文禄四年三月二十五日(1595/5/4) ネーデルランド デン・ハーグ
「よし、では報告を聞かせてもらおうか」
オランダ総督のマウリッツ・ファン・ナッサウは居並ぶ臣下の報告を宮殿にて聞いていた。呼ばれた人たちと臣下の注目はもちろんマウリッツであったが、それよりも目を引いたのは10歳の少年である。
「ああ、皆、気にせずとも良い。余の弟じゃ。遠慮なく報告してくれ」
マウリッツは笑顔でそう言ってフレデリックを見、全体を見渡した。フレデリックを知っている者もいたが、新興の者も多く登用していたネーデルランドの政庁では、知らない者も多かったのだ。
最初に軍事担当のウィレム・ローデウェイクが一歩前に出た。
「閣下、わが国の防衛体制は着実に強化されています。特に海軍力の増強に力を入れており、スペインに対抗できる態勢を整いつつあります。新型の快速船の建造も始まり、今後さらなる成長が期待できます」
マウリッツはあごに手をやりながら慎重にうなずいている。
「うむ、ディレンブルク伯よ、よくやった。しかし油断は禁物だ。イギリスとの同盟も維持しつつ、さらなる軍の近代化を進め、スペインと単独でも渡り合える海軍を創るのだ」
「はっ」
ウィレム・ローデウェイク (ナッサウ=ディレンブルク伯)はマウリッツの従兄弟で、マウリッツより年上である。独立戦争をともに戦い、対スペイン戦略の立案に携わった。
次に発言したのは海外進出担当のコルネリス・デ・ハウトマンだ。
「東インド会社の設立準備は最終段階に入っております。すでにアフリカやインド、東南アジアとの貿易船が往来しており、来年には最初の船団が中国や朝鮮、日本へ向けて出航する予定です」
マウリッツは興味深そうに耳を傾けた。
「うむ、うむ……。やはりスペインとの関係はもちろんだが、セバスティアン一世のポルトガルとの友好関係を結んだのは正解であったな。その奥にある肥前国……いったいどのような国なのだろうか。コルネリスよ、来年には使節が戻ってくるが、東インド会社でも肥前国の動向を探るのだ。ゆくゆくは余の名代として喜望峰からマゼラン海峡まで、東インド全域の貿易を任せるようになるのだから」
「承知しました」
コルネリスが感激に身を震わせたそのとき――。
ウィレム・バレンツが一歩前に出て口を開いた。
「閣下、私からも一つ提案があります。北方の海、われらはこれを北の極み…… 北極海と呼んでおりますが、その海への探検計画についてです。まだ見ぬ新たな航路発見が我々にもたらす利益は計り知れません。我々は新しい貿易ルートを開拓することで、更なる繁栄を目指すべきです」
「うむ。それも重要だ。我々は未知なる世界への探求者である。この計画についても詳細な検討をするよう命じよう」
マウリッツは考え込んだ後に大きくうなずいが、同時に大きな声で発言したのはフレデリックであった。
「なんだ? フレデリック?」
「兄上! 北極海への探検についてですが、スピッツベルゲン島やヴァイガチ島で遭遇した困難から学び、この航海では十分な準備が必要です。過去には凍結によって失敗したこともありますから、その教訓を生かすべきです」
周囲から驚きと興味に満ちた視線が集まる中、ウィレム・バレンツも少し驚いた表情でフレデリックを見る。
「詳しく話してみよ」
そう言ってその意図を問うマウリッツではあったが、弟に対して甘いのだろうか? 17も歳が離れている。しかし、その瞳の奥には冷静さが宿っていた。
「はい!」
元気よく返事したフレデリックが続ける。
「我が国が北極海で成功するためには、安全な越冬地を確保することが不可欠です。これによって厳しい冬を乗り越えつつ探検隊の士気も維持できます。また、補給拠点があれば食料や燃料の補給も容易になります。このような準備こそ、新たな航路発見につながると信じています」
「……フレデリック、お前の提案は非常に理にかなっている。さすがわが弟よ。この計画について真剣に検討しよう」
マウリッツは弟の言葉に深くうなずいた。本当は元外交官で転生者だからこその意見ではあったが、誰もそれを知るはずがない。
部屋中が熱気に包まれ、新たな航海計画への期待感が高まっていく。
フレデリックの提案が終わると、次に経済担当のヨハン・ファン・オルデンバルネルトが前に出る。
「閣下、我が国の経済状況は着実に改善しています。特に、フレデリック様提案のじゃがいもの大規模栽培が各地で進んでおり、食糧供給が安定してきました。これにより、国民の生活水準も向上しています。また、新たな暖房設備の生産も軌道に乗り始めており、寒冷な気候に対する備えも万全です」
「うむ、それはフレデリックから聞いておる。よき報せだ。他には?」
マウリッツはさらにヨハンに聞いた。
「閣下、我々は新たな市場を開拓するために、北方の国々との貿易関係を強化する必要があります。特に、スウェーデンやデンマークとの連携を深めることで、バルト海の貿易ルートを確保し、さらなる経済成長を狙うべきです」
マウリッツはその言葉に興味を示し、うなずいた。
「それは良い考えだ。特にスウェーデンは最近、わが国と友好関係を築きつつある。彼らとの結びつきを強化できれば、わが国の影響力も増すだろう。国内の産業はどうだ?」
「閣下、わがネーデルランドの産業は着実に成長しています。特に織物業と造船業が好調で、これにより輸出も増加しています。また、農業の発展に伴い、特にじゃがいもや穀物の生産が安定してきており、国民の食糧事情も改善されています」
マウリッツはうむ、うむ、と満足げにうなずいている。
「それはすばらしい。特に織物業は我々の国際的な競争力を高める要素だ。新しい技術や機械を導入することでさらなる生産性向上を図るべきだ。他には? 外交や宗教はどうか」
他の担当者を見ながら意見を募るマウリッツは、困難な道ながらも着実に進歩している母国を誇らしく思い、その重責を感じていたのだ。
マウリッツが再度問いかけると、外交担当のアドリアーン・ファン・デル・ドゥルフが前に出てきた。
「閣下、わが国の外交政策は着実に進展しています。特にフランスとの関係が良好で、同盟を強化することでスペインに対抗する力は増すでしょう。また、イギリスとの同盟も引き続き重要です」
マウリッツはうなずきながら聞いていた。
「フランスとは歴史的にも複雑な関係があるが、今こそ新たな協力関係を築くべき時だ。特に、スペインとの対立が続く中で、彼らとの連携が我々にとって大きな助けとなるだろう」
マウリッツは海上権益においていずれぶつかるであろうスペインとの対決を視野に入れていたのだ。
「その通りです。さらに北方諸国とも友好関係を築くことで、ヨハン殿がおっしゃったバルト海の貿易ルートを確保し、経済的な安定を図ることも重要です」
とアドリアーンは続けた。
「うむ、外交と貿易は両輪であるからな」
フレデリックも興味深そうに聞いており、『兄上、外交政策には文化交流も含めるべきです。特に商業や技術の面での交流が進めば、相手国との信頼関係も深まります』と提案した。
「お前の意見はすばらしい。文化交流は国際関係を強化するために不可欠だ。これからもその視点を大切にしてくれ」
有能な幼き次期指導者に周囲から驚きの視線が集まり、マウリッツは弟の言葉にほほえんだ。
次に宗教問題について発言したのはアーノルド・ファン・デン・ボスである。
「閣下、わが国では宗教的寛容が進んでいますが、一部の地域では依然としてカトリックとプロテスタントの対立が見られます。この問題を解決するためには、更なる対話と理解が必要です」
「うむ……それは重要な事案だ。宗教的な対立は我々の国の安定を脅かす要因となり得る。全ての信仰を尊重しつつ、共存できる社会を築くための施策を講じるべきだ」
とマウリッツが強調すると、アーノルドもうなずく。
「具体的には、地域ごとの宗教指導者との対話を進めることや、教育機関での宗教教育の充実を図ることが考えられます」
会議はさらに活発になり、それぞれの担当者が自らの意見や提案を述べていく中で、新たなオランダの未来への期待感が高まっていった。フレデリックもその一員として貢献できることに誇りを感じながら、自身の成長とともに国への影響力を実感していた。
「ともに新たなオランダの未来を築こうではないか」
そうマウリッツが力強く宣言すると、その言葉に全員が賛同し、一体感が生まれた。
新たな時代への期待感とともに、次なるステップへと進んでいくネーデルランド連邦共和国であったが、純正との直接の出会いはあるのだろうか……。
次回予告 第812話 『純正の後継者問題』

コメント