総督

外伝!フレデリック・ヘンドリック転生記~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~

第15話 『儲らない? 三人寄れば文殊の知恵』

1590年8月23日 オランダ ライデン「おー、良いねえ良いねえ。まさに中二病だよ。ん、なんだ? こういうのを中二病って言うんじゃないのか?」 大学を出て川沿いをしばらく歩くと、森の入り口に朽ちかけた廃屋がある。 その扉には、誰にも解読でき...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第387話 『ぶち切れる』

慶応二年十一月三日(1866年12月9日) バタヴィア「では各々方、憚はばかりながらそれがし、太田和蔵人次郎左衛門が、議事を進めたく存じます」 次郎の隣には、大村藩の名代である甲吉郎純武が控えている。 幕府と加賀藩を除く各藩の名代と艦長(責...
外伝!フレデリック・ヘンドリック転生記~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~

第14話 『魔術師裁判』

1590年7月16日 オランダ ライデン ライデン市庁舎の石造りの法廷には、いつもよりも多くの市民が集まっていた。 窓から差し込む夏の光は、緊張感に満ちた空気を和らげるどころか、むしろその場の重苦しさを一層際立たせている。 中央の被告席には...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第386話 『図らずも』

慶応二年十月二十九日(1866年12月5日) バタヴィア『李百里』の遭難を受けて、次郎は全力で捜索すると同時に、全艦の整備点検を実施した。「MijnheerOtawa(太田和殿)、我々も全力をあげて捜索しています。考えられる場所としては、ス...
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第12話 『転生者フレデリックと転生者オットー&コンパス・オブ・ディスティニー』

1590年6月19日 オランダ ライデン「ちょっと話がある、後で時間とれるか? お前も同じ転生者なんだろ? 日本人の(日本語で)」 フレデリックはオットーの耳元でそうささやいた。 オットーは瞬時に状況を理解したのか、短くうなずく。「皆、静ま...
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第11話 『オットー・ヘウルニウス』

1590年5月12日 オランダ ライデン <オットー・ヘウルニウス> 5年前の出来事だった。 オレが7歳の時、すべてが突然変わった。いや、正確に言うと、オレ自身が変わったのだ。 父の研究室で初めて解剖を目にした日は、今でも鮮明に記憶に残って...
八紘共栄圏を目指して

第829話 『領土開発省と慶長大地震』

慶長元年閏うるう七月九日(1596/9/1) 純正は肥大化する領土経営の効率化のため、領土開発省大臣の日高甲斐守喜と行政区画の再編成を協議していた。 まずは台湾と東南アジアであるが、これはあくまで領土開発省の管轄であり、陸海軍の管理地域とは...
八紘共栄圏を目指して

第828話 『ポルトガルの戦略と反乱の狼煙』

慶長元年五月十七日(1596/6/12)  リスボン「さて、宰相。この状況をどう見る?」 セバスティアン1世は大西洋の地図を見ながら、宰相のクリストヴァン・デ・モウラに質問していた。 ヨーロッパからアメリカ大陸にかけての地図だ。5月の中旬に...
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第5話 『いまの肥前国とポルトガル、そしてネーデルランド』

1589年11月7日 オランダ アムステルダム <フレデリック> デン・ハーグで得た情報をまとめると、ポルトガルと肥前国の情報は以下のとおりになる。 ・現在、肥前国は大日本国の中核として連邦国家を成している。 ・スペインを撃退。現在も戦争中...
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第4話 『デン・ハーグと駐ネーデルランドポルトガル大使館』

天正十八年九月一日(1589/10/10) デン・ハーグ <フレデリック>「これはこれは、ようこそおいで下さいました」 マヌエル・デ・ポルトゥガルはにこやかな顔でオレを出迎える。 オレは兄貴に頼んで、伝手を通じて会えたのだ。 ネーデルランド...
八紘共栄圏を目指して

第824話 『再び、スペインと』

慶長元年一月二十七日(1596/2/25) 諫早 -発 小樽鎮守府 宛 殿下 以下、転送文也。 アラスカ南部の新たに発見、入植せしオレゴンにてイスパニア(スペイン)探検隊と遭いけり。 幸いに打ち合い(戦闘)にはならねども、この地を境にとの話...
八紘共栄圏を目指して

第821話 『バンテン王国とネーデルランド、総督府と純正』

文禄四年十二月十日(1596/1/9) 実はバンテンでの暴動が起きたときにプラタマが提案したオランダ接近案は、結論から言うとうまくいかなかった。 プラタマはバンテンではなく、スンダ・クラパ(現在のジャカルタ・以前のバタヴィア)に漂着したオラ...
八紘共栄圏を目指して

第820話 『バンテン王国の争乱、広がる』

文禄四年十一月二十九日(1595/12/29)「手ぬるい!」 ウィラブラタの怒号が王宮に響き渡った。その声にムハンマドは拳を握りしめて凝視した。「民の怒りは正当だ。肥前国の横暴を許すべきではありません!」 ウィラブラタはそう声をあげ、ズカズ...
八紘共栄圏を目指して

第819話 『バンテン国王カンジェン・ラトゥ・バンテン』

文禄四年十一月二十九日(1595/12/29) バンテン王国の港町は異様な緊張感に包まれていた。港には数隻の肥前国商船が停泊し、不気味な影を落としている。かつては活気に満ちていた埠頭ふとうも、今では人影もまばらだった。「おい、あれを見ろ!」...
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第1話 『転生?』

1589年2月28日 オランダ アムステルダム <フレデリック・ヘンドリック> 重たい目をゆっくりあけた瞬間、ガン! と痛みが走った。 ズキンズキンと頭が痛み、喉はカラカラに乾いていた。薄暗い天蓋(ベッドの天井にあるフリルのカーテン状の物)...
八紘共栄圏を目指して

第811話 『オランダ-1594-黄金時代の幕開け?』

文禄四年三月二十五日(1595/5/4) ネーデルランド デン・ハーグ「よし、では報告を聞かせてもらおうか」 オランダ総督のマウリッツ・ファン・ナッサウは居並ぶ臣下の報告を宮殿にて聞いていた。呼ばれた人たちと臣下の注目はもちろんマウリッツで...
八紘共栄圏を目指して

第804話 『陸軍と領土開発省』

文禄三年七月二十日(1594/9/4) 諫早城 会議室には純正を筆頭に戦略会議衆である鍋島直茂、黒田官兵衛をはじめとした6名、陸軍大臣の波多隆、海軍大臣の長崎純景、領土開発省の日高喜がいた。 吃緊きっきんの課題として陸海軍ならびに海外領土の...
八紘共栄圏を目指して

第794話 『割譲開始』

文禄二年五月十一日(1593/6/10)  明国から割譲された広州、寧波、天津の3港は、海西地方として肥前国に組み込まれた。総督府は広州である。居住民に関しては向こう2年の間は自由とし、その間に肥前国籍とするか明国籍とするかを選ばせた。「お...
東アジアの風雲

第769話 『情報網の構築と政策への賛否両論』

天正二十年二月十二日(1591/4/5) 肥前諫早「殿下、ここでひとつ会議の題目にあげたき儀がございます」 会議の始まりに議題を提示してきたのは宇喜多基家である。「我が肥前国は東はアラスカより西はアフリカまで、広大な領土を有しております。然...
東アジアの風雲

第764話 『新しき三省』

天正十九年七月二十日(1590/7/20) 諫早 <小佐々純正> オレは諫早に戻ってきて城に戻り、吃緊きっきんの陸海軍の再編を終えて、ぐったりした。 もうそろそろリタイヤしてもいいんじゃね? 国内は統一してないけど戦は終わったし、大日本国も...
東アジアの風雲

第762話 『肥前国の海軍再編と大日本国、そして極東情勢』

天正十九年六月十二日(1590/7/13) 諫早「殿下、お帰りなさいませ」 3年前の天正16年(1587)1月に諫早を出発した海外領土の視察であったが、3年半の歳月を経て終了した。長崎の湊みなとには純正一行の到着を待ちわびた閣僚と民衆が詰め...
東アジアの風雲

第761話 『北方三国同盟と明の滅亡への序曲』

天正十九年五月十一日(1590/6/12) 紫禁城「兵はいる。だが動かすことは難しいだろう」 内閣大学士の申時行は誰に告げるわけでもなく、静かに、淡々と述べた。「100万の兵を抱え、各地の衛所にも精鋭がいる。しかし……」「軍餉ぐんしょう(兵...
東アジアの風雲

第758話 『オランダの軍事事情』

天正十九年一月二十八日(1590/3/4) <フレデリック・ヘンドリック> さて、去年からジャガイモの栽培を行っているが、初めてにしては上出来と言っていい収穫だった。現代のジャガイモとは少し違うところもあるけれど、主食になり得ることを確認で...
東アジアの風雲

第756話 『フアン・デ・サルセードとマルティン・デ・ゴイチ ―大日本国産業事情視察録―』

天正十八年十一月十六日(1589/12/23) <フアン・デ・サルセード> フアン・デ・サルセード 記(40歳、第2次フィリピン海戦当時29歳) 11年前、私とマルティンは第2次フィリピン海戦の敗将として肥前国に連れてこられた。  私は当時...
東アジアの風雲

第755話 『肥前銀行と大日本国銀行』

天正十八年十月九日(1589/11/16)  灰色の雲に覆われた空の下、肥前国諫早において大日本国銀行監査総監の近江屋治郎右衛門は、随員20名を従えて肥前銀行本店に到着した。  5層の巨大な蔵造りの建物群は、それ自体が1つの街区を形成してい...
東アジアの風雲

第754話 『大日本国予算審議会』

天正十八年八月三十日(1589/10/9)  「それでは方々、天正十八年度、第一回補正予算会議を開きたいと存じます」 肥前国の財務大臣である太田和屋弥市が立ち上がり、会議の開始を告げた。大日本国の中で肥前国があまりに強力であり、その近代的な...
東アジアの風雲

第751話 『6歳の子供にできる事とできないこと。肥前国と大日本国』

天正十八年四月十二日(1589/5/26) 仙台城「殿! 各県から援助米の求め多く、とても城の蔵だけでは処する事能いませぬ!」「各県の備蓄米はないのか?」「すでに底をつき、ゆえに総督府へ懇願がきているのでございます」 各県、各郡、各村にはそ...
東アジアの風雲

第750話 『フレデリックの立場と仕事』

天正十八年二月二七日(1589/4/12) リスボン 王宮 1か月に及ぶ協議の末、肥前国とポルトガルとの間に条約が結ばれた。 肥前国ポルトガル王国相互防衛条約 肥前国とポルトガル王国は、両国の安全保障を強化し、相互の防衛協力を確立するため、...
大日本国から世界へ

第747話 『モノモタパ王』

天正十七年十月六日(1588/11/24) ケープタウン 純正はインドへ駆逐艦を派遣し、カリカットの総督府からポルトガル領のゴアを経由して、ムガル帝国領内の通過を許可してもらって、オスマン帝国へ使者をだした。 同時にポルトガルへも親書を送り...
大日本国から世界へ

第746話 『ケープタウンとポルトガル。周辺の王国とインドと同じ状況』

天正十七年十月六日(1588/11/24) ケープタウン カリカットからソコトラ沖の海戦を経て、マダガスカルに到着して現地を視察した後、純正の艦隊はケープタウンに到着した。「父上、朝夕は肌寒いですが、日中は過ごし易うございますね」「うむ。今...
大日本国から世界へ

第744話 『アルマダの海戦の敗北とカリカット総督府』

天正十七年六月二十四日(1588/8/16)「な、なんだと? そんなバカな……」 フェリペ2世はアルマダの海戦の敗報を絶望と共に知った。 手から報告書が滑り落ちて床に散らばるが、側近たちは固唾をのんで王の反応を見守っている。やがて彼は深く息...
大日本国から世界へ

第743話 『アラスカ並びに北米西岸の探険・入植と太平洋横断計画』

天正十七年四月十二日(1588/5/7) 天正十三年の六月から十一個艦隊体制と、八月から海軍艦艇の蒸気機関推進化をすすめていた肥前国海軍であったが、ようやくその体を成すようになってきた。 160隻ほどあった既存艦艇は予備艦艇として、特にルソ...
大日本国から世界へ

第742話 『籠手田安経と三度、イスパニアの影』

天正十七年二月二十七日(1588/3/28) 純正が向かう東南アジア総督府はカリマンタン島のクチンにあり、ブルネイ県・スラウェシ県・インドネシア県・ニューギニア県・オーストラリア県の広大な領域を統括する総督府である。 陸地面積だけでルソン地...
大日本国から世界へ

第741話 『ルソン総督と北川長介純清』

天正十六年十二月二十九日(1588/1/27)フィリピン「父上、やはりルソンまで来ると暑うございますね。台湾も暖こうございましたが、さらに南だとこうも暑いものでしょうか」「ふふ、平十郎よ、そなたは肥前国から出るのは初めてではなかろう? 海軍...
大日本国から世界へ

第740話 『台湾総督府』 

天正十六年十一月三十日(1587/11/30)台湾総督府 純正が台湾への入植を始めたのは今から21年前、永禄十年の1567年であり、信長との同盟を結ぶ前の肥前の一大名に過ぎない頃であった。 当初は入植者の原住民による殺害事件などの悲惨な出来...
大日本国から世界へ

第739話 『病床の尚永王』

天正十六年十一月一日(1587/11/30)琉球国 首里城 首里城の守礼門前、琉球王国の廷臣たちが厳かに列をなし、国王尚永は緊張した面持ちで控えていた。彼の周りには、琉球の伝統的な礼服を身にまとった側近たちが、不安げな表情を浮かべている。 ...
天下百年の計?

第738話 『李氏朝鮮第14代国王宣祖への謁見』

天正十六年十月一日(1587/11/1)九州地方 対馬県 厳原港「これはこれは関白殿下、斯様かように何もないところにお越し頂き、この義調よししげ、光栄の至りにございます」 厳原の港でそう答えるのは、対馬宗家17代当主であった宗義調である。 ...
天下百年の計?

第736話 『ペトロパブロフスク・カムチャツキーからオホーツクをへてウラジオストクへ』

天正十六年六月十七日(1587/7/22)沿海地方 沿海県 ニコラエフスク・ナ・アムーレ(北黒瀬浦) 純正は小樽を出港後、1か月半かけて北加伊道沿岸を回り、その後カムチャッカ半島のペトロパブロフスク・カムチャツキー、オホーツクのオホーツクを...
転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く

第208話 『オランダと同じように』

安政三年十二月七日(1857/1/2)~それまで 交渉は難航していた。 ハリスが言っている事も一理あるが、日本としては下田と箱館を開港して、各国の船に対しては便宜を図っている。食料や水、燃料などの必需品も迅速に補給できるように順次体制が整っ...
天下百年の計?

第735話 「北加伊道は、まだ、蝦夷地なのか」

天正十六年三月十日(1587/4/17)北加伊道地方 小樽 旅館 純正は男の子を大浴場へ連れて行った後に服を脱がせるが、ボロボロで汚れている。どう考えても接客で働いていたとは思えない。裏方の仕事をさせられていたのだろうか。 それでも10歳の...
天下百年の計?

第734話 『北加伊道、小樽』 

天正十六年三月十日(1587/4/17)北加伊道地方 小樽総督府「寒い、寒すぎるな。まじで寒いぞ」 もう26年いる純正でも、現代語がでてしまう時がある。いわゆる感情が高ぶった時やその逆の時だ。 無意識なのだろうか、幼少時というか50才までの...
天下百年の計?

第733話 『北常陸県、那珂湊にて三大名と』

天正十六年二月二十五日(1587/4/2)北常陸県 那珂湊 湊御殿 那珂湊は下野国那須郡から常陸国を貫流して太平洋に注ぐ那珂川の河口部に位置し、水戸などの同河川流域と海路を結ぶターミナルとして栄えていた。 とは言っても、規模で考えれば堺より...
天下百年の計?

第730話 『肥前国内行政機構再編制』

天正十四年七月十六日(1585/8/11) 諫早城 純正は毛利家への仕置きと併せて、肥前国内の行政機構と、大日本国内での小佐々領内の呼称について改称・改編を行った。 まず、小佐々家の統治下にある全ての所領を肥前州とした。海外領土も全てである...
天下百年の計?

第728話 『毛利だけの優遇措置とも言える』

天正十四年五月二十二日(1585/6/19) 諫早城 100万石を超える毛利の所領の差配は簡単ではない。もちろん、前述のように警察機構は独立して各国に設置され、各郡、各村に署を置き派出所をおいて治安維持にあたっている。 しかしそれ以外は自治...
年表・統治機構

新政府統治機構

小佐々家……肥前州(以下内訳) ■中国地方……長門県(以下県)・周防・安芸・石見・出雲・隠岐・伯耆・因幡・但馬・美作・播磨・備前・備中・備後。 中国総督府・安芸吉田郡山(総督:毛利輝元)。 ■四国地方……讃岐県(以下県)・阿波・土佐・伊予・...
小佐々家の状況

天正八年五月十一日(1579/6/5) 小佐々家の状況

-小佐々家の状況- 戦略会議室  ・明国とは現状維持を図り、女真族との友好路線を継続。東南アジアにおいては再度のスペインの侵攻に備える。国内では既存地域の殖産興業と北方資源開拓。  ・奥州諸大名の大同盟参加と、北条への上洛要請。 財務省  ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第670話 『氏政の考えと御館の乱。そしてようやく雷酸水銀』(1579/6/5) 

天正八年五月十一日(1579/6/5)  京都 大使館「構いなし、か」 純久は純正からの通信を読んで一言つぶやいた。 要するに主眼が北条への上洛要請であり、上杉に関しては関知しないという事だが、この時点で付き合いはないので、どっちの味方もな...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第669話 『上杉景勝と上杉景虎。そして氏政への上洛命令』(1579/5/27) 

天正八年五月二日(1579/5/27)  越後の龍、上杉謙信が死んだ。その知らせは越後のみならず近隣諸国に知れ渡り、周辺の諸大名はその動静を固唾を呑んで見守り、あるいは行動に移した。 が、今世は違った。 純正が信長と同じ立場で東に武田と上杉...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第668話 『小田原城の北条氏政と椎津城と佐貫城』

天正八年四月五日(1579/5/1) 夕刻 小田原城 小田原城は天下の堅城。総構えの城は何重もの広大な堀に囲まれ、その中に街がある。史実では豊臣秀吉の小田原攻めを前に構築されたようだが、今世ではすでに出来上がっていた。「こりゃあ大したもんだ...
技術革新と内政の時、日本の内へ、外へ

第667話 『磯根崎沖海戦』(1579/4/30) 

天正八年四月五日(1579/4/30) 未一つ刻(1300) 上総竹岡湊沖~磯根崎沖「艦橋-見張り」「はい艦橋」「右六十度、距離三○(3km・海軍ではメートル法基準)、小舟多数。南に向かっている」 見張りの報告を受けた艦長をはじめとした参謀...