仰せ

転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第478話 『慶喜の王手』 

慶応五(明治二)年六月七日(1869年7月15日) 夕刻 京都 小松帯刀邸「小松さん、左衛門佐殿の、いや、大村家中は一体何を考えているのか。さっぱり分からん。薩摩の考えはどうですか?」 木戸孝允は苛立ちを隠さずに太ももを叩いた。 正面の小松...
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第476話 『天動』

慶応五(明治二)年六月七日(1869年7月15日) 京都 貴族院 伊達宗城による『済衆議会』の結成宣言は、議会を新たな局面へと移行させた。 4つの政党がそれぞれの思惑を抱えてにらみ合い、議場は完全に行き詰まっていたのだ。 勘定奉行の選出は振...
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第475話 『鼎立』

慶応五(明治二)年六月一日(1869年7月9日) 京都 貴族院 発議以来、勘定奉行の選出は一向に進展を見せなかった。「これはこれは、掃部頭殿。ご多忙の折にいかなる用向きにござろうか」 宇和島藩伊達宗城は、藩邸を訪れた井伊直憲を意味深な笑みで...
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第473話 『薩長再び』

慶応五(明治二)年四月二十七日(1869年6月7日) 京都 貴族院「井伊掃部頭殿の弾劾を求める! 大義なき戦を起こそうとした罪は万死に値する!」 長州藩の議員席から、木戸孝允の鋭い声が響き渡った。 議場は次に口を開くであろう薩摩藩の席に注目...
信長と純正、そして教え子たち

第925話 『二者択一』

慶長九年一月六日(1604年2月6日) 諫早城「実は、先ほど申し上げた北からの知らせとは別に、南明の領内より看過できぬ知らせが届いております」 官兵衛は、手にした書状の中から数枚を抜き出して純正に渡した。「ほう、何じゃ?」「はっ。四川省、加...
信長と純正、そして教え子たち

第924話 『大陸の均衡』

慶長九年一月六日(1604年2月6日) 諫早城「殿下、お見事でございました」「世辞はよい。何も特別な事はしておらん。いずれが国益に適うか、彼の地の繁栄につながるかを考えたゆえじゃ」 かつての南海のけん騒がうそのように、諫早城内は静けさに包ま...
信長と純正、そして教え子たち

第923話 『マラッカ海峡経済圏』

慶長八年十二月五日(西暦1604年1月6日) 諫早「ようやく着いたな」 数ヶ月ぶりに踏む日本の土は硬く、そして懐かしい匂いがした。 長大な航海を終えた純正を、黒田官兵衛他の臣下が出迎える。「お待ち申し上げておりました。早速ですが、例の件、滞...
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第472話 『水面下の奔流』

慶応五(明治二)年四月二十四日(1869年6月4日) 井伊直憲が放った『詰問状』による妥協案は議場にざわめきを起こしたが、次郎は冷静にその場を観察していた。 ――発 隠密方 宛 左衛門佐殿 去る十八日ならびに十九日、薩長さっちょうそれぞれ上...
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第471話 『決裂か妥協か』

慶応五(明治二)年四月十八日(1869年5月29日) ――井伊掃部頭、長州征討を動議せり候。 大村は反対するも強硬採決ならば決裂も辞さずと発言せり候――。 短い文面は、またたく間に海を越えた。 ■長州 萩城「殿。ただちに上洛すべきにございま...
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第470話 『次なる火種』

慶応五(明治二)年四月十二日(1869年5月23日) 採決の日から2日後、議事堂には奇妙な緊張感が満ちていた。 次郎は公議政体党の議員たちが浮かべる自信に満ちた表情を横目に、思いを巡らせている。 彼らが勝利の勢いを駆って、次なる一手、何を打...
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第469話 『採決の日』

慶応五(明治二)年四月十日(1869年5月21日) 本会議での採決を翌日に控えた夜、慶喜が住む小浜藩邸の一室には、井伊直憲と加藤丹後守、そして小栗上野介と渋沢栄一が集っていた。 部屋の空気は張り詰めているが、奇妙な落ち着きがある。 出納帳は...
信長と純正、そして教え子たち

第921話 『マラッカの波紋』

慶長八年九月十二日(西暦1603年10月16日) 16世紀の東南アジアでは、明朝の冊封体制から脱却し、朝鮮や琉球とともに新たに日本の冊封下に入る国家が増加していた。 ベトナムにおいては、北朝(莫ばく朝)を滅ぼした鄭氏一族の東京国や阮氏の広南...
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第468話 『悪魔の証明』 

慶応五(明治二)年四月一日(1869年5月12日)「……そうか。出納帳を出せと」 慶喜の声は意外なほど落ち着いていた。「金の出入りが真でも案ずるには及ばん」 最初は驚きを隠せなかったが、じっくり考えた慶喜の答えはこうであった。 ――幕府の極...
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第467話 『逆転の一手』

慶応五(明治二)年四月一日(1869年5月12日)「それがしの不徳の致すところ。誠に申し訳ございませぬ」 詮議が終わって半刻ほど過ぎた頃であった。 京都に構える大村藩邸の一室で、根岸主馬が畳に額をすり付けんばかりに頭を下げている。 悔しさと...
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第466話 『御料所差配詮議方と幕府除目詮議方』

慶応五(明治二)年四月一日(1869年5月12日) 1週間たっても、慶喜に対して伊達慶邦からの返事はなかった。 東北の遊説の行程は知らせてあったので、電信を使えばすぐに届くはずなのに、である。 慶喜は考えた。 返事がない……すなわち迷ってい...
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第465話 『慶喜、諸侯を巡る』

慶応五(明治二)年三月一日(1869年4月12日) 京都 仙台藩邸 慶喜は、東北の諸藩は会津、仙台、庄内、米沢の四藩が味方につけばまとまると考えていた。外様が多いが譜代も多い。大藩である仙台の威光は大きく、日本海側の諸藩も、仙台が味方につけ...
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第464話 『詭弁か忠義か』

慶応五(明治二)年二月十六日(1869年3月28日) 京都 大村藩邸 本日は夜も遅いので、と言って別れた翌日、居室で先に口を開いたのは純顕であった。「次郎。昨日は詭道きどうと申したが、つぶさにはいかなる手を打つのだ。公議政体党は数で我らを上...
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第463話 『慶喜の奇策』

慶応五(明治二)年二月十五日(1869年3月27日) ――議会が認めたなら、それで構わぬ。 江戸から戻った慶喜の答えは、次郎の予想に反してとても単純であった。 天領の議会管理も、幕閣の門戸を大いに開く提案も、議会の承認があれば認めるらしい。...
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第462話 『あり得ない条件』

慶応五(明治二)年二月五日(1869年3月17日) 京都・小浜藩邸「……条件、とな。いかなるものか」 慶喜は努めて平静を装って低い声で問い返した。 家茂の意向を受けて、徳川の威光を保ったまま大村を取り込むための懐柔策である。その最終段階で相...
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第461話 『懐柔』

慶応五(明治二)年二月五日(1869年3月17日) 京都・小浜藩邸 障子の外からは、夕刻を告げる鐘の響きがかすかに届いていた。 調えられた食卓には鯛たいや鴨かもの吸物、京の野菜を使った膳が並んでいる。夜の饗応きょうおうは豪華ではないが、随所...
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第460話 『問責と仕切り直し』

慶応四年十二月二十日(1869年2月1日) 江戸城「? 然様さようか。余が聞いた話とは随分違うようだが……」  慶喜の額から冷や汗がしたたり落ちた。「余が聞いた話では、守護職屋敷の放火と升屋の刃傷沙汰は犯人を取り押さえたと聞き及ぶ。然りなが...
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第458話 『時と場合』

慶応四年十二月十日(1869年1月22日) 周防国 三田尻「御家老様、三田尻の港が見えてまいりました」 供の助三郎の声に次郎は我に返る。船室の窓に目をやると鉛色の空の下に長州の陸地が横たわっていた。「そうか。出迎えはあるかな」「井上馨殿が直...
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第457話 『グラバーと薩長』

慶応四年十二月八日(1869年1月20日) 京都 大村藩邸 次郎は江戸での諸外国への説明対応を終わり、幕府への引継ぎをした後に京都へ戻っていた。 戻ってきたの表現がしっくりくるほど、京都と江戸、大村を行き来している。 多忙な大村藩の家老であ...
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第452話 『三権分立と薩長の離反』

慶応四年十月二十日(1868年12月3日) 京都 大村藩邸  京都の混乱が一応の決着を見てから六日が過ぎ、徳川慶喜の政治的手腕によって表面上は秩序が回復したかに見えた。 しかし次郎には、この平穏が砂上の楼閣に過ぎないと分かっている。 三権分...
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第450話 『沙汰と黒幕』

慶応四年九月六日(1868年10月21日) 新選組の屯所で、土方は取り調べを続けていた。 しかしいっこうに進展はない。 一方には京都見廻みまわり組の隊士たち、もう一方には長州藩士たちがいる。「我らは何もしておらぬ。祝い酒の帰りに歩いていただ...
信長と純正、そして教え子たち

第902話 『天下治平之大計』

慶長六年十一月四日(1601年11月28日) 帝都・諫早 指令室内では、昼夜を問わず担当者が全国から届く報告を叫びながら作業していた。 壁一面の巨大な日本地図の前では、書記官たちが長い竿さおの先に付けた駒を、目まぐるしく動かし続けている。 ...
信長と純正、そして教え子たち

第900話 『黄金の国の飢餓』

慶長五年(1600年)十一月 新生インカ帝国首都 クスコ「……まだ、来ないのか」 絞り出すような声が、がらんとしたクスコの玉座の間に響いた。 皇帝トゥパク・アマルの言葉は、問いかける相手もいないまま、高く冷たい石の天井に吸い込まれて消える。...
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第446話 『守護職弾劾』

慶応四年九月二日(1868年10月17日)「御用改めである! 神妙にいたせ!」 けたたましい怒鳴り声と共に、旅籠の部屋の障子が無残に蹴破られた。 月明かりを遮って現れたのは浅葱あさぎ色の羽織をまとった新選組の隊士たちである。抜き身の刀が行燈...
信長と純正、そして教え子たち

第898話 『見えざる灰』

慶長六年九月十九日(1601年10月25日) 肥前県諫早 帝国政府庁舎 純正が館山で東日本の新たな秩序の礎を築いている頃、首都諫早では、緊張感の中で国家の全ての機能がフル稼働していた。 帝国食糧安全保障会議。 そこでは、帝国の存亡を左右する...
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第444話 『公儀政体党』

慶応四年八月十五日(1868年9月30日) 京・薩摩藩邸「和戦両様? 詳しゅう申せ、帯刀たてわき」「は」 久光の低い声には未だ納得できない苛立ちが表れている。帯刀は主君の視線を真っ直ぐに受け止め、覚悟を決めて口を開いた。「は。まず『和』ん道...
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第443話 『公儀の影』

慶応四年八月十三日(1868年9月28日) 京・大村藩邸 小御所での嵐の朝議から二日が経過した。 次郎が心血を注いで起草した『重要技術管理法案』は、帝の裁可を経て正式に布告される段取りとなり、その知らせは京の有力者たちの間に静かだが確実な波...
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第441話 『技術の担い手』

慶応四年六月二十三日(1868年8月11日)  横浜外国人居留地内 商館 商館内は緊張感に包まれていた。 幕府とフランス、双方の技術者を集めた実務者協議の場である。 パリ万博において、フランスに対する無煙火薬と高強度鋼の供与に関する協定が結...
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第437話 『投げられた賽・朝廷と幕府』

慶応四年五月一日(1868年6月20日) 京の空は朝から低い雲に覆われていた。 禁裏御守衛総督屯所の一室では、他とは一線を画す重厚な緊張感が満ちている。 部屋の中央には総督の一橋慶喜。 目の前には大村藩邸からもたらされた一通の書状が置かれて...
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第434話 『政治改革と京都炎上』

慶応四年四月十七日(1868年5月9日)夜 御所内 小御所 慶喜が提示した石高に応じた票数配分案は、小御所内の空気を再び動かした。 親藩・譜代と外様とざまの票数が拮抗きっこうし、公家くげ衆が加わる。 一見すると数の不公平を解消する現実的な妥...
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第433話 『混迷の小御所会議:慶喜の貴族院構想と各藩の思惑』

遡って大村藩邸での会合の後――。「お見事でございます。これにて万事、滞りなく相成りました」 永井尚志なおゆきはわずかな笑みを浮かべて慶喜に言った。「ふん」「頭を下げて事が良き方へ流れるならば、いくらでも下げれば良いのです。然さりながら殿が行...
一強からの変化

第888話 『信則の岐路』

慶長五年四月十日(西暦1600年5月22日) 岐阜城 出陣準備の喧騒けんそうが屋敷を包む中、信則は自室に軟禁されていた。 兄・信秀への度重なる諫言かんげんが逆鱗げきりんに触れた結果である。「なぜ、この思いが届かぬのだ……」 信則は格子窓から...
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第430話 『どんな手を使っても』

慶応四年(明治元年)三月二十八日(1868年4月20日)  先般、大老院解散の儀、我が言に配慮なきゆえに貴殿の気を害せし事、我が不徳に御座候。 然しかれども、幕府が日本を差配する大義に揺らぎ無く、此度こたび改めて帝より大政委任の宣旨を賜り候...
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第429話 『壮大なる根回し』

慶応四年(明治元年)三月十日(1868年4月2日) 弘前城「大老院の解散、真まことに公儀のなさる事はよう分からぬ。薩摩の考えで設けられ、互いの考えが合わぬとか、悪口雑言飛び交ったとか。それと此度こたびの来訪は関わりがあるのか?」 雪解けの気...
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第429話 『壮大なる根回し』

慶応四年(明治元年)三月十日(1868年4月2日) 弘前城「大老院の解散、真まことに公儀のなさる事はよう分からぬ。薩摩の考えで設けられ、互いの考えが合わぬとか、悪口雑言飛び交ったとか。それと此度こたびの来訪は関わりがあるのか?」 雪解けの気...
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第428話 『雲行き』

慶応四年(明治元年)三月九日(1868年4月1日) 遡ること数日前――。「斯かくなる上は、殿御自らご尽力頂くより他ございません」「ほう……」 居住まいを正して真剣な眼差しの上野介に対して、慶喜も表情を変えて相対する。「一体、何を如何様いかよ...
一強からの変化

第886話 『塩が消える日』

慶長五年三月四日(西暦1600年4月17日) 尾張 清洲城下「おい、どけ! 俺が先だ!」「ふざけるな! 昨日から並んでるんだぞ!」 美濃路に面した大店、『尾張屋』の店先は、怒号と罵声が飛び交う戦場と化していた。 店の前には数百の民が殺到し、...
一強からの変化

第885話 『抗えぬ国力差』

慶長五年二月二十日(西暦1600年3月16日) 岐阜城「何だと? 上様が?」 武井十左衛門は家来からの報告を受け、苦々しい顔をしている。 大日本国崩壊を受け、織田家は日ノ本大同盟以前の状態に戻り、純正から一切の干渉を受けなくなった。 信長の...
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第426話 『北へ南へ』

慶応四年(明治元年)三月二日(1868年3月25日) 松前城「はぁーはっはっは! さすがであるな! あの御仁は見かけによらず豪胆じゃ! この君して臣なり、その逆もまた然りじゃな」 松前城の広間で次郎と謁見した崇広たかひろは、次郎の報告を聞い...
一強からの変化

第884話 『純正、問答無用』

慶長五年二月十六日(西暦1600年3月12日) 諫早城「して、殿下、この先は如何いかがなさるおつもりでしょうか。陸海軍すべて備えは十分にて、あとは殿下の号令のみにございます」「まあ待て、直茂、まだ最後の確認をいたしておらぬ。安土の政庁にて、...
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第425話 『決別か否か』

慶応四年(明治元年)二月二十八日(1868年3月21日) 江戸城「はて、それがしは何も話す事はございませぬ。次郎、そうであろう」「は、はは……」 次郎は、ここは純顕に任せた方がよいと考えたのか、相づちをうったのみである。「安藤殿、中納言様、...
一強からの変化

第883話 『寿命と病状と織田家中』

慶長五年一月二日(西暦1600年2月16日) 岐阜城 年が明けて慶長五年となったが、年賀の挨拶どころではない。 信長の病状がまったく変わらず、その病状も秘匿されていたので、織田家中はおろか領内でも不穏な噂が飛びかっていたのだ。 当主である信...
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第424話 『大政委任の勅令』

慶応四年(明治元年)二月二十八日(1868年3月21日) 次郎と純顕は今後の国政を提言するために江戸に向かったが、その途中京都において、国事御用掛となっている岩倉具視と面会した。 国事御用掛は朝廷に国事を議するために設けられた役職で、国事御...
一強からの変化

第882話 『信長の病状』 

慶長四年十一月十六日(西暦1600年1月2日) 岐阜城「馬鹿な! 目通り叶わぬだと! 貴様、わしが浅井備前守と知っての事か! 義兄あにの見舞いも出来ぬなど聞いた事がない! 今一度とりつくのだ!」 浅井長政は怒りを露わにしたが、城兵は冷静であ...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第423話 『パリからの帰国と国内情勢』

慶応四年一月二十五日(1868年2月18日)<徳川慶勝> ああ、ようやく終えたな。 なんとか公儀の名代としての大役を果たせたわ。 帰りは英吉利との交渉で補給の港を得た故、行きのごとく難儀ぜずにすんだわい。 はやいとこ尾張に戻ってゆるりとした...
一強からの変化

第881話 『密書と各州』

慶長四年十一月十二日(西暦1599年12月29日) 能登 七尾城「何、書状じゃと?」「は、岐阜の宰相武井十左衛門からそれがしへの書状にございます」 武井十左衛門は織田の重臣であったが、それでも直接他家の当主に手紙は送れない。 そのため、同じ...