1843/5/16)

天保十三年十一月十六日(1842/12/17) 江戸 某所「だからな、まずもってこの日本の沿岸部、主要な港に防衛のための砲台を据え置かねばならぬ」「なるほど」 居酒屋の片隅で、数人の同僚なのか部下なのかわからない男達を前に語っている男がいた...
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第54話 『幕閣と御三家と四賢侯と、諸々を使って高野長英恩赦大作戦』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 水戸藩邸「ふふふ。そう畏まらずとも良い。礼をわきまえ接する者は、貴賤きせんを問わずに話を聞き、よいと思えば取り入れる。それがわしの流儀であり、いまのこの世に要るものだと考えておる」水戸藩...
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第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12)

天保十三年十一月十一日(1842/12/12) 江戸 <次郎左衛門> 9月26日に大村を出発して、俺たちが江戸についたのは11月11日だ。   俺の上京、じゃなかった江戸参府の同行には目的があった。それは長英さん(高野長英)の見舞いに行くこ...
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第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』(1842/10/31)

天保十三年九月二十八日(1842/10/31) <次郎左衛門> 俺は今回の江戸参府に同行したが、その前に、やるべきことがあった。『根回し』だ。 史実では高島秋帆先生が今年の五月に告発され、十月には外国人との交友の罪で投獄された。それを防ぐの...
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第50話 『医学方の設立と天保十三年のオランダ風説書』(1842/3/16)

天保十三年二月五日(1842/3/16) <長与俊達>その男(一之進)の怪しげな術(緊急気管切開術)により一命をとりとめた殿(純顕すみあき)は、呼吸が回復した後に箝口かんこう令を敷いた。殿にとってみればその妖術も、命を救ってくれた神のような...
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第49話 『長与俊達と尾上一之進。西洋医学は大村から花開く』

天保十三年一月二十五日(1842/3/6) 砂鉄と鉄鉱石をどう調達するのかに関しては協議を続けるとして、再度入念に領内を調査することとなった。 次郎が帰宅した際にお里が領内の他の候補地を教えてくれた事と、編纂へんさん途中の大村郷村記を再度見...
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第47話 『渡辺崋山は自刃し、江川英龍は韮山で西洋銃を鋳造する』(1841/12/22)

天保十二年十一月十日(1841/12/22) 次郎と昭三郎が大村藩久原で西洋式軍備の調練を行った五月に、高島秋帆も江戸の西にある徳丸原で、門弟百数十人とともに演習を行った。   これにより幕閣の欧米に対する危機感は高まるのだ。 すでにこの時...