家中

一強からの変化

第877話 『新生 大日本国と信長』

慶長四年十月四日(西暦1599年11月21日)「斯様かような仕儀にて、ここにいたっては、乱れ騒ぎし策も立たず(混乱の解決策もなく)、殿下にご足労いただくほかないと愚考した次第にございます」 純正の御前で平伏しているのは、1か月半前から大日本...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第410話 『列強の思惑』

慶応三年五月二十六日(1867年6月28日) 万博会場は前日に増して多くの来訪者でにぎわっていた。 日本パビリオン全体が注目を集める中、特に大村藩の展示は人だかりができるほどの盛況である。 軍事技術展示の評判が広まり、各国の軍事専門家や外交...
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第406話 『研究会のその後とパリデート』

慶応三年五月十八日(1867年6月20日)フランス・パリ「確かにその面は無きにしも非ずでしょう」 渋沢が答え、通訳がフランス人に伝えている。「商人風情町人風情と、武士が町人を下に見ている風潮が、産業の発展を阻害してきたと言われても、反論はで...
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第404話 『通信革命②』

慶応三年五月二十二日(1867年6月24日)パリ 大村パビリオンでは、電話機の実演が始まった。「Hallo! Kunt u mij horen?」(もしもし! 聞こえますか?) 離れた場所のもう一台の電話機からオランダ語で話しかけると、受話...
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第401話 『移動と計算の革命』

慶応三年五月十一日(1867年6月13日)万博会場 晴れ渡ったパリの朝。 日本パビリオン前には前日を上回る長蛇の列ができていた。昨日の電灯実演の評判が市内に広まり、多くの見学者が詰めかけている。「兄上、もう門前にこれほどの人が……」 隼人が...
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第396話 『潜水艦と少年』

慶応三年五月二日(1867年6月4日)フランス ル・アーヴル パリ万博に二ヶ月遅れて参加となった日本遣欧団は、艦隊をフランスのセーヌ川河口にある港町ル・アーヴルまで進ませた。 潜水艦『大鯨』と水雷艇『神雷』のえい航索を切り離し、万博の参加要...
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第394話 『再会、そして再出発』

~慶応三年一月十九日(1867年2月23日)プリンスエドワード島「おお! 司書よ! 繁太郎も無事か! 良かった。……本当に良かった」 南東方面の探索にあたっていた『知行』をはじめとする分艦隊六隻は、入り江に投錨とうびょうして上陸を開始してい...
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第393話『大鯨と神雷』

慶応三年一月八日(1867年2月12日)喜望峰沖 荒れ狂った嵐は二日後には収まり、何事もなかったかのような晴天である。日本艦隊は旗艦『知行』を中心に、洋上に停泊していた。 ・大村藩海軍旗艦『知行』 ・同型の二番艦『大成』 ・同補給艦三隻 ・...
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第390話 『交渉の平行線――補給地の誘惑と日本の決断』

慶応二年十一月十日(1866年12月16日)サラワク王国 クチン ガウワーの言葉の裏にある意図を感じ取りながらも、次郎は表情を崩さず、静かに返答した。「過去の出来事は決して忘れませんが、未来を築くためには慎重な歩みが必要です。今はまだ状況が...
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第388話 『結局、とサラワン王国』

慶応二年十一月三日(1866年12月9日) バタヴィア「やや! 今なんと? ……我がんこ? なんか? 無理やり……最初……めん、つ?」 各藩がそれぞれの方言と共通語で翻訳するが、さっぱり分からない。 分からないが、次郎が感情をあらわにしてい...
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第387話 『ぶち切れる』

慶応二年十一月三日(1866年12月9日) バタヴィア「では各々方、憚はばかりながらそれがし、太田和蔵人次郎左衛門が、議事を進めたく存じます」 次郎の隣には、大村藩の名代である甲吉郎純武が控えている。 幕府と加賀藩を除く各藩の名代と艦長(責...
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第384話 『出るわ出るわ』

慶応二年十月十七日(1866年11月23日) 次郎の横には勝海舟、薩摩の川村純義、佐賀の中牟田倉之助、長州の来原良蔵がいる。 目の前には万博参加の各藩の艦長または責任者が神妙な面持ちで並んでいた。 ・土佐藩の後藤象二郎の横に国沢新九郎(名代...
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第383話 『仏領コーチシナ』

慶応二年十月十日(1866年11月16日) 次郎はこの航海を終えた後、幕府に願い出て海軍士官の練習航海を年に一度実施しようと考えていた。 幕府海軍にも必要だろうが、今後、日本が近代国家として列強と渡り合っていくには見聞を広める必要がある。 ...
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第382話 『幕府海軍と大村海軍』

慶応二年九月二十二日(1866年10月30日) 当初、次郎は大村海軍の両艦隊の旗艦である『知行』と『大成』、さらに補給艦2隻と潜水艦『大鯨』、水雷艇『神雷』を伴ってパリ万博に臨む予定であった。 しかし、幕府と諸藩の強い要望を受けて、幕府と各...
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第381話 『実は黒字でいざゆかん万博へ!』

慶応二年九月二十日(1866年10月28日) チュイルリー宮殿の一室は、異様な熱気に満ちていた。 中央の大きなテーブルには、駐日フランス帝国公使レオン・ロッシュからの報告書と、それに添付された写真が広がっている。 ナポレオン三世(シャルル・...
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第379話 『航路問題と大村藩財政問題』

慶応二年八月四日(1866年9月12日)<次郎左衛門>「え? 今、何とおっしゃいましたか?」 オレは耳を疑った。 ここは駐日フランス帝国公使館。 目の前にいるのは公使のレオン・ロッシュだ。「私もパリ万博への貴国の出品物を確認した際に、申し上...
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第378話 『アラスカ国境問題』

慶応二年六月二十四日(1866年8月4日) 慶喜と春嶽の圧力がすごい。『説き伏せて参れ』の言葉に、次郎は思わず『ははっ』と答えたが、無為無策で交渉に臨むわけにはいかなかった。 まずは情報収集が必要だ。 ロシアとの交渉において、現地に居住する...
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第376話 『万博とアラスカとイギリス』

慶応二年四月二十九日(1866年6月12日) 「前田殿、淀屋、と申しましたかな。商人にあのような物言いをさせて良いのでしょうか」 前田斉泰に対して、伊達慶邦が問いかけた。 慶邦はその責任感と保守的な性格から、孫三郎の放埓な物言いに眉をひそめ...
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第375話 『淀屋清兵衛の策略』

慶応二年三月十五日(1866年4月29日) 江戸 加賀藩邸「兵備輸入取締令? あの……あれは確か万延、いや安政六年に御公儀が出した法であったな」 前田斉泰が思い出しながら牧田孫兵衛(淀屋清兵衛)に聞き直した。『兵備輸入取締令』 大名・家臣に...
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第374話 『中居屋重兵衛と三野村利左衛門。牧田孫兵衛……』

慶応二年三月十五日(1866年4月29日) 大村藩邸の応接間で、次郎と中居屋重兵衛が向かい合って座っていた。 障子越しに差し込む陽光が、畳の上に柔らかな影を落としている。「久しいな、大村の海軍伝習課程を卒業して以来ではないか」 次郎はほほえ...
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第373話 『その後』

慶応二年一月二十四日(1866年3月10日) 京都病院「まずは気道の確保、それから酸素投与だ」 一之進は洪庵の顎を持ち上げ、気道を確保する。 助手はすぐにガラス容器とチューブ、マスクを組み合わせた原始的な酸素吸入器を装着した。シュコシュコと...
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第372話 『公議輿論のその先と京都病院』

慶応二年一月二十四日(1866年3月10日) 京都 明保野亭「まったく、なにゆえ斯様かよう(このよう)な世となってしまったのだ」 数名の武士と酒を酌み交わし、愚痴をこぼしているのは清河八郎である。清河の実家は裕福な商家であり、彼の行動資金の...
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第371話 『金策と犯人』

慶応二年一月十七日(1866/3/3) 大阪「ごめんやす。渋沢篤太夫さんおってですか?」 誰だろう? 見知らぬ声に不審がる渋沢であった。「どちら様でしょうか?」 戸を開けると立っていたのは、二人の見ず知らずの男である。「ごいされませ。(ごめ...
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第370話 『京都にて』

慶応二年一月十七日(1866/3/3) 京都 岩倉邸 次郎は正月の年賀の献上品とは別に、挨拶と近況報告を兼ねた参内を終え、岩倉具視の屋敷にいた。 幕府がアラスカの購入に動いている件を次郎から聞いており、岩倉はその真意を探ろうとしていたのだ。...
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第338話 『くすぶる火種、されど購入は決まりけり?』

慶応元年十一月三日(1865/12/20) 江戸城 御用部屋 夜「安藤様、真にあのままで良かったのですか?」 小栗上野介と渋沢篤太夫、大村純顕と太田和次郎左衛門が下城した後の御用部屋での会話である。 板倉勝静や稲葉正邦ら老中院の面々は、安藤...
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第366話 『買うべきか買わざるべきか。大問題発生』

慶応元年十一月三日(1865/12/20) 江戸城 御用部屋『賠償金の総額が293万3千ポンドのため、残額は262万8千11ポンドとなった。正直なところ全額もらっても大村藩としては赤字である。大砲を製造して各所の台場に大砲を設置、同じく艦艇...
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第365話 『無理か可能か、有益か無益か』

慶応元年十一月二日(1865/12/19) 江戸 磐城平藩 藩邸「何ですと! 次郎殿が然様さように仰せになったのですか」 藩邸にひそかに呼ばれた小栗上野介は、安藤信正の話を聞いて驚いた。「うむ。英国との戦の前にロシアとの駆け引きで蔵人くろう...
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第364話 『幕閣のアラスカ購入論議』

慶応元年十一月二日(1865/12/19) 江戸城 御用部屋「やれやれ、朝廷にも困りましたな」「然様さよう、いかに公儀の力を強めるための公武合体とはいえ、いささか度が過ぎるのではありませぬか?」「然さりとてこたびの英国との戦に際して、丹後守...
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第344話 『小栗上野介の財政・貨幣政策』

元治元年十月六日(1864/11/5) 小栗上野介は外国奉行としてアメリカやフランスと交渉することはもちろん、勘定奉行として幕府の財政の健全化と増大する軍事費や様々な歳出を補うべく、その施策にまい進していた。「このままでは立ち行かなくなる」...
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第341話 『琉球とオランダ』

元治元年八月二十七日(1864/9/27) 江戸 大村藩邸「さて次郎、次はいかにすべきかの」「は、イギリスが本気を出してくればかなり難かたし事様ことざま(難しい状況)にございますが、そうならぬよう各国の公使館や新聞各社には根回しをしておりま...
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第339話 『対英、対列強会議』

元治元年七月十四日(1864/8/15) 江戸城 御用部屋「さて方々、これより先のイギリスならびに列強に対する策を論じたいと存じます」 集まったメンバーは下記のとおり。 ・将軍後見職 一橋慶喜 ・政事総裁職 松平春嶽 ・大老筆頭 安藤信正 ...
八紘共栄圏を目指して

第813話 『小佐々平十郎純勝』

文禄四年六月十一日(1595/7/17) 諫早城「父上、ご用とはなんでしょうか?」 純勝は恐る恐る父である純正の前に進んだ。「おい、なにも取って食おうというんじゃない。お主にやってもらう事を考えたのじゃ」「何でしょうか?」「うむ、家督の相続...
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第335話 『鹵獲戦利品の分配』

元治元年五月十六日(1864/6/19) |鹵獲《ろかく》したイギリス軍艦を大村藩の海軍工廠こうしょうで修理しているころ、大村・佐賀・長州・薩摩・幕府の間ではその分配協議がなされていた。 五大老とはいえ、土佐藩、加賀藩、仙台藩は除外されてい...
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第334話 『最終決戦』

元治元年四月十一日(1864/5/16) 蓋井ふたおい島東岸沖「さーて、次郎様の言うとおりに……おお! あれは! どこの艦だ?」「艦橋-見張り! WhiteEnsign! イギリス艦隊です!」「よし来た!」 佐賀藩艦隊旗艦である甲子こうし丸...
八紘共栄圏を目指して

第812話 『純正の後継者問題』

文禄四年三月二十五日(1595/6/11) 諫早城 御年四十五となる関白太政大臣小佐々平九郎純正は、重度の健康オタクである。 目の前に並べられた食事は……。 ・青魚(サンマ、アジ、イワシ、サバなど) ・緑黄色野菜(ほうれん草、にんじん、かぼ...
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第332話 『下関戦争-長州海軍と幕府海軍-』

元治元年四月十一日(1864/5/16)「くそっ! やはり無理か!」 助けられる味方は助けなければならない。 人道的見地からはもちろん、戦力保持の意味合いもある。しかし、それがために全体が危険にさらされては意味がないのだ。一分一秒を争う判断...
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第325話 『激闘! 鹿児島湾海戦! -序章-』

文久四年四月三日(1864/5/8) |蟄居《ちっきょ》処分状 文久四年三月二十七日、赤塚源六、大山彦助、松方正義の三名は、主命に背き独断専行にて大島沖に於おいて英国艦隊と交戦せり。 これは重罪である。  然されども今般の英国との戦況に鑑み...
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第323話 『イギリス東インド・清国艦隊の奄美侵攻』

文久四年三月二十六日(1864年5月1日) 「さて、薩摩はどう出るかな? 大村艦隊は出てくるだろうか」 イギリス連合艦隊第1艦隊(在清国駐留イギリス東インド・清国艦隊)、旗艦であるユーライアス艦上で、艦隊司令官であるサー・オーガスタス・レオ...
八紘共栄圏を目指して

第803話 『空軍』

文禄三年六月三日(1594/7/20)  蒸気機関の発達により、諫早から大阪までは10日から2週間程度で往復できるようになっていた。そのため純正は3か月は大阪・京都に滞在し、残りの9か月は諫早で過ごすという生活を送っていたのである。「ほうほ...
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第322話 『国外退去ならびに臨戦態勢』

文久四年三月四日(1864年4月9日) 「急ぎなさい。私が戻るかオールコック前公使が戻るか分からないが、正直なところ良い思い出がない。できればあまり関わり合いたくない国だがな」 駐日イギリス代理公使のエドワード・セント・ジョン・ニールは、執...
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第321話 『僅差可決と艦隊派遣』

文久四年一月二十六日(1864年3月4日)  イギリス議会ではパーマストンとラッセルの豪腕によって、正式に日本への武力行使が可決された。10票にも満たない僅差であったが、反対意見を押しのけ、イギリス海軍艦隊が派遣されるようになったのだ。 昨...
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第316話 『薩摩と長州』

文久三年十月二日(1863年11月12日)  -発 次郎左衛門 宛 松前勘解由様 昨今の日英関係に鑑み、開戦となればロシアの動向愈々以ていよいよもって重きにして、特に間宮海峡並びに宗谷海峡の備えは重きと存じ候間(思うので)、近く新式砲台の設...
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第314話 『謁見と三条実美』

文久三年七月九日(1863年8月22日)  -発 丹後守 宛 蔵人 賛成多数にて実行せよ この命令が江戸の純顕から届いて、1か月が過ぎていた。「岩倉様、これは……いったい如何いかなる仕儀にございましょうや(どういう事ですか)?」「申し訳あり...
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第312話 『岩倉具視の出世と大哨戒網』

文久三年五月十五日(1863年6月30日)  -発 六位蔵人次郎左衛門 宛 左近衛権少将様(島津久光) 斯様かように短き略式なる書面にて失礼仕り候。 生麦の儀、いまだ解決に至らず候間そうろうあいだ(解決してませんので)、イギリスの出方により...
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第307話 『文久遣欧使節の帰国と朝廷と長州』

文久二年十二月十一日(1863年1月30日) 川棚港「兄上! あれっきりと申し上げましたよね! 弘化四年の砌みぎり、人は宝だと仰せになって、某それがしに全国行脚を命じられました。これが最後だと! 某は信之介様のもとで学びたいと!」 そう言っ...
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第306話 『第一回大老院と薩摩』

文久二年十二月九日(1863年1月28日) 江戸城 現在でいう組閣が行われ、政事総裁職に松平春嶽、将軍後見職に一橋慶喜が選出された。 ・筆頭大老は安藤信正(まとめ役) ・大老衆は島津忠義、毛利敬親、山内容堂、伊達慶邦、前田斉泰(5名) ・老...
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第305話 『人事は尽くしたので、他にやるべき事をやる』

文久二年十一月二十日(1863年1月9日) 肥前大村 生麦事件が歴史通りに発生し、その対応に忙しかった次郎ではあるが、大村藩内ではさらなる技術革新が行われていた。 パーシー・ホッグを救えなかった事実に苦悩する一之進ではあったが、愛弟子の長与...
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第303話 『ジョン・ラッセルとパーマストン』

文久二年十月二十八日(1862年12月19日) イギリス 極秘 1862年9月10日 ラッセル外務大臣閣下 横浜より、憂慮すべき事件についてご報告申し上げます。去る8月26日、生麦村において、上海の貿易商であるC.L.リチャードソン氏を含む...
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第294話 『交渉開始とイギリスの魔の手』

文久二年八月十九日(1862年9月12日) |玉蘭閣《ぎょくらんかく》「なるほど。で、イギリス人の旅行客が巡撫じゅんぶだか知府だかの……ああ、大名って言うんだったか。その行列を遮って進もうとして、その2人が銃を撃ち、他のイギリス人が無礼を働...
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第291話 『上海租界とリボルバー』 

文久二年八月十八日(1862年9月11日) 上海 フランス租界 ホテル『宏記洋行』  部屋には佐賀藩の中牟田倉之助、薩摩藩の五代友厚、そして大村藩士の峰源助がいた。彼らは皆、晋作と同じく通商のために上海に来ていた同志である。「おお、晋作君か...